いつもの立ち飲みで
私にとって、週に数回立ち寄る立ち飲みは日々の生活の中で大きな楽しみの一つになっています。家族以外はほどんど職場の同僚との会話で一日を終える中、ここで出会う様々な職業の常連さんは、私の知らない世界を教えてくれる貴重な存在です。
そういった人々と会話を楽しむことも立ち飲みへ通う理由ですが、ただ単にお酒、特に日本酒が大好きでここへ通っているのも本当です。ここの店主は日本酒に情熱を注いでおり、そこに魅かれて常連客は集まってくるのです。
実際に、立ち飲みにしては珍しく、ここでは焼酎を飲んでいる人はほとんどいません。ビールかホッピーの後、ぐい呑みで何種類かの日本酒を味わうのが一般的です。
そんな店に通う中、私の日本酒の好みが変化していているのを最近感じています。
能登半島にある鳥谷酒造の「池月」です。最近私が好んで飲む銘柄です。ほんのりと茶色がかった色をしています。口に含むと軽い老香(ひねか)が感じられます。口の中にまわしながら、ちびりちびりと飲みたいお酒です。
佐賀県嬉野にある瀬頭酒造の「東長」です。これもよく注文し、また購入して家で飲む銘柄です。特徴は豊潤の中にキレのある甘味で、他に類のない味わいのお酒です。これもゆっくりと味わいながら飲むお酒です。
これら2種類のお酒は、私にとってどちらかというと苦手なタイプのお酒で、今まで注文することはありませでした。
淡麗でフルーティーな香りがして、冷やして飲むと「ツゥー」っと入ってくる、そんなお酒が美味しいと思ていました。いわゆる「飲みやすい」というカテゴリーに分類されるお酒です。多くは吟醸や大吟醸というタイトルがつき、値段もそれなりにします。
もちろん今でもそういったお酒を注文しますが、その割合が明らかに減ってきているのです。
池月には独特の老香があります。人々は老香に対してよいイメージを持っていませんが、このお酒にとってこの香りは一番の魅力になっています。10年前の私には、その魅力が分かりませんでした。
東長のような甘口の酒にしてもそうです。若い頃はこの甘さが重く、酒飲みの発するあの匂いを連想させられて嫌でした。しかし、今は豊潤な甘みとして、口全体で受け取ることができます。お米のでんぷんが糖になっていることを実感できるお酒です。
人の好みは変わっていくものです。そしてそのことが人生を面白くすると感じています。池月にしても東長にしても、私がよく注文するのは一般的で値段も安い本醸造です。
かつては純米酒以外は日本酒ではない、というような考えも持っていました。そして値段の張る純米大吟醸が一番”おいしい”酒であると思っていました。
今はこれらの銘柄の本醸造も充分においしいと感じています。”おいしい”に対する私の価値観が変化したのです。
他にもあります
このような食べ物や飲み物に対する嗜好の変化は、外にもあります。その代表例をいくつか述べます。
ミョウガ
今年の夏、妻と顔を見合わせて驚くことがありました。それはミョウガがあまりに美味しかったことでした。
暑い一日の終わりに、鰹節ときざんだネギをのせた冷奴は最高で、我が家の食卓には頻繁に登場します。その冷奴にきざんだミョウガをのせて食べた時、あまりのおいしさに二人でうなってしまいました。
今までどうしてこんなにおいしいものを食べてこなかったのだろう。次の日はミョウガの天ぷらです。これも最高で、私のなかでは主役のとり天を超えるほどです。
初めてこの野菜を食べたのは高校生の頃だったと思います。身の危険を感じるような味がしました。毒じゃないかと思いました。実際にあの独特な香りは虫を寄せ付けないためのものであると思います。
数十年の時を経て味わうあの香りは、毒ではなく蜜に近づいていました。私たち夫婦はミョウガと聞くと気持ちが上ります。息子たちは食べないと分かっているので、彼らの分も私たちがはじめから取り分けて食べます。
そら豆 小豆
この二つに共通することは、蒸したときに豆の中が粉っぽくなることです。そしてその食感がたまらなく嫌でした。しかしこれらの豆、特に小豆は昔の人にとってはご馳走でした。
昔と言っても何百年も前ではありません。日本人が食べ物を捨て始めたのはこの半世紀ほどの話です。私の祖父母が子どもの頃は、まだまだ日本は貧しかった。
だから特に祖母は私にこれらの豆を食べさせようとしました。「おいしいぞ」と言いながら。私は単純にそれが嫌でした。祖父母が育った状態や孫に対する気持ちも知らないまま冷たい態度をとってしまったと思います。
罰があたったのか、私がそれらの豆のおいしさに気づくまでに数十年がかかりました。今は大好物になり、これらの豆を食べるたびに、無き祖母のことを思い出します。
センマイ
あの黒くて、ギザギザの変な形をしていて、なかなか嚙み切れないホルモンです。何がおいしくてあんなものを食べるのでしょうか。味があるとも思えません。だから私は若い頃は食べませんでした。
今は、ホルモンそばに入っていないと物足りなさを感じるようになりました。焼肉でホルモンを食べるときは、こてっちゃんやレバーに交えて、必ず「センマイ一つ」と言います。
変わっていて、扱いにくくて、一見役に立っていないように見えても、社会や組織の中で大切なものがあります。平常時は不必要と考えられていても、何かあったとき活躍するトリクスター的な存在です。
年をとってそういうものが見えてきたからでしょうか、一見意味のない存在に見えるセンマイが大切であると思えるのです。相変わらず味蕾の上でのおいしさは感じられませんが、”おいしくて”食べずにはいられない、そんな存在です。
言葉が足りない
食べ物・飲み物で私の味覚が変わり、正確には受け入れて堪能できる範囲が広がって、私は「年をとることもいい側面があるな」と感じています。
自分で言うのもなんですが、食べ物に対して寛容さが身についてきているのではないかと思います。そして、それは食べ物だけに限定するのではなく、人や出来事にたいしても受け入れられる幅が広がってきているのかとも思います。
人生を楽しむためには、より広範な物事から幸せを感じることができる方がいいに決まっています。しかし、こうやって私の変化に対して文章を書いていると、新たな課題が見えてくることを感じています。
それは、私には言葉が足りない、追いついていないということです。
お酒を例にとると、私は「老香」とか「豊潤な甘み」といった言葉を使い、自分の新たな変化を表現しようとしました。しかし、本当にそれらが私に変化をもたらした要素なのかということを考えてしまうのです。もっと言葉を知っていたら、より適切でピタッと当てはまるような説明ができるのではないかと思います。
「老香」や「豊潤な甘み」は、私の考えた言葉ではありあせん。私がどこかで知り、池月や東長を飲んだ時に口に出した言葉です。私がこれらのお酒を飲んだ時の気持ちは、これらの言葉で表せられる以上の感じがします。しかし、私にはその言葉が思い浮かばないのです。
他の食べ物に対しても同じです。今までと自分の感覚が変わってきているのは感じるのですが、私は借り物のありふれた言葉を使うことでしかそれを表現できません。その乖離間を感じるのです。
私はどうすればよいのでしょうか。
結局は、借り物であっても周りの言葉を一つずつ集めていくことしかないのではと思います。
書店や図書館で気になる本を手に取り、周りの人に耳を傾けて、少しずつ語彙を豊かにして、他人の言葉であっても自分の中に落とし込んでいくのです。それがある時、目の前の現象により適切なタイミングでアウトプットされることを信じようと思います。
日本語であろうと、英語やイタリア語であろうと、言葉を学び続けることは、今私の感じている言葉と気持ちの乖離間を埋めてくれると信じています。