地図を見ながら

今月末の試験

例年なら8月中旬に行われる「全国通訳案内士」の1次試験も、今年はコロナ禍の影響で、9月下旬の受験となります。今、私は2週間後に迫った試験に向けて最後の詰め込みを行っています。

科目別に分かれたテキストを流し読みし、それが終われば一問一答形式の問題を解いていきます。机上にはパソコンと地図を用意して、答えられなかった問題があれば、すぐにそれらで確認していきます。

例えば「白米千枚田」についての設問に答えられなかったとします。私はテキストや資料を使って「白米千枚田」について調べます。そして、ネットの画像検索でどのような場所なのかを見ます。最後に県ごとに分かれた日本地図の、その場所に印を入れます。

こうしたことを繰り返していくと、私は今まで、知っていたつもりでも何も知らなかったし、日本各地に行ったつもりでも行っていなかったことを痛感させられます。

「白米千枚田」は能登半島の一番北にあります。輪島市街の東側、白米地区にあります。丘陵地で大きな区画の水田が作れないため、昔の人は傾斜に沿って幾重にも細長い水田を作りました。その重なり合った水田と背後の日本海が独特の景観を作り、世界農業遺産にも認定されています。

私は1年前、つまり英検1級に合格して全国通訳案内士検定の受験を考えるまでは、この世界農業遺産について知りませんでした。棚田を守っていく運動があることは知っていましたが、固有名としての棚田は出てきませんでした。

こうして日本の勉強を始め、地図上に印をつけていくと様々な感情が湧き上がってきます。それは、私が物心ついたころから、今までの人生を地図の上でだどっているような気持ちです。

過去の自分が見える

地図で「白米千枚田」の周りを見てみます。すぐ西側は輪島市です。丘陵を超えて南側に下ると穴水町です。

かつてはこの二つの町の間に鉄道が走っていました。国鉄七尾線です。

金沢の東、北陸本線の津幡から分岐し、能登半島を北上、七尾・穴水を経由して終点輪島まで向かっていました。

私は、まだ中学生だったころの自分を思い出します。鉄道が好きで、いつも交通公社の分厚い時刻表を読んでいました。能登半島を縦断していた2つの路線、七尾線と能登線のページも読みました。

「能登路」というディーゼル急行が多数走っており、その中の数本は穴水から輪島や珠洲まで足を延ばしていました。

「金沢から輪島に向かい、穴水まで引き返し、今度は能登線を蛸島方面へと向かう。そうなるとこの2路線に乗るために1日かかるな。昼ご飯は輪島か穴水で駅弁を買うか…」

時刻表を片手に中学生の私は机上の旅行を楽しみます。

「もう少し大人になり、一人で旅行ができるようになったら行ってみよう」

私は近い将来にやってくるであろうその日を楽しみに待ちました。

地図上の視線を少し左下に移します。羽咋市の西に七尾線と並行して「のと里山街道」が走り、その海側には「千里浜」の文字が見えます。ここは日本で唯一、車で走ることができる砂浜です。

私がバイクに乗り始めたのは30代の前半のことでした。免許を取っと時「日本のいろいろな場所に行ってみたい」そう思いました。

「千里浜」のことを知ると、この場所をバイクで走ってみたいと思いました。東に砂丘、西に日本海、まっすぐ続く車線の無い砂の道を、全身に風を受けながら走ればどれほど気持ちがよいでしょう。

バイクでそのまま能登半島を北上し、能登金剛、白米千枚田、珠洲岬を経由して、今度は半島の反対側を南下し、県境を越えて雨晴海岸を通って高岡に入る。絶景の上、交通量も少なそうで最高のツーリングになりそうです。

大学に入り、お酒の味を覚えました。当初、日本酒は酔っ払いの発するような独特な匂いが嫌で、美味しいとは思いませんでした。そんな私の日本酒に対するイメージを変えた酒の一つが、この石川県にあります。

白山市にある、車多酒造が造る「天狗舞」です。

大学生の時、恩師に連れられて行った炉端焼きの店で、私はこのお酒を初めて味わいました。飲み比べセットで出された、3種類の地酒の中の一つでした。程よく冷やされた純米酒は、焼かれた海産物とよく合い、素直に日本酒が美味しいと思いました。

それ以来、私は全国の地酒に興味を持ち、行く先々で、地の魚と共に日本酒を味わうことが至福の楽しみとなりました。そして、そのきっかけとなったのは、間違いなく、あの日炉端焼きで飲んだ「天狗舞」でした。

石川の酒と言えば、今は、行きつけの立ち飲みで、鳥屋酒造の「池月」をよく飲みます。

車多酒造にしても鳥谷酒造にしても、石川を旅することがあれば立ち寄りたいと思い続けています。

悔しくて声を上げる

「白米千枚田」だけでもこんな調子です。過去に感じたこと、行ってみたいと思った場所、もう実現不可能な旅、いろいろなことが頭の中を駆け巡ります。

「九十九湾」「禄剛崎」「ふくべの大滝」「加賀温泉郷」「手取川」「白山白川郷ホワイトロード」…。この地図の石川県のページだけでも、数多くの書き込みや印が見られます。

通訳案内士の勉強をすることで、私の知らなかった日本の姿が次々と現れ、それが過去の私が思ったことと結びつき、今すぐにその場所に行ってみたくてたまらない気持ちになります。

勉強をしながら、私は声を上げます。「行きてーッ」「食いてーッ」「くそーッ」「知らなかった」などの声です。

勉強すればするほど、訪問したい場所、バイクで走ってみたい道、味わってみたい料理や酒は増えていく一方です。「行きてーッ」「食いてーッ」です。

「くそーッ」と声を上げる時は、たいてい鉄道関係です。例えば石川県でいえば、七尾線の穴水ー輪島間、能登線の穴水ー蛸島感は廃線となりました。

中学生の時、時刻表を片手に想像した能登半島鉄道旅行は、実現不可能な状態になりました。あの時から、2000年代初頭に廃線になるまで、無理をすればこれらの路線に乗ることができたかもしれません。

しかし、なくなったのはこれら2つの路線だけではありません。忙しく働きながら、休みを見つけ、私の周りの様々なことと折り合いをつけながら、自分の時間を確保し、私は行きたい場所に行ってきました。

やりたいこと、生きたい場所に比べ、私の自由にできる時間はあまりにも少なく感じられます。まだ40代ですが「人生はあまりに短い」私の心のなかに、焦りにも似たこの感情が居座っています。

「知らなかった!」は、歴史を知らなかった自分に対して出てくる言葉です。石川県でいえば、私は金沢に行ったことはありますが、その時は日本の歴史の文脈の中で金沢が持つ意味を知らないままでの訪問でした。

100万石という石高がどれだけのもので、加賀が外様大名の中でどのような存在であり、金沢の街の規模が江戸末期の日本でどれだけの大きさであったか、そういったことを知っていれば、金沢の中でも訪問する場所が変わっていたはずです。

何も知らないまま訪問し、味わうべきことを何も感じることなく立ち去って行った街が、この日本にどれだけあるのでしょうか。学ぶほどに、自分の無知・無学さに、悔しさが募ります。

どうしよう

私はこれからどうすればよいのでしょうか。毎日、日本地図に印をつけながら自問自答します。

「宝くじが当たったら、仕事を辞めて、行きたいところを訪問し、やりたいことをやって、食べたいものを食べる」

以前の私なら口にしていたこういった言葉を、最近は発することをやめました。

「時間があれば~をする」「お金があれば~をする」

こういう思考法を取る人に「時間」や「お金」がやってくることはないと分かったからです。

やりたいことがあれば優先順位をつけて、その一部だけでも実現できるように行動する、それが結局はやりたいことに近付くことができる道だと考えています。

「ロレックスが好きなら、それを買うお金がなくても、ロレックスの写真を切り抜いて自分の時計に貼って楽しむ」

所ジョージさんが、このようなことを言っていたと思います。

とにかく行動することからすべてが生まれてくるのでしょう。

私にとって行動とは何なのでしょうか。

  • 「全国通訳案内士」の試験に合格すること。
  • サイドFIREを目指して、支出の適正化を図り、投資を続けること。
  • 英語とイタリア語の学習を続けること。
  • 美味しい明石焼きを焼くための研究を続けること。
  • ブログを書き続けること。

このような行動を続ける中で、私が魅力的な人間となり、私を必要とする人が増え、そのような人々に価値を提供できるようになれば、自然と思い通りの人生を送ることができると感じています。

地図を見ながら、私はこれからも叫び続ける日々が続くと思います。しかし、私は後ろを振り返って悔しさの叫びを上げながらも、少しずつ確実に前にも進んでいきます。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。