どこでもドアきっぷ
コロナ禍の中、業種を問わず運輸業は大規模な損益決算を続けています。私が愛する鉄道業界も、例年に比べ大幅に乗客を減らし、JR東海でさえ4月~6月の4半期で700億円以上の赤字というニュースを読みました。
私が普段利用するJR西日本も厳しい状況が続いています。何しろ稼ぎ頭の新幹線の需要が無いのです。多くの人口を有する関西圏の人々を、いかに九州・四国方面へと新幹線で運ぶのかということがこの会社の屋台骨を左右します。駅に行くとやたらと九州方面のパンフレットが目につくのはこのためです。
そんなJR西日本は、関西の人々を西へと誘導する信じられないような切符を発売しました。ドラえもんの映画とタイアップし「どこでもドアきっぷ」と名付けられた企画商品は、コロナ禍で鉄道需要が激減した状況で無ければまず発売されなかったような内容です。
なにしろJR西日本・九州・四国の全路線が3日間乗り放題18,000円で、それは新幹線・特急列車も含まれるのです。単純に新大阪ー博多間を往復すれば十分にお釣りがきます。鉄ちゃんにとって究極ともいえる切符です。
私は駅でこの切符のチラシを見て我が目を疑いました。「いくら何でも安すぎる」と。しかし、それは現在のJR3社の置かれている状況を示しているのでしょう。とにかく、私たちは切符を手にして3日間に分けて使うことにしました。
1日目は次男と妻が愛媛に「鯛めし」を食べに行きました。なんて贅沢なんでしょう。その贅沢もこの切符があるから可能です。そして、2日目は私と妻でさらに分をわきまえない行動をします。
門司港でも博多でもなく…
私たちを乗せた「のぞみ」は山陽路をひた走ります。岡山から先はトンネルばかりなので、読書しながら過ごします。今日の私たちの目的は小倉でうどんを食べることです。
3年前にNHKでこのうどん屋を扱った番組を見ました。作るのは元ヤクザの中本さんです。彼は「修羅の国」といわれた北九州で30年ヤクザを続け、服役後足を洗い、3年前にカタギとしてうどん屋を始めました。
番組を見て以来、私はこの人物とお店が気になりました。時々「食べログ」を見て、営業を続けていることを確認していました。昨年、中本さんとこの店を描いた「ヤクザの幹部やめて、うどん店はじめました。」という本が出版され、即行買って読みました。
それ以来「福岡に行く機会があればここのうどんを食べてみたい」と思いながら過ごしてきました。「どこでもドアきっぷ」の発売は絶好の機会でした。私は妻に「小倉でうどん食べてデートしよう」と言いました。妻は変わった人です。二つ返事でOKでした。門司港レトロでも博多でもなく小倉です。
関西方面からこの街だけを目当てに九州へ渡る人はあまりいると思えません。しかし、私たちは少し前からワクワクです。北九州が衰退していると言われて久しいのですが、その様子をこの目で見て感じてみたいのです。
全てのものは誕生し、最盛期を経て衰退していきます。人々は伸びていく様子に注目しがちですが、私は衰えていく様子も敬意を持って大切に扱いたい。北九州の人々には失礼ですが、1960年代に九州最大の都市になり、その後重工業の衰退と歩みを共にしたこの街の様子を肌で感じてみたかったのです。
そして、「その中で新たな発展の息吹を感じることができたら」そういう思いと、堅気になってやり直すこのうどん屋さんと重なりました。
新幹線を小倉で下車するのは初めてのことでした。私たちは予想外に近未来的な駅舎を見ながら小倉の街へと繰り出しました。
不思議なうどん
南口を出てすぐ左手に巨大なビルが見えます。典型的なデパートの形をしています。しかしデパートの看板は見当たりません。後で行ってみることにします。
右手の商店街を西へ進んでいきます。道幅の狭いアーケードですが人通りが多く賑やかです。チェーン店もありますが、昔ながら営業していそうな商店や飲食店も多数見られ、ホッとします。
5分ほど歩き、アーケードの出口が近づいてきた辺りにうどん屋さんの看板が見えました。テレビで見たのと同じような光景ですが店名が変わっていました。何かあったのでしょうか。
ビルの奥に進み、店に入ります。それらしい店がありますが、写真で見たイメージと異なります。写真では内装は黒で統一されていましたが。目の前の店は白が基調の内装です。一瞬ためらいましたが、店主の中本さんらしき人の姿を確認し入店します。
席に着くと中本さんが注文を取りにきてくれました。テレビを見てから3年、ようやくこの店に来たことを実感します。「ごぼうの天ぷら」と「よもぎ肉うどん」を注文します。本当はおにぎりも注文したかったのですが、多すぎると思ったので我慢します。途中ですりおろした生姜が運ばれてきました。
約5分後、待ちに待ったよもぎ肉うどんが運ばれてきます。濃い目の色の出汁によもぎの緑がよく映えます。出汁を一口すすります。予想より甘めの味です。そこに、先ほどのすりおろし生姜をスプーンで加えます。味がピタッと合ってきます。さらに卓上の唐辛子を振りかけます。
よもぎとネギの緑、すりおろし生姜の黄色、唐辛子の赤、色鮮やかな3つの色が出汁と肉の茶色に乗っかり、見た目にも食欲を刺激します。
讃岐うどんはよくすりおろした生姜と一緒に食べますが、それ以外の温かいうどんで生姜と共に食べることはあまり経験がありません。
しかし、この肉うどんと生姜の組み合わせは非常に相性がよく、横を見ると妻が「生姜がおいしい」と言いながらスプーンで「追い生姜」を出汁に入れています。
肉の量も多く見た目はコッテリしていそうなうどんですが、食べてみるとそんなことはなく、どんどんと胃の中へ入っていきます。私はわずか130円とは思えないぐらい、量・質とも上等なごぼう天と共に、あっという間に食事を終えて店を後にしました。
小倉城方面に歩きながら、私は激しく後悔しました。
「どうしてちくわ天とおにぎりを食べなかったんだろう」
隣の人がこれらを食べていました。ちくわ天も130円とは思えない立派な大きさで、しかも揚げたてです。店の奥に漬物があり、おにぎりと一緒に食べていました。私は迷った挙句、食べ過ぎになると思って注文しませんでした。ものすごく美味しそうでした。
歩いて小倉城に着くころ、私は軽い空腹感を感じていました。15分前にうどんを食べたにも関わらずにです。よもぎと生姜が胃の調子を整えてくれたのでしょうか。食べる前よりお腹が減っている感じで不思議な気持ちになりました。
応援したくなる
小倉城を見学した後、私たちは街を2時間ほどぶらつき、井筒屋でお土産を買い、駅で軽くビールを飲んで4時前には新幹線に乗りました。
今回メインだった「よもぎ肉うどん」は、予想以上の美味しさでした。たった1杯のうどんと天ぷらを食べただけですが、それらが丁寧に作られていることが伝わってきました。「こういったお店を応援したい」自然にそういった気持ちになります。
小倉の街も、華やかさの面では他の大都市には劣るかもしれません。旦過市場から駅への商店街を歩いていても、かつてはもっと賑わっていたことが容易に推測できました。
「製鉄業が最盛期だったころのこの街はどんな雰囲気だったのだろう」私は思いを巡らせます。市電も市内に多数走っていました。清濁様々な要素がすごいエネルギーで混ざり合い、混沌の中にも秩序のあった街。私の勝手に作り上げた小倉の街を想像します。
私は、たった数時間、この街のほんの1面を体験したに過ぎません。しかし、この街をしきりに応援したい気分になってきます。発展を続ける福岡の陰に隠れ、この街の良いニュースがあまり伝わってこないため、なお一層そのように感じるのかもしれません。
今度は季節を変えて、この街にやってきたいと思いました。その時には必ず「よもぎ肉うどん 京家」でまたあの肉うどんと天ぷら3種類、そしておにぎりを味わいたいと思います。