季節は冬です
こんにちは、大和イタチです。
なんだか、時間が自分の周りだけものすごい速さで進んでいるような感覚を感じています。
ついこの前までうだるような暑さで「靴下はくの嫌だ。マスクしたくない」と思っていましたが、今では朝起きて、一番最初にすることがズボン下を探すことだったりします。
サウナに本格的に通い始めて、もう2年近くになります。この間、神姫間(神戸と姫路の間)を中心に、毎週のようにサウナに通っています。
定期的にサウナに入ることで、汗のかき方や体の重さから、自分の体調を意識できるようになりました。職場でも私は「サウナに行く人」という前提で話しかけられるようになりました。
世の中の多くの中年オジサンと同様に、私もサウナに入り、その後の至福のビールを味わい、正しく齢を重ねております。
四季がいつの間にか、グルグルと何度も何度も私の周りを巡り、年と共に肌の艶も筋肉の張りも落ちていることを、サウナに入りながら感じています。そんな体に、露天のととのいイスで、冬の寒さがゆっくりと襲い掛かってきます。
今年も冬がやってきました。そしてこの季節にサウナに入っていると、去年感じたものと同じ疑問が頭に浮かび上がってきます。
「それは”サ室で体を温める”とはどういうことを意味するのか?」ということです。
水風呂までの道のり
サ室の中には、なぜか12分計があります。この場所以外ではほとんど見ることのない時計です。ということは、私たちは12分間を基準にしてサ室で体を温める時間を考えます。
私も知らず知らずのうちにそういう癖がついています。
「ここは少し温度が高めだから、マイナス2分の10分間でいこう」とか「このセッションがラストだからプラス3の15分まで頑張ってみよう」というようにです。
しかし、この「12分」と「体を十分温める」ということには何か相関関係があるのか、という疑問が湧き上がってきます。あったとしても、それは平均値的なもので、個人には当てはまりません。
体の大きさや、暑さに対する耐性、汗腺の数、代謝、それらをコントロールする神経系などは、当然人によって異なるからです。
そんな中、私は12分という数字=思い込みに左右されながらサ活を行っています。そして、外気が冷えるこの季節、サ室を出る瞬間、度々頭に「?」が浮かんできます。
それは、十分に温まっていると判断した体が、サ室を出て5秒もすると「寒い」という反応をするからです。そして、それは水風呂に入ることをためらう信号を脳に送ってきます。
サウナの伝道師タナカカツキ氏の著書に「水風呂と戦えるほど体を温める」という表現があります。
見た目には暑いのを我慢しているように見えるが、彼らの頭の中はある別のイメージで満たされている。
サウナ室を出た後に入る水風呂の冷たさ、その後の外気浴、やがて訪れるあの恍惚。この灼熱から解放された時、あの快感がやってくる…
ひっぱって、ひっぱって
ひきつけて、ひきつけて
今やー!
タナカカツキ著 マンガサ道第2巻
12分計を見ながら私は体を温めていきます。体はまだいけるけど、頭が苦しいというタイミングがやってきます。頭を下に向け、タオルで顔を塞ぎ「あと1分間」と考えながら我慢します。
そして「もう充分だ!」と思ってサ室を飛び出し、水風呂へ向かいます。「冷水を体にかけて水風呂に飛び込もう」という気持ちは途中で急速に萎えていきます。
そして、私は水温40度の「かけ湯」へと向かい、そこで汗を流してから水風呂へ入ります。しゃがむ時、少し勇気を出して「エイヤッ!」と体を浴槽に肩まで沈めます。
水風呂に浸かっていると、それなりに気持ちいいし「サウナに来てよかったなあ」と思いますが、同時に未だ達成されない、タナカカツキ氏が指摘する「ひっぱって、ひきつけて、今やー!」の感覚、つまり「水風呂と戦えるほど体が温まった状態」への渇望が高まります。
外気温が高い夏は、まだ水風呂を前にして気持ちが萎えることが少ないのですが、冬になるとそれは顕著に現れます。この5秒でやってくる気持ちの落差、サウナーとしてクリヤすべき課題だ感じています。
自分と向き合う
様々なことが頭に浮かんでいます。
- 自分は我慢に耐性がなく、すぐ根を上げる人間なのではないか。
- 12分計を意識しすぎるから、実際の体の状態と苦しさにズレが生じているのではないか。
- 最初に体に入れる水分が足りないから、熱を維持しにくいのではないか。
- 水風呂と戦えるのは、体の構造が最適な一部の人に限られているのではないか。
体と心を楽にするための、つまり「思考」ではなく「感覚」が重視されるべきサウナについて、こうやってああだこうだと悩んでいる私がいます。その姿を、一歩離れた視点で見ると滑稽に見えます。
時を変え場所を変え、何度も何度も同じことを繰り返します。純粋に楽しめばよいこと、何も考えない方がうまくいく場面で頭でっかちになり苦しんでいる男、それが私の姿なのです。
「サ室から出て寒さを感じた」=「冬が来たなあ、こう少しあったまろうか」
本来その程度でよいと思います。そこに課題を設定し、それを克服すべき問題として思考を進めるのは無粋というものです。
私のこの性格、なかなか治りません。しかし、かつては私を苦しめていたこの性格も最近では「それもいいかなあ」と思うようになりました。それは、ブログを書き始めてから「そんな性格で悩んでいる変な自分がいる」ということがわかり始めたからです。
自分の姿を、すこし離れたところで見ることができれば、それは自分で会って自分で無いような、いろんなものが混ざり合った存在のように思えてきます。
混合物なので「~でなければならない」という一つになる必要はありません。「まあ、それもありかな」ぐらいの存在です。
というわけで、これからもこの「サ室から水風呂までに気持ちが萎える問題」について考えていきます。時に、新たなモヤモヤを作り出すことになるかもしれませんが、外の視点から見れば「それもアリ」です。
冬のフィンランドで、サウナから出た人々が、湯気を立てながら雪上や0度の池にダイブして恍惚の表情を浮かべている、そんな映像を見たことがあります。
私も、そのような体の温め方をして水風呂と戦える日が来ることを夢見ながらサ活を続けていきます。