湯村温泉で見た食物連鎖

久しぶりの湯村

こんにちは、大和イタチです。
私の住んでいる兵庫県は、県の南北に全国的に有名な温泉を有しています。
南は神戸・大阪の奥座敷である有馬温泉。
北は志賀直哉の小説に取り上げられ、最近は外国人でいっぱいの城崎温泉。
知名度・人気共にこれらが兵庫県の2トップですが、それに続く温泉の一つとして今回私が訪問した湯村温泉があります。

兵庫県北西部、鳥取と県境を接するその名も「新温泉町」にあるこの温泉は、吉永小百合主演の「夢千代日記」というドラマで有名になりました。が、最近の若者はわからないかもしれませんね。

そんな湯村温泉に、家族・親戚の集まりでやってきました。

何回か記事に書きましたが、私は家族や親戚付き合いに恵まれていると思います。本当に感謝しています。今回も、総勢13名が集まり、楽しいひと時を過ごすことができました。
世の中には、この「親族」という部分で悩んでいる人が多いのに、私はその逆で力の源になっています。そのことを考えると私は「モヤモヤしている場合じゃないだろ!」と自分に言いたくなるのですが、そんなことを考えると、また自分にダメだししたくなってきます。悪循環ですね。
その悪循環を断つために、こうやってブログで自分の心の微調整をしているのですが。

話は脇へそれましたが、その湯村温泉、山間のひっそりとしたいい温泉です。ひっそりとしていますが、設備の整った大きなホテルも数件ありますし、小さいながら温泉街もあって、散策が楽しめます。

街の中心に春木川という幅10メートルほどの川が流れていて、その河原に「荒湯」と呼ばれる98℃の日本一熱い源泉が湧き出ています。
荒湯は、御影石でできた立派な柵で整備されており、そこには卵や野菜をゆでるための場所もあります。

たまごの横に鯉の餌

湯村温泉を訪れた観光客にとって、この荒湯で卵をゆでて食べることが一つの定番コースになっています。
そのため、荒湯を囲むようにある土産物屋は、どこも店頭にナイロンネットに入った生卵を売っています。

私も例にもれず、卵を買い、荒湯の柵に付いたフックにネットを結び付け、卵の入った部分を湯の中につけます。
夏の昼前、98℃の源泉から湧き上がる湯気が顔に襲い掛かってきます。

待つこと約10分で、やわらかめのゆで卵が出来上がります。
河原にある足湯につかりながら、カラを向き、付属の塩をつけて食べます。
数メートル前には春木川。少しせき止められたゆっくりとした流れの中に、鯉が泳いでいます。
しかし、鯉以上に目立ったのは、丸々と太ったウグイです。数、勢い共に鯉を凌駕していて、流れの主役のようです。

私は、土産物屋の卵の横に売られていた鯉の餌を思い出し、「これかっ!」と思いました。緑がかった茶色の、兎の糞のような形をしたあれです。
原材料は何かわかりませんが、持った後きれいに手を洗わないと、いつまでも匂いが残ってしまうあれです。

私は、早速、100円払って1袋を手にし、淀みの中へ10粒ほど投げ入れてみました。
瞬間、静寂な川面が一気にきらめき立ちます。周りの魚が、10粒の餌を求めて集結!その部分が盛り上がります。
しかし5秒もすると、また元の静かな川面です。

それにしても、ウグイの動きの素早いこと。そしてその存在感。流れの中央はウグイの群れに陣取られて、鯉は私たち(つまり餌が来る方と)反対側に追いやられているようです。

おそらく、観光客用に鯉を川に放ち、餌を売り始めたのでしょう。
ところが、土着のウグイのあまりのガメツさに、餌はウグイに取られ、ウグイはその勢力を拡大、太ったウグイの群れとそれほど大きくならない鯉という現在の構図が出来上がったのだと思います。

何となく、足湯の前の太々しいウグイにこれ以上餌をやるのは嫌だったので、もう少し上流へ歩いていきました。

その場所のウグイは可哀そうなまでに(足湯前のウグイに比べると)小さく痩せています。というか、それが普通のウグイです。
「こいつらは、ただ、水性昆虫や上から流れている虫を頼りに生きているんだろうな」
そう思うと、残りの餌は上流のウグイにあげたくなってきました。

人間的には理不尽 自然はOK

私は少しづつ、鯉の餌を上流の水面に投げ入れていきました。
少しづつです。多くやりすぎて、下流の太ったウグイに食べさせたくなかったからです。
5粒か10粒づつ、確実にさせたウグイたちに届いていることを確認しながら、何度も何度も投げ入れます。

そのたびに、水面から歓喜のざわめきが起こります。
普段、それほどご馳走を食べていなかったウグイたちが「おいしいよう」「おいしいよう」と何度も言っているようでした。

できるだけ多くの魚に食べさせようと、微妙に場所を変えながら、少しづつ上流に歩きながら餌を投げ入れていきます。
もう私の頭の中には「鯉の餌」という概念はなく、手にしているものは「上流の恵まれないウグイの餌」です。

少しづつ、おそらく20回ほど餌を投げ、私は空になった袋を手にぼんやりと川を眺めていました。

下流の方から大きな鳥が川の上を滑空し、私の少し上流で水面に着地しました。サギの一種で、後で調べるとアオサギに似ていると思いました。
サギはしばらく、浅瀬に立ち止まって周りを見ています。
まるで「魚になんか興味ないし」そんな感じです。

2~3歩上流へ歩きました。
ゆっくりです。
さらに歩き、深みにくちばしを入れ、
スッと水から抜くと、
その間でウグイがピチピチはねています。

スローモーションのようでした。
あんな動作で魚が捕まえられるの?そんな感じです。
素人から見ればそうかもしれませんが、サギにとっては全く無駄のない自然な動きなのかもしれません。

10秒ほどウグイをくちばしの間ではねさせて、クッ、クッ、クッと口元へ持ってきます。
そして、ウグイは私の視界から消えていきました。

「どうせなら、足湯前の太ったウグイを食べてよ。十分いい思いしたんだから。」「上流のウグイは餌ももらえずに、今までかわいそうだったのに」私はそう思いました。
しかし、人間の考える条理・不条理では自然は割り切れません。
おそらく人間の世界も。

だから私たちは不条理な物語を、時や場所を超えて求めずにはいられない存在なのだと感じさせられました。

モヤモヤ ⇒ ⇒ ⇒ 幸せ?

食物連鎖。自然から見たらごく自然な枠組みの中に、例外的に私たちが入っていないことに感謝。




投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。