テレビは見ないと言ったが…
私のモヤモヤとの戦いは、時間の使い方との戦いです。人は生まれ、生き、そしていつの日かこの世から去ります。その間、限りのある時間をいかに”有意義”に使うのか、そのことに頭を取られ過ぎて苦しんでいるのが私の姿だと思えるようになりました。
これは私を苦しめている本質的なテーマなので、改めて真剣に考えて書きます。今日、これから記そうとしているのはテレビについてです。もう少し詳しく言えば「テレビの中で描写される戦争」です。
「何かを得るために何かを捨てる」そう考えて私はいくつかのことをあきらめています。その中の一つがテレビを見ることです。大相撲は例外ですが、それ以外のテレビ番組を見なくなりました。去年の暮れからです。
昨年10月よりNHK連続テレビ小説「澪つくし」の再放送が始まりました。若き日の沢口靖子の美しさに心奪われた私は、レコーダーに放送を撮り、帰宅後見ていました。
惣吉とかをるが結ばれて、これからストーリーが大きく展開していく中で視聴をやめることは苦渋の決断でしたが、ダラダラとテレビを見続ける自分の姿もモヤモヤの原因になるとわかっていたため、妻に自分が見終わったらすぐに消去するようにお願いしました。
見ないなら見ないでどうってことありません。私はネットであらすじを読み、それで満足していました。
そんな中3月に入り、この番組を見ている妻の横で思わず私も見入ってしまったことがありました。実はそれから、澪つくしの視聴が再開しています。
今までなら「また自分で決めたことが守れなかった」と自尊心を低下させる場面ですが、今回は違います。番組を見ないほうがモヤモヤが溜まっていきそうな展開であったからです。
その展開とは昭和10年代の日本、政党政治が終わり、日中戦争から太平洋戦争へと突入する時代です。
忘れていた感覚
多くの日本人にとっても同じであると思いますが、私にとって戦争と言えば昭和13年から20年までの一連の戦いを意味します。直接その時代を過ごした祖父母は「戦争の時は…」とよく口にしていました。
私の父はその時代の話を聞くのが嫌そうでしたが、私は興味がありました。そのためか、特に祖父は私に戦争体験をよく語ってくれました。その時祖父は、固有名詞や指示代名詞をつけない「戦争」という言葉で日中・太平洋戦争を語りました。
当時小学生だった私は、子供にしては珍しく、戦争に対して敏感でした。図書館で太平洋戦争関係の本をよく読みました。半分は興味から、半分は恐怖・怖いもの見たさでした。「おじいさんの言うことや、本に書かれていることが本当にあったのか?」自分の生きる時代とのあまりの相違に目まいがしました。
話はテレビの中の戦争でした。
「澪つくし」の中で戦時色の高まりが描写されます。私は思わず見入ってしまいます。これは最近のテレビ番組には無いことです。つまり、最近の番組の戦争に関する場面は、私にとっていまひとつリアリティーがないんです。
私が祖父から聞いたあの戦争の雰囲気。図書館で読んだ本から感じた、沼に引きずり込まれていくような恐怖感、それが伝わってこないんです。
忘れかけていたその感覚が「澪つくし」を見ることで久しぶりにやってきました。その何とも言えない恐怖感は、一見私にモヤモヤを与えそうに見えますが、反対にそれを取り除いてくれます。
その理由は、現代に生まれたこと、つまりあの時代に生まれなかったことの幸運さを太字にしてくれるからです。より不幸な時代との比較が、現在を生きるための浮力を与えてくれるのです。
恐怖の空気
どうして最近の番組から得られないリアリティーを「澪つくし」からは感じられるのでしょうか。
それは、作品が製作された時代が関係していると思います。
「澪つくし」は1985年(昭和60年)に放送されました。終戦からちょうど40年です。つまり40歳以上の人間は戦争経験者で、社会を動かす中枢はそれらの人々で占められていました。その中には戦争で兵士として戦った人々も多くいたでしょう。
令和3年の現在、戦争を体験した人はかなり少数派になりました。その中でも、当時の雰囲気をはっきりと語れる人はほとんどいなくなりました。そんな人口構成の違いが、この番組の戦争関連シーンにリアリティーを出しているのだと思います。
番組を見ていて私が恐怖感を感じるのは「破壊へと向かう同調圧力」が描写されるシーンです。確かに、現在の日本でも同調圧力は強く感じられます。しかし、断ることのできない二者択一、実質的に選択肢の与えられない圧力に背筋が凍りそうになります。
「どちらにするのかは自由であるが、愛国民なら…」
私は想像します。当時の人々はこの言葉をどういう気持ちで聞いていたのか。このような言葉がまかり通る中で、何を希望として生きていたのか。
登場人物は、このどうすることもできない同調圧力に行くべき道を規定され、表面上その運命を喜びながら、沼の中へと引きずりこまれていきます。
上官が新兵にビンタをして気合を入れるシーンがありました。その時のセリフが頭から離れません。
「お前らの代わりは1銭5厘でいくらでも集まるんだ」
私は、最近見た、トカゲに小さな虫を餌としてあげる動画を思い出しました。トカゲが虫を食べます。なくなったら餌の虫がケースに補充されます。上官にとって新卒の兵隊は、その補充される虫程度のものなのかもしれません。個体が識別されない装置としての人間。
「そんなことホンマにあったんかいな!」
現代しか知らない私はそうツッコミを入れそうになりますが、戦争を知る人がそういう脚本を書き、それが受け入れられているということは、そのどうしようもない雰囲気に支配される時代があったのでしょう。
現代にも時代に合った人々を苦しめる宿痾が存在します。しかし、こうやって80年前の時代を描くドラマを見ると思えるんです。
「今は自分の人生選べるやん。生きていけるやん。それでええやんか。モヤモヤはおまけみたいなもん」
私のモヤモヤは、”有意義”に生きることにこだわり過ぎることから派生するもの。しかし「生きること」が難しかった当時の人は、私と同じモヤモヤを感じる余裕もなかったのでしょう。
私は、モヤモヤすることのできる幸運な時代に生きています。