昨年秋の決意
ブログを始めて4か月目の昨年10月、私は一つの決心をした。
2020年中に実用英語検定の1級とイタリア語検定の2級を取得することだ。当時の私は、英検は受験経験なし、イタリア語は2016年に準2級を取得していた。
英語、イタリア語、そして台湾語、3つの外国語を学習していた私は「語学の沼」にはまった状態であった。
確かに語学を学習することは楽しい。私の中に新しい風を吹き込んでくれ、考え方、見える景色を変えてくれる。
しかし、そう思える反面、語学学習は大変だ。使わな得ればすぐに力が落ちていく、行うためには時間と労力を必要とする。
限られた時間の中で私はモヤモヤし続けていた。「このまま語学学習を続けていくのか。それともやめて楽になるか。」
しかし、私には今まで築き上げてきたものを手放す勇気がなかった。英語は仕事でよく使うが、イタリア語や台湾語は、実用からは程遠い。
そんな状況であっても「いつか、ドットが繋がるのではないのか」そんな期待から、それらを手放すことができなかった。そして、そのために、それが何かはわからないが、私ができていたかもしれないことの時間を奪われた。
語学学習と、それが無ければ出来ていたことをのせた天秤を抱えて、私は「語学の沼」の中にズブズブと沈んでいるような状態であった。沈まないためには語学をやり続けるか、それともすべてを投げ出して軽くなるのか。
私は少し重荷を軽くする選択をした。
「自分がどこまで語学の力を伸ばしたいのか、目安が無いから闇雲に勉強して苦しんでいるのだ。だから目標を作って達成できれば、あとは楽しいと思える時だけ外国語と付き合おう」
そう考えた私は、先に触れた2020年の間に英検1級と、イタリア語検定2級を取得することを目標に学習を続けた。
成否を左右する要素はわかっていた。どれだけお酒を飲む日を減らせるかであった。
手帳に禁酒できた日を書き込んでいった。目標は5割、つまり月の半分はお酒を飲まないことであった。
仕事で疲れた体に鞭打って、家で語学学習をしている時「私は何でこんなことをしているのだ」と惨めな気持ちになる。本当はそんなことはないのだが、お酒を飲むための口実を探しながら学習している自分に気が付く。
良好な成績で前半戦を過ごすことができたが、コロナ以降ペースが崩れた。そして、今年も半分が過ぎた時点で10月のイタリア語検定受験をあきらめた。妻との簿記の勉強を優先したことも、受験を断念した要因の一つだった。
ともかく、休肝日がほぼなくなる中第1回英検を受験し、2次試験の面接に挑んだ。自分ではできたつもりであったが、スピーチとインターアクションが悪く不合格であった。
そして、2週間前、2020年度第2回の面接試験を受け「前回と同じぐらいの出来かな」と思いながら帰ってきた。
不思議な気持ち
合格がネットで発表される時間、職場でこっそりと英検のHPにアクセスし、英検IDとパスワードを入れた。
不合格の灰色のバナーを予測していた私の目に飛び込んできたのは、赤の背景に白でくりぬかれた「合格」の文字であった。
私は英検1級に合格していた。
面接練習を手伝ってくれたオーストラリア人の同僚、童君にすぐ報告し、彼から祝福を受ける。嬉しかった。確かにそうだ。1年前の決意、お酒を我慢して家で勉強したこと、リモートワークでペースが崩れたこと、居酒屋で童君にスピーチを聞いてもらったことなど、頭の中に浮かんでは消えていく。
「今日から好きな英語だけやろう!」「モヤモヤの大きな原因が一つ消えた」その瞬間はそう感じた。
しかし、思いはいつも私を裏切る。
今まで何となく、何も考えずに続けてきたこと、喜びと同時に私を苦しめ続けてきたことを一つ清算することができるのだ。
私にはそれなりの英語の力があることが証明されたのだ。
もう「英語を学習しなくてはならない」という呪縛から解放されるのだ。
1級取得後に私が感じると1年前に予測した気持ちに、なぜかなれない。
「こんなもんか」
私の心の中にこの言葉が居座っている。
学生の頃、英検1級というすごい資格があることを知った。「他の級に比べて極端に難しく、ネイティブスピーカーでも知らないような表現が出題される」私にとってこの資格は次元の違うものに感じられた。
「どんなに英語ができる人がこの資格を取るのだろう」そう思った。
年をとるにつれて、自分の身の回りにも1級を取得した人が現れ、学生時代に感じていたほどの特別な感覚は無くなった。しかし、それらの人々の英語のレベルは、私とは桁違いであった。
今、私は英検1級の取得者になった。しかし、自分の英語に対する自信の無さは10年前とそれほど変わらない。むしろ1級を取ったが故に、自分の無力さが前景化する場面がある。
英字新聞を読んでいて理解できない記事に出会う。英会話をしていても、言いたい表現が出てこないことが多々ある。
その度に「私は英検1級を美化しすぎていたのかもしれない」そんな思いになる。実際に、自分がそんなに英語のできる人間になったとは思えないのだ。
今回のことで、モヤモヤは少し減ったと思う。しかし、新たなモヤモヤの種を同時にまいてしまったようだ。
これから先、「~ねばならない」の英語学習を続けて力をつけるのか、今の時点で納得して何も考えず楽しい英語だけ追求するのか、または第3の道を探すのか、もう少し休んでから決めていきたい。