一線を超えた?

明石焼きとの関係

私と明石焼きとのこの一年間の関係を簡単に記してみます。

6月上旬

 妻と会話をする中で「お店を出すなら何がいい?」という話になる。どちらからともなく「明石焼きはどう」という提案。私は、神戸市垂水区にあったおばちゃんが一人で切り盛りするお店で、明石焼きをつまみに美味しいビールを飲んでいたことを思い出す。明石焼きのお店、よさそうだ。

 早速次の休日、妻と明石へ出かける。魚の棚の西「いずもや」で明石焼きとビールを堪能。その店は、かつて出張の際上司が連れて行ってくれた店で、禁断の「勤務時間内昼飲み」をしたことを思い出す。

6月下旬

 毎週末、妻と明石へ通う。魚の棚周辺の店で「明石焼き+ビール」を堪能する。単純なような明石焼きであるが、店によって味や風味が大きく異なることを知る。タコの代わりにアナゴが入ったものも発見。その香ばしい香りに感動。

 匂いマツタケ、味シメジ ⇒ 香りアナゴに、味マダコ

7月中旬

 食べ歩くうちに、明石焼きの焼き器「銅製の焼き鍋」を手作りで作る日本で唯一の職人が明石にいることを知る。そしてそのお方「ヤスフク明石焼き工房」の安福さんを訪ねる。
 「いつか明石焼きのお店を出したい」という相談に「これでうまく焼けるようになったら考えなさい」という提案。家庭用の9個用焼き器を購入。

新品の焼き器

 毎週末、少しづつ分量を変えながら、家庭で明石焼きを焼き続ける。

9月~10月

 夏よりペースが落ちたが、妻と明石へ通い、相変わらずの「明石焼き+ビール」。いつか店を出したいという思いが募っていく。明石焼きの世界の奥深さを感じる。

 毎週末に家庭用焼き器で調理。香ばしさと昆布出汁の味わいがポイントだと考える。しかし、なかなかおいしい味が出ない。液体出汁を使った方が美味しかったりするのでガッカリ。

11月~12月

 焼き器の調子がよくない。色にムラがあるし、上げ板にのせてひっくり返したとき、一部がこびりついて離れない。

 助けを求めて安福さんの所へ行く。安福さんと奥さんの両方からアドバイスをいただく。

 変わらず毎週末は明石焼きを焼く。焼き方も味も向上してきていると思うが、時には失敗もする。しかし、焼いていてとても楽しい。店をやってみたいという気持ちになるが、思いだけではどうにもならない。

1月~

 モヤモヤしながら明石焼きを焼き続ける。モヤモヤと書いたが、私にとっては珍しく「いい意味」でのモヤモヤ。頭の中でいろいろな葛藤が起こるが、その先にあるのは楽しそうに明石焼きを焼いて客に出している私の姿。

 葛藤の中身は…

葛藤

人生とは面白いものです。1年前には想像もしていなかった景色が目の前に現れ、その未知の世界の中でワクワクしたりハラハラしたりしています。万物は流転していきます。いい方向にも、悪い方向にも。さらに「良し悪しはそれほど大切ではない」と思える方向もあります。

去年の今頃は明石焼きのことなど1ミリも頭に浮かんでいませんでした。それが今ではいい意味で明石焼きに心を乱されています。

「いつか明石焼きの店を出す」その方向性は定まっています。店を出す場所も夫婦の間で合意ができています。

「店を出す形態」これもだいたい理解し合っています。それは明石焼きの店専業でやっていくというわけではなく、週2日程度の営業で、利益をそれほど考えないということです。

なぜこの形態で考えているのかを書き出すとものすごく長い話になるので、ここでは省略させていただきますが、いずれ店を開くときにはこのブログで説明したいと思います。

とにかく、利益を考えない営業ということは、私たちが食べで行ける目途、少なくとも週3~4日の明石焼き以外の労働で生活するに十分な収入を得る方策を考えなくてはなりません。

私があと20年若くて今の金融リテラシーがあればFIRE(Finacial Independence Retire Early)を目指していたと思います。しかし、私がお金の勉強を始めたのは最近のことで、それまでは子供と変わらない知識しか持ち合わせていませんでした。

そんな中、利益を求めない週2日程度の店を開こうと思えば、サイドFIREが現実的な手段になってくると思います。ということで、その条件整備を考えているところですが、このことが私に最大の葛藤を生み出しています。

サイドFIREの条件整備にはある程度の時間がかかります。少なく見積もっても5年、普通で10年程度は必要です。ということは、私が客に明石焼きを提供するのは最低5年先になります。

その日が来ると仮定した時、私には譲れない条件があります。それは明石焼きは安福さんの作成した焼き器で作りたいということです。現在、明石市内にある明石焼き屋の7割は安福さんの鍋を使っています。食べ歩きで訪問した店は、ほぼ安福さんの鍋を使っていました。持ち手の部分が四角なのですぐに分かります。

ヤスフク明石焼工房は明石焼きの黎明期から150年に渡って銅鍋を作り続けてきました。いわば、明石焼きとは、「歴代の安福さん」の鍋で焼いたタコ入り玉子焼きのことです。今の時点で少なくとも70%はその定義が当てはまります。

そんな手作りの銅鍋職人も安福さんが最後の存在です。

「ワシで終わりや」と安福さんは言います。

今は、こちらに何も言わせないぐらい元気にマシンガントークを浴びせかけてきます。私の鍋の状態を記録した写真を見せ、アドバイスをもらうのに、3回通いました。とにかく、こちらが口を挟めないぐらいのトークなのです。

しかし、これは想像したくないことなのですが、5年後、私が業務用の銅鍋を注文した時、80代半ばになった安福さんが今と同じように銅鍋を作っているのかどうかは不明なのです。

ある安福さんを紹介した新聞記事を読むと、手作りの銅鍋は1日に2個作るのが限度だそうです。

私は葛藤しました。

すぐに使うあてのない鍋を注文するのは安福さんにとって失礼なことなのではないか。それは「この先、もっと年をとれば鍋が作れなくなるでしょう」ということをほのめかしているのではないか。

人は誰もが平等に年をとっていきます。私も安福さんも、世界中の誰もが、思うように体を動かせなくなる日が、いつか来ます。それはわかっていても、他人にそのことを暗示されるのはツライことだと思います。

しかし、私には私の思い描く人生の形がある。今決断しないと、未来のある時点で後悔する自分の姿が見えます。私は、去年の12月、安福さんのもとへ相談に行きました。

ついに手にしました

安福さんが、私の話を聞いて何を思われたのか、私には想像することしかできません。「嫁さんに店出させたらええがな」とおっしゃり、しきりに周辺の物件情報を教えてくださいましたが、私の妻にも予定があります。

「今は注文が多いから、ちょっと時間かかるで」

そう言うと、安福さんは快く私の注文を受け入れてくれました。

店舗に隣接した工房を覗くと、作りかけの数多くの焼き器が見えます。その奥には何も加工していない光り輝く銅板が。私の注文した鍋も、この工房で、レジェンドの打ち出す木槌により、あの銅板を加工しながらできるのだ、そう思うとワクワクしてきます。

注文から約2か月半、安福さんから電話がありました。日時を約束して車でお店に向かいます。

手作りの銅鍋

私が注文したのは12個焼きの銅鍋2つとそれを乗せるためのガスコンロでした。

いつものように一通りの世間話を(一方通行ですが)終えると、安福さんが完成した焼き鍋を見せてくれました。今私が使っている家庭用の9個焼きを縦方向に3分の1延ばした形の12個焼きの鍋です。

「同じ大きさで15個もできるで」と言われていましたが、私は焼く手間や店の形態を考えて12個焼きにしてもらっていました。

奥さんが使い方と手入れの仕方を説明してくれます。明石市内に数多くある明石焼き屋の人々も、商売を始める時はこうやって焼き鍋を受け取り、奥さんの説明を聞いたことでしょう。

最低でも5年先に開業しようと思っている私ですが、こうして業務用の焼き器を目の前にすると、明石焼きの職人になった気がします。

プロパンガス用焼き台

こんな焼き台を持っている一般人はどれぐらいいることでしょう。考えると思わず笑みがこぼれると同時に「ついに一線を越えてしまった」という思いが湧き上がってきます。

去年の今頃、自分が1年後に大枚を払っていつ使うのがわからないような業務用調理用品を買うなんて、想像できませんでした。これだから人生は楽しいのです。思いがけないことを考え、思いがけない人と出会い、想像しなかった道が目の前に現れます。

焼き器とコンロ
12個用上げ板

この焼き器とコンロに加えて上げ板も2枚購入しました。店を出すのならその5~6倍は上げ板が必要なのでが、あえて2枚だけ買いました。理由は、これからも定期的に安福さんのお店に通うための口実が欲しいからです。

フライング気味に購入したこの焼き器を、実際に使って商売するまでには、数多くの解決するべき課題が横たわっています。

今私が思い描いているのはサイドFIREです。これはFIREのように金融資産のみを頼りに生活をすることは無理ですが、生活の一部は不労所得で賄えるため、フルタイムでの勤務をやめることができる状態です。

私を取り巻く数多くの要素がこれからどのように繋がっていくのかは、なかなか見えてきません。しかし、サイドFIREができる力を身に付けながら明石焼きのお店の開業準備を続ける、これが今からの私の目標になりそうです。

 

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。