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半年たって壁に当たる

昨年の6月、妻とのちょっとした会話から明石焼きの世界に足を一歩踏み入れることになりました。

最初のうちは休日明石に行って食べ歩くだけでしたが、すぐに昼飲みしながらの食べ歩きになりました。これが私たちにとって至福の瞬間で、明石焼きをほおばりながら、火照った口をビールで冷ますと、夫婦の会話も弾んできます。

「明石焼き食べながらお酒が飲める店を出したいなあ」

店の名前、間取り、客層、メニュー、私たちは夢と現実が半々に混ざったようなことを、たわいもなく想像していきます。

そんな中、明石市内にある70件以上の明石焼き屋のほとんどで使用されている焼き鍋について話を聞きました。その鍋は明石市本町にある「ヤスフク明石焼工房」で作られているもので、そこには手打ちで作る明石焼き鍋の最後の職人がいることも知りました。

いてもたってもいられなくなり、その店を訪問したのが去年の7月のことでした。

「あの~、いつか明石焼きの店をやりたいと思っているんですが…」

恐る恐る言う私に安福さんは、

「みんな同じことを言うんや!でも結局はやれへん!この家庭用の鍋で焼いて、うまくできるようになったら来い!」

という温かいお言葉をいただきました。


(安福さんの名誉のために書いておきます。文面ではキツイ言葉の印象を与えますが、実際はものすごく会話好きで温かく、この何十倍も良きアドバイスをいただいた中の一部抜粋です。)

私はその場で「3×3=9個用」の焼き鍋を購入し、油で慣らした後、次の日曜から明石焼きを作り始めました。

新品の鍋 

最初の数回は散々でした、普通のタコ焼きを焼くつもりで挑んだ私をあざ笑うごとく、この鍋は持ち主の言うことを聞いてくれません。明石焼きなのか崩れた玉子豆腐なのかわからないような物体が並んでいきます。

これは何ですか?

私の闘争本能に火がつきます。不器用でも毎週5~6枚焼いていると、少しずつコツがわかってきます。私は油の引き方や火加減など、小さな工夫を重ねることで、何とか明石焼きらしきものを焼けるようになってきました。

幸い子供たちも明石焼きが大好きで、毎週のように焼いても喜んで食べてくれます。土曜日に地元の魚屋さんでタコを買い、それを使って日曜日に明石焼きを作るのが私のルーティーンとなりました。

2か月ほどで形は安定してきましたが、10月ぐらいから「少し焼きにくいなあ」と感じるようになってきました。半分焼き上がったものを箸でひっくり返す時、少し返しづらいと感じる時が出てきたのです。

「油が足りていないのかなあ?」そう考えた私は、ひっくり返した後鍋に油を回しがけしてみました。ちょうど、タコ焼きを焼く時、最後に表面に油をかけてカリっとさせるあの感覚です。

しばらくはそれでしのいでいたのですが、すぐに元の状態に戻ります。9個ある穴の中で、手前の3つでその現象が起こりやすく、上げ板にのせた時、明石焼きの一部が鍋にくっついたままになります。

この、鍋に上げ板をつけ、「せーの」でひっくり返し、鍋を上に上げた時現れる、少し焼き色がつき縦横きれいに並んだ玉子焼きの姿は、一連の作業のクライマックスで、この美しい景色を見たくて努力をしていると言えるぐらいです。

それが、ここ最近きまってくれません。明石焼きを焼き始めて半年経ち、私は壁に当たりました。

レジェンドに助けを求め

焼き方にも工夫の余地があると思うのですが、私は焼き鍋の状態がよくないと考えました。表面の色にムラがあるのです。お店の鍋を見ると、どの店のものも表面には銅の色は全くなく、べったりと黒光りしています。片や私のものは、黒い部分と銅色の部分がまだらです。

明石焼きの焼き鍋のことならあの人しかいません。私は明石の「ヤスフク明石焼工房」を訪問しました。粉を買ったり、追加の上げ板買いに行ったりしたため、私のことは覚えてくれています。しかし、安福さんからアドバイスをいただくのは大変なことなのです。

私は鍋の様子をスマホで写真に撮り、安福さんに見せようとしました。しかし、このお方、本当にお話し好きなんです。そして、ものすごく話題が豊富で、こちらとしては困ったことに、その話題が「明石焼き」以外のことが多いんです。

この時も私がスマホを取りだした瞬間、そのスマホに食いついてこられました。

スマホケースのこと、中の設定のこと、待ち受け画面のこと、私としては焼き鍋の写真を見ていただきたいのですが、そこまで到達できません。

結局この日私が行ったことは、お互いの電話番号とメルアドを交換することと、安福さんの受信メールフォルダにたまった数百通のジャンクメールを消去するお手伝いでした。店の外には次のお客さんが待っています。私は泣く泣く店を後にします。

「もう、安福さ~ん!」と思いますが、こんなことも含めてこのレジェンドと接する時間を持てることは幸せなことです。

別の機会で、私は写真を見てもらうことに成功しました。

これを見てもらいました

「おーッ、ええ色がついてきよるなあぁ」そうおっしゃるやいなや、「オーイ、これ見たって!」と奥さんを呼びます。

どうやら使用開始後の鍋の状態については奥さんが得意なようです。

「ええ色ついてきてるけど、焼きにくいやろ?」

「この手前のとこがくっつかへんか?」

「火をつけたまま生地入れとるやろ?」

安福さんは銅鍋つくりのレジェンドですが、奥さんは使用中の鍋の状態を判定するもう一人のレジェンドでした。私が言葉を発する前に私の焼き方と心の中が次々に読まれていきます。

百数十年続く「ヤスフク明石焼工房」は安福さんのおじいさんが始められたそうです。父と祖父の背中を見て育った安福さんが鍋を作り始めてもう60年以上になります。日本で、当然世界でただ一人の手造り明石焼き鍋の職人です。

「ワシで終わりや」

元気な声で安福さんは私にこう言います。戦前生まれのこの職人さんと、傍らでそれを支えるもう一人のレジェンドが、これから先も長く元気でおられることを願ってやみません。

心を柔軟に

奥さんからもいただいたアドバイスを実行に移していきます。

鍋に油を引いて、弱火で気をつけながらなじましていきます。時々平らな部分にも油をつけながら、丁寧に丁寧に慣らしていきます。1回30分火と油を通した後は、自然に冷ましていきます。決して水で洗ってはいけません。

焼き器の表面の黒色はじん粉が固まったものらしいです。普通の鍋では汚れとして扱われるものも、明石焼きでは鍋を作って行く要素になります。

ただ、その黒く変色したじん粉も蓄積しすぎると焼きにくくなったり、剥がれ落ちたりするそうです。そうなればメンテナンスの時期です。

「薬局に身分証明書とハンコを持って行って、苛性ソーダ買ってきてな…」

奥さんの口から、普段耳にすることのない薬品の名前が出てきます。

「柄の手前まで鍋につけて、湯を沸かして、スプーンで入れたらボコボコっとなるから…」

「いっぺんに入れたらあかんで。ドカーンとなるで」

明石焼きの世界は未知のことだらけです。鍋のメンテの話を聞くと「私にこんなことができるのだろうか」と思いますが、まあ、今のペースで焼き続けていても鍋が焦げで使えなくなるまでには数年はかかるそうです。気楽に考えることにします。

焼き方でいえばもう一つ、妻のアドバイスで熱源を変えてみました。

鍋の購入直後は台所のガスコンロの五徳の上に直接置いて焼いていたのですが、箸で返す時五徳からズレていくのです。

そこで倉庫に眠っていたイワタニの「炉端大将」を出すと、鍋とぴったりと合います。

これで焼いていました

私は「これだー!」と思って使い続けていましたが、妻は「火力が弱いんじゃないの」と言い続けていました。

しかし私は聞く耳を持たず、うまく焼けない明石焼きに首をかしげながらも使い続けました。

安福さんに救いを求めに行った後、私は妻の言うことも聞いてみようと思いました。それほどうまく焼きあがらないことに凹んでいたのです。

何事も謙虚さが大切です。久しぶりに台所のコンロで焼いてみます。明らかに焼き上がりまでの時間が短くて済みます。そしてひっくり返す時スムーズで、カリっとした半球面が姿を現してきます。

この日は何度焼いてもうまくいきました。かつては半分焼けた球体を反対にする時五徳からズレていた鍋も、今では何事もなかったように安定して返せます。要は、私の焼き方が未熟過ぎたということです。

何かを始めてしばらく続けると、ちょっとしたコツがわかってきます。それが嬉しくて続けていくわけですが、そこには落とし穴が待っています。

上手くいっている時には自分のやり方に疑いを持ちません。季節が変わり、気温や湿度も変わり、もちろん鍋の状態も変わり、じん粉や玉子やタコの質も変わり続けます。閉ざされた心では、そんな変化に対応できるはずがありません。

またここでも当たり前のことを学びました。

「心を柔軟にし、五感を済まして変化に対応せよ」

たかが明石焼きのことですが、そこから「懲りずに繰り返し現れる自分の未熟さ」と、「その訂正へと導いてくれる知恵」を再確認できるところが、たまらなく面白く感じられます。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。