お昼のルーティーン
ブログを書き始めて私の人生は変わってきた。
心のアンテナの感度が上っている。そしてそのアンテナがとらえた情報が、私の心と体の状態に新たな変化をもたらす。
心穏やかに自由に生きたい、その思いが私に新しい出会いを与えてくれる。両学長の運営する「リベラルアーツ大学」というサイトに出会えたことも大きな生活の変化の一つだ。
求めれば、不思議な力によって、出会うべき時に出会うべきものや人に会わせてくれる、そんな気持ちで私は毎日このサイトや付属する動画を見ている。それは、今の私のお昼休憩でのルーティーンとなった。
ここ1年ほどはお昼ご飯も個食が当たり前となった。私の職場では、昼休憩にネットで動画を見ても何の問題もない。少し寂しいが、リベラルアーツ大学の動画を見ながら、私は今日も一人でハードロック弁当を食べる。
そんなことをしていると、先日、両学長が動画の中である本を推薦していた。大きな書店に行くと、原書があったので購入。さっそく読み始め、あまりの面白さにすぐに読み終わった。そして思った。
「これって私のために書かれた本じゃないのか?」
大文字のタイトルの間に”Getting all you can from your money and your life”と書かれている。
そうなのだ、私たちの人生は「お金と時間を使った履歴」でもあるのだ。限られた時間の中で、私たちは何にどれぐらいお金と時間を使い、何を得ようとするのか、そのことを考えることは人生を考えるに等しい。
そして今まで、私はこの点に関して常に「何となく」という態度を取り続けてきた。
「何となく」語学学習に時間を使い、「何となく」貯金をして、「何となく」保険に入り、「何となく」今の仕事を続けようと思ってきた。
私は自分が生きている間にいったい何がしたいのだろう?
そして、それにお金と時間をどう絡ませていけばよいのだろうか?
さらに、私がしたいことの中には、もう始めるのが遅すぎるものもあるのではないのか?
頭の中にいろいろな思いが駆け巡る。
Death wakes people up, and the closer it gets, the more awake and aware we become. When the end is near, we suddenly start thinking, What the hell am I doing? Why did I wait this long?
“Die with Zero” P2 BILL Perkins
「アリとキリギリス」の寓話において、評価されるのは常にアリの方である。
「今を享楽的に生きていたキリギリスは、やがてそのつけを払わされる時がやってくる」
私も同感であった。だから、利子は0に等しくても毎月給料の一部を銀行に預けてきた。働けなくなることを考えて各種保険に入った。無駄遣いはやめて、少しでも安い物を買おうとしてきた。
しかし、著者はそんな「アリとキリギリス」から私のような人が受け取る価値観に疑問を呈するのだ。
「節約をし続けたアリは、その資産を最大限に活用する時が来るのか」
思い出の配当金
ほとんどの人は、一生懸命に貯めたお金を使うことなくあの世へ旅立っていく。私たちは、自分で得たものを失っていくことが、不安でしょうがないのだ。
だから年をとったら使おうと思って貯めたお金であっても、いざ使うとなったら心穏やかではいられない。それほど、資産が目減りすることは恐怖なのだ。自分に残された時間は減り続けているというのに。
私の周りでも「退職時には~万円持っていたい」というような話題がよく出る。そういう私も同じで「退職金はだいたいこれぐらいだから、毎月の貯金額は…」という風に考えてきた。
その貯金額をねん出するためには、やりたいことに対して妥協しなくてはならないこともあった。
悲しいことは、私が「退職時~万円」と考えた額には根拠がないということである。なんの計算もしないまま金額を頭に描き、その額に”今”の生活が縛られているという状態である。
そしてその縛りは、放っておけば、今後20年間続いていく。そして今、将来目標とした金額を手に入れた私の姿を見ることができる。その20年後の私は、自分が手にしたお金を使うことに恐怖を感じている。
死んだお金を持ったまま、私は死への道のりを一歩一歩歩いて行く。いや、そもそも私は目標とした金額を手にする年まで生きることができるのであろうか。
そんな私にこの本は「思い出の配当金」という概念を教えてくれた。
配当金というと株を連想するだろう。株式会社は年に1~4回、配当金という形で株主に利益を還元する。そして業績が堅調な会社は、配当が途絶えることなく続き、一株当たりの額も増していく。
連続増配の高配当株は優良な資産であり、それを持つことは人生を経済面で支えてくれる。そして、当然のことながら、そのような株を手にする時期は、早ければ早いほどよい。手にした時から、その株を保有し続ける限り、その後長い期間にわたって恵みをもたらしてくれるからだ。
「思い出の配当金」もこの概念と似ている。
自分にやりたいことがあり、それができる条件が整っているのなら、人生においてできるだけ早い時期に経験した方がよい。「できる条件」の一つがお金であり、そこで「今使うのか、老後のためにためておくのか」迷ったとすれば、今使った方がよい。
なぜなら「思い出の配当金」は連続増配の高配当株と同様に、私たちに繰り返し「思い出」という心地い恵みを与え続けてくれるからだ。
20才で得た最高の思い出が、70歳になれば目減りして無くなる、そんなことはない。むしろ、若き日のよい経験は年を追うごとに、その輝きを増してくる。私は次のフレーズを読んで涙が出そうになった。
A person’s ability to extract enjoyment from their money begins to decline with age.
~中略~
The person on their deathbed can’t do much of anything except think back to what they have already done in their life.
“Die with Zero” P109 BILL Perkins
死の床で
結局はそこなのだと思う。死の床でどんなことを思い、どんな表情でいられるかなのだ。そのための「お金と時間を使った履歴」なのだ。
40代後半になった私が自分の人生を振り返ってみる。
「20代にやりたかったが、さまざま理由をつけてやらなかったことはなかったか?」
「30代にやりたかったが、さまざま理由をつけてやらなかったことはなかったか?」
「40代の今、やりたいけどさまざまな理由をつけて先延ばしにしていることはないか?」
20代・30代・40代、全てある!
40代後半になった私が、20年後の私に問いかける。
「目標とした金額を手にしたあなたは、これから、20代から今までやりたくて我慢してきたことを取り返せますか?」
・・・・・・
私は絶句してしまう。
何をすればよいのか、もう答えはわかっているはずだ。
アリでもなく、キリギリスでもない、その両方を併せ持った生き方をするのだ。過去と共に、未来を見ながら、”今”を生きるのだ。
This entire book is predicated on the hard, cold truth that we will all die and, as we age, our health will gradually decline.
“Die with Zero” P136 BILL Perkins
当たり前すぎて忘れてしまいがちになるが、全ての人に当てはまる真実である。
さあ、どうしよう。
私はまだ40代だ。今からなら、間に合う。