出会って半年
縁とは不思議なもので、あることをきっかけに、1年前には全く想像していなかったことが現実となり、人生で大きな意味を持ち始めたりします。
6月のある日、妻との会話の中で、ふと「明石焼きの店をしてみたいなあ」という言葉が出ました。その会話は、かつて私が20代の頃知った1件のお店を思い出させました。
神戸市内にあるその店には、仕事で近くへ行った時5~6回立ち寄ったことがありました。食べ物は明石焼きとおでんだけの小さなお店で、当時60代に見えたおばさんが一人で切り盛りしていました。
香ばしく焼きあがった明石焼きが抜群に美味しくて、出汁に浸したり、ソースをつけたりしながら、瓶ビールを何本も開けたものです。同僚とそこで過ごした時間は、私にとって若き日の良い思い出です。
お店はもう10年以上前に無くなり、今は建物も残っていませんが、あの店内の雰囲気、明石焼きの香ばしい香りは、今でも明確に私の脳裏に刻まれています。
私は妻と明石へ通い始めました。
始めの頃は車で通ってましたが、やはり熱々で香ばしい明石焼きはビールとの相性が抜群です。すぐに電車に変えて、昼呑みしながらの明石焼きになりました。
そのうち、明石焼きの銅製の焼き鍋を手打ちで作る職人を知りました。明石市本町にお店兼工房を構える安福さんで、現在日本で唯一の職人です。
私は彼のお店に行き、明石焼きのお店を出すことに興味がある旨を伝えました。それに対し彼の答えは「みんなそんなこと言うが結局何もしない。この家庭用の焼き器でうまく焼けるなったら考えろ」というものでした。
私は、その場で9個用の焼き器を購入し、明石焼き屋への第1歩を歩み始めました。ちょうど半年前のことでした。
難しいが安定してきた
形や素材が似ている明石焼きとタコ焼きですが、大きく異なる部分もいくつかあります。
具材で言えば、タコ焼きは薄力粉を使いますが、明石焼きは「じん粉」というたんぱく質を取り除いた小麦粉をたっぷりの出汁と玉子に溶いて作ります。従ってタコ焼きのように固くはなりません。
焼き器も熱伝導の良い銅製のものを使います。銅は柔らかいので、表面を傷つけないために木製の菜箸を使って調理します。
焼きあがったものを、タコ焼きのように竹串で刺して盛り付けることは、明石焼きではその柔らかさから不可能です。だから、柄のついた焼き器の上に上げ板を当てて、180度ひっくり返して盛り付けます。
関西に住むものとして、タコ焼きは家で頻繁に作っていました。ホットプレートの鉄板部分を「タコ焼き仕様」に取り換えると、一度に26個のタコ焼きを焼くことができます。
タコ焼きをひっくり返すのは父親である私の役目です。私は竹串2本を器用に扱い、はみ出た部分を穴に寄せ、頃合いを見計らい半分焼けたタコ焼きをひっくり返し、さらに半球を焼き上げていきます。
上になった焼き上がり面に油を垂らすと、表面がパリッと焼き上がります。全体が固まったら2~3回くるくると回して油をなじませ、串で取り上げます。
味はともかく、形の面で失敗したことは一度もありません。ホットプレートの熱調整も一定のままです。
なんだかんだと言っても、小麦粉・油・鉄鍋の組み合わせは間違いがありません。
上の写真は焼き始めた頃のものです。安福さんから聞いた通り、何度も油を入れた鍋の加熱と冷却を繰り返し、水で溶いた小麦粉を数回焼き、「いざ焼かん!」と挑んだものの結果です。
タコ焼きとは比較にならないぐらい難しかったです。まず、銅の熱伝導がよく分かりません。お店の人の焼き方を見ていると、並んだ焼き器の場所を入れ替えてたり、火力を上げ下げしながら、生地への熱の通りを調整しているように見えます。私にはその感覚が全くありません。
それに鍋がまだ全然なじんでいないようです。お店の鍋は表面が真っ黒になっています。「あの色になるまでには何百回焼かなくてはならないのだろう」そんなことを考えます。
私は毎週焼き続けました。出汁を作るのは妻の役目です。妻も鰹と昆布を変えたり、時には液体出汁を使ったりと試行錯誤です。
じん粉、出汁、卵、塩の分量をノートに記し、焼く度に微調整していきます。すると鍋もなじんできたこともあり、何とか明石焼きらしい形ができるようになってきました。
私は上げ板にのせる瞬間が楽しみになってきました。「まん丸い明石焼きが板の上に9個姿を現す時、どんな表情を見せてくれるのだろう」その瞬間が待ち遠しくなってきました。
鍋にも徐々に貫禄がついてきて、黒い光を放ち始めていました。私は自分の腕を妄信し始めていました。
古今東西の教訓
上の写真は先週焼いた明石焼きと、上げ板に上げた後の鍋です。ぶざまなものです。一番最初に焼いたものよりひどいです。この半年間、何十回も焼いてきましたが、最もできの悪い明石焼きでした。
私は気が緩んでいました。焼く度に記録していた分量も、安定してきたらいい加減に書くようになっていました。そしてこの日、焼きながら違和感を感じていました。どうも卵の割合が少ないようで固まり方が甘いのです。
私はボールの中の生地に卵を一つ追加しました。そして出汁を適当に入れました。これは今までしなかったことです。
卵と出汁を追加したら必ずそれに合わせて足すべきものがあります。じん粉です。私はそれをしませんでした。だから茶碗蒸しを焼くのと同じことをしてしまいました。
「謙虚さを失い、慢心したところに災いはやってくる」
古今東西を問わず人類が伝え続けてきた教訓です。私は、ドラえもんに道具を与えられて有頂天になっていたのび太でした。
たかが明石焼きのことですが、それでもこの半年間私が相当の時間を使って取り組んできたことです。それに自分の未来を変えていくかもしれないものなのです。
「今すぐ仕事を変える」とは言いませんが、美味しい明石焼きを焼くことができ、店を出せるという自信を持ちながら仕事をすることはワクワクできることです。
人間が伝えてきた教訓とは面白いものです。こんな小さな分野にもきちんと当てはまってきて、私を戒めてくれます。
この週末、明石に行ってこようと思います。鍋の色のムラが気になるのです。安福さんの教えを受け、気持ちを引き締めてまた銅鍋に向かいます。