電車と過ごす1日

地味な私鉄

関西と言えば首都圏と並んで私鉄が発達している地域です。世界的に見ても、日本のこれら二つの地域ほど私鉄が発達している場所は他に無いと思います。

もちろん、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ソウルといった大都市では日本の首都圏・関西に負けないくらい密な鉄道網が見られますが、私が言いたいのは「私鉄」が発達しているということです。

基本的に世界の大都市では、公共の地下鉄とかつて国有であった地上の鉄道路線が組み合わさって、都市交通網を形成しています。そして、都市の交通連合体が、成り立ちの異なる路線をバスやトラムを含めて1つの組織として運営しています。

一方、日本の交通は、その成り立ちから統一性に欠けています。国が全国を結ぶ主な路線を作り、都市部に関しては、それぞれの私鉄が勝手に路線を伸ばしていった感があります。

特に関西では、大阪を中心に5つの私鉄が国鉄に挑戦するかのように各方面へ路線を建設していきました。

私の住む兵庫県南部でも、私鉄が元国有鉄道であるJRと並行して走っています。代表的な例は、大阪ー神戸間の阪神・阪急電車、大阪ー宝塚間の阪急電車でしょう。これら2つの私鉄は大手私鉄で、抜群の知名度を誇っていますが、我が県にはもう一つ地味ながらJRと並走している私鉄が存在します。それが今日の主役、神戸ー姫路間を走る「山陽電車」です。

この山陽電車、地元では「山電(さんでん)」と呼ばれて親しまれていますが、兵庫県以外の人には知名度が低く、関西を外れると鉄道好き以外人は名前すら知らないでしょう。路線は神姫間の本線に加えて、姫路市内の網干へと延びる支線が1本で、両方合わせて約60キロの路線を有しています。

この路線距離、阪神電車を超えていて、兵庫県内の阪急にも迫る勢いです。しかし、人気球団を有する阪神、歌劇団やデパートを始め高級なイメージを持つ阪急と比較すると、明らかに華やかさに欠けています。一言で言えば野暮ったいんです。

しかし私、この山陽電車がすきなのです。大手私鉄ほど脚光が当たらない中でも、何とか頑張る姿に好感が持てるんです。

ということで、今日は仕事が休みなので、一日山陽電車と付き合うことにしました。

西のターミナル 山陽姫路駅

お得な切符

大都市圏を走る私鉄に対して、山電は中小の街の乗客を少しずつ拾っていきます。乗降客数も大手に比べて大きく開きます。そのため料金設定も高めです。完全に並行する明石ー須磨間では、可哀そうなぐらいJRに負けています。

この不利な状況の中、少しでも電車に乗ってもらおうと、山電では様々なお得な切符が売られています。わずか2路線しかないにも関わらず、阪神電車とタッグを組んだり、バスと協力したり、沿線の百貨店やアウトレットの金券をつけたりと、涙ぐましい努力です。

私はそんな中の1つのフリー切符を買い、電車に乗り込みます。予定は何もありません。気ままに好きな電車に乗って、好きな駅で降ります。

一日何も考えずに、のんびりと電車に乗って心を開放してやればよいのですが、そこはモヤモヤ歴の長い私です。ここでも、カバンの中には各種語学の本を忍ばせて”有意義な”時間を持とうとしています。

子どもの頃は違っていました。純粋に鉄道だけに集中できていました。今は、鉄道の楽しみながら時間を語学などの”建設的”なことに使うことを強いられています。そして、強いているのは自分自身の心ということが悲しい所です。

ブログを続けているのは、その強迫観念から解放されて、純粋に目の前の「今」を味わうことのできる自分を再構築するためでもあります。

まあ、ともかく電車の中で本を読み、語学の音声を聞きます。

途中「大塩」でツートンカラーの3000系に出会いました。私は反射的に下車しました。

3000系

最高の響き

私は子供時代は「乗り鉄」現在は「飲み鉄」なので車両のことはそれほどわかりません。しかし、この山陽電車の3000系は、私の子供時代好きだった国鉄の113系電車と雰囲気が似ているので、好感を持ち続けていました。

子供時代は関西から東京方面・九州方面のどちらへ向かうにしても、乗り継ぐのは113系電車か、111系・115系などその兄弟でした。若き日の私は長期休業中になると、青春18切符を手に、それらの電車に乗って遠くまで旅をしたものでした。

私の住む地域から113系が消えてもう20年になります。山陽電車のこの形式は、そんな昔の記憶を呼び起こしてくれる電車です。車両に詳しい人からすると、的が外れているかもしれませんが、私にとって標準軌の3000系は、狭軌の113系の兄貴分のような気がします。

4両編成の内、一番神戸よりの車両に乗ります。客は5人ほどしかいません。私がこの車両を選んだ理由は、モーターのついた車両だからです。

コンプレッサーが始動します。最新の車両では聴くことのできない音が床下から伝わってきます。スタッカートの効いた低い音、半世紀前のゆっくりしたリズム、本当に素晴らしい響きです。特に、スイッチが入った後「ズクズク」までの「フイーン」という長めの起動音に鳥肌が立ちます。

私は、本を読むのをやめてしまいました。「今日は3000系とできるだけ多く過ごしたい」そんな気分になっていました。

降りたことのない駅で下車します。姫路方面でも神戸方面でも、3000系がやってきたら乗ります。それ以外の車両が来たら、もう一本待ちます。そんなことを何時間か繰り返していました。

普通車(山陽電車では普通列車のことをこう呼ぶ)は大抵空いています。1本のロングシートにを一人で使うなんてことはざらにあります。私は今、贅沢な時間と空間の使い方をしています。気持ちがほぐれてきます。

途中、東二見駅の古い木製ベンチで缶ビールを空けます。時刻は12時前ですが、飲み鉄の本領発揮です。

東二見駅の味のあるベンチ

電車と合唱 そしてその先…

神戸と姫路の間を行ったり来たりしています。少しビールが入りいい気分です。トイレに行きたくなったら次の駅で降り、少し周辺を歩き、コンビニでビールを買い、少し飲んで、少し電車に乗って。そんなことを繰り返すうちに、再びあのツートンカラーの3000系に遭遇しました。

神戸よりの車両に乗って姫路を目指します。駅で開いたドアが「プシュー」というエアの音と共に「ガチャリ」と閉まります。どちらの音も、現代の車両に比べたら大仰で存在感があります。

車掌室の「チャン、リン」という運転手との連絡のベルが響き、モーターがうなりを上げ始めます。そして、そのモーター音に重なって例の最高のコンプレッサー音が…。私は目を閉じて、この車両が奏でるハーモニーを味わいます。

飾磨の手前「妻鹿駅」でこの車両に私以外の乗客はいなくなりました。私の声帯が自然に震え始めます。人間の歌を歌っているのではありません。私とこの車両によるデュエットです。エア音、モーター音、コンプレッサー音、ジョイント音、誰もいない車内での私と3000系との合唱が続きます。

途中、ある誘惑に私はひざまづきそうになりました。それはモーター音をより近くで聞くことです。それはつまり、文字通りひざまづいて床に耳を当てるという行為。

「タモリ倶楽部」でタモリと鉄道好きのゲストがこの行為を行うのを、私は半分呆れて、半分は羨ましく見ていました。床一枚隔てた至近距離で聞くモーター音はどんな音なのか、興奮してきます。

私は葛藤しました。しかし、結局は断念しました。私しか乗客はいないとしても、すぐ後ろには車掌さんがいるのです。そんなことをしたら体調不良で倒れたと思われ、救急車を手配されかねません。ただでさえマナーの悪い人が多く、警戒されている鉄道マニアです。鉄道を愛する私が、その中の1人にはなりたくありません。

「しかし、これが神戸方面の列車で私しかいなければ、運転手から床に耳をつける私の姿は見えないはず…」ほどよく回ったビールのせいか、私の危険な妄想は続きます。

姫路に到着

結局そのあとは姫路の街をぶらぶらして、3000系ではなく特急に乗って帰路につきました。

帰宅して3000系について調べてみました。どうやらこの形式の引退は近く、あのツートンカラーはこの春で終わりとのことです。

急激に寂しさがこみ上げてきました。私と音楽を奏でたあの車両。近いうちにもう一度、一日中一緒にいようと心に決めました。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。