毎週土曜
最近は週に1度、土曜日に記事を投稿するのがパターンとなっている。書きたいことはいろいろとあるのだが、仕事に加えてイタリア語や通訳案内士の勉強を天秤にかけると、どうしてもこのペースになってしまう。
先週末に通訳案内士の2次試験を終え、1つ肩の荷が下りた。さて、時間ができたと思えば、今度は購入したまま放置していた書籍が私に視線を投げかけてくる。加えて、これも録音したままたまり続けるラジオ講座が、私に聞いてくれと訴えかけてくる。
というわけで、通訳案内士2次試験用の勉強時間が、そのまま読書とラジオ講座の時間に変わった。相変わらず、時間に追われながら生活する日々が続いている。しばらくはこのまま週1回のブログ更新が続きそうだ。
このブログを投稿する12月25日は今年最後の土曜日。ということは、この文章が2021年最後の記事になるのであろう。2019年の6月にブログを書き始めて、3年目が終わろうとしている。更新ペースは当初より減ったものの、何とか継続はできている。
嬉しいことは、記事を書くとともに、私は自分のモヤモヤとの付き合い方が上手になってきていること。3年目を終えて、そのことを実感している。
私のモヤモヤの根本原因は、仏教で言うところの生老病死。つまり、人間に生まれてきた限り、避けることができないこと。そんな自分の力ではどうしようもないことで、モヤモヤと悩み続けている。
「いずれこの世からいなくなるのなら、その生を力いっぱい全うしたい。十分に生きて、もうやり残したことはない」そう思いながら死んでいきたい。
そうは思うものの、4年前、世でいう平均寿命の半分を過ぎて、そんな境地から程遠い場所にいる自分に気が付いた。焦った。私は、このままこうやって力一杯生きた実感なくその生を終えるのか。その焦りが私を2年半前にキーボードへと向かわせた。
ブログ開始以来200近くの記事を書いた。そのあて先は、外ならぬ自分である。あなたはこんなことに怯え、こんなことを避けようとして、この先こんな場所に向かおうとしてる。文章を書くことは、自分で自分の心の中を覗き込む行為。時には見たくない自分の姿も露わになる。
もちろん、そのような自分の怖れや不細工な姿はストレートに文章にすることはなく、薄めた形で記すことになる。文章を公開するということは自分一人の問題ではなくなるからだ。
しかし、そんな希釈された姿でもよいと思っている。なぜなら、こうして文章を書きながら自分の気持ちをたどることで、自分には触れられたくないもろい部分があることに気が付き、その存在を認めることができるからだ。病気の治療の第一歩は、その存在を認めることから始まる。
こうして、週に1度文章を書き、土曜日に公開することで、私は自分が何を考えどこへ向かおうとしてしているのか、つまり私の心の状態を知ることができる。そして、それに対して読者になった私がツッコミを入れ、私は私に対して客体化される。そのためなのか、土曜日の私は心が軽やかなことが多い。
語学を続ける理由
モヤモヤする時も、そうではない時も、私は語学を続けている。
英語は途切れることなく勉強してきた。仕事で使うことが継続の大きなエンジンとなっている。仕事で使うには学習を少し中止しても大丈夫なレベルだと思っているが、これは私のメインの外国語なので、力を落とすことが恐くて休むことができない。
イタリア語は、学習した期間を言うのが恥ずかしいくらい身についていない。何十回も中止と再開を繰り返しながら今まで付き合ってきた。11月からは、この20数年で初めてイタリア語教室に通い始め、来年の検定で2級を取ることを目指し、イイ感じでこの言語と付きあっている。
台湾語は、本当はこの言葉に一番力を入れて学習したいと思っている。台湾に、また台湾人に私はとても興味を持っている。しかし、現在は学習をやめている。時々、自分に南方熊楠のような才能があればと思うことがある。在野にいながら、あらゆるものに興味と専門家並みの知識を持ち、主に粘菌を研究していた彼は、十数か国語を理解したという。
私は「~だったらな」という思考法を取ることをやめた。私は南方熊楠ではない。だから、今の状態で台湾語の学習を続けるのは無理だと判断した。しかし、これから先もあきらめているわけではない。
欲を言えば、ベトナム語、フィンランド語なんかにも手を出してみたい。しかし、先ほど述べたように私は私であり、熊楠さまではない。
そして母語日本語。実はブログを書き始めて、その力の無さを一番強く感じている言語かもしれない。
他の言語で作文をすることは、それほどない。しかし、日本語に関して言えば、このブログ自体が日本語の作文である。前回の記事に書いた、私の心の中にある「思い」(のようなもの)と、文字となって表れた私の「思い」(とりあえず目に見える形の)との乖離を私は強く感じている。
一体、私はどれだけの時間を語学にかければ満たされるのだろうか。いや、満たされるということ自体が本当にあるのだろうか。
時々思うことがある。それは、私は人生の短さを怖れるあまり語学をやめられないのかもしれないということ。
睡眠中、日本語で展開していた夢が急に英語になることがある。また、仕事において英語と日本語の話者の間で説明する時、私は英語と日本語を頻繁に切り替える。
そのような時私は、自分が二つの世界に生きているような気持ちになることがある。時の経過は速く、人生は短い。しかし、二つの世界を生きることは、そんな短い人生を少しでも長いものに感じさせてくれる。
これが3つの世界なら、そして4つの世界ならどうであろう。
言葉は世界を分節する道具。文字通り、新たな世界を目の前に出現させる。物理的な時間が変わらないのであれば、体験する世界が多いほうが、生きていることの儚さ、そしてその生が終わってしまうことへの恐怖が和らぐのではないだろうか。
私はこんなことを考えながら、避けることのできない生老病死の苦しみに立ち向かおうとしてる。
さて来年は…
新しい年、私はどこへ向かっていくのだろうか。思いつくままに記してみる。
(今私が行っている行為、すなわち過去に考えたことと同時に未来の展望をこうして目に見える形に直すこと、このこと自体がブログを始めるまでは無かったことである。これから起こりうることを文章にすること、そのことは、輪郭のあいまいなまま心の中にあった思いに形をつけることである。形のある思いとそうではない思いとでは、具現化する可能性は大きく異なる。このことだけでも、ブログを書いてよかったと思える。)
語学
上に書いた通り、人生の儚さを人一倍感じやすい私は、語学をやめるわけにはいかない。
通訳案内士の結果が出る2月初旬が大きな分かれ目になる。結果がダメなら、来年の2次試験(1次は免除される)目指して、日本の歴史と文化の説明を中心とした英語の勉強を続ける。
通訳案内士に合格していたら、イタリア語2級に向けた学習を強化していく。具体的には、現在のイタリア語教室に加えて、会話中心の講座を申し込んでみようと思っている。
来年末にイタリア語検定2級に合格すれば、台湾語学習復活も見えてくる。そのころにはコロナも終息し、イタリアまたは台湾への旅行が可能なら嬉しい。
明石焼き
ヤスフク明石焼き工房で業務用の焼き器とコンロを購入済みである。一時期よりも焼くペースは落ちてきているものの、焼き方も味も向上していると思う。
条件が揃えば、希望している週末のみ営業の明石焼きとビールのお店を開くことができる。しかし、その条件はまだ揃っていない。この店は、生きていくための収入を稼ぐことを目的としているわけではない。ということは、金銭の目途を立てることが先になる。
今年できることは、明石焼きの腕を上げること、そして妻と二人で食品衛生管理の資格を取りに行くことであると考えている。
サウナ・鉄道・バイク
緊急事態宣言中以外は、週1~2回のペースでサウナに行った。北海道や福岡のサウナにも行くことができた。
サウナ専用施設やスーパー銭湯以外にも、昔ながらの銭湯サウナにも味わいがあることを知った。一般の公衆浴場は、減ることは普通にあっても、これから増加することはない施設である。今のうちに、そこで垣間見られる人間模様も含めて堪能しておきたい。
鉄道旅やツーリングは、コロナが治まればどん欲に行いたい。子どもたちも成長し、今、家庭の中で私はかなりの自由を得ている。これらの旅に、現地でのサウナを絡めていけたら素敵な旅になると思う。いろいろなことが有機的に結びつき、またそれがブログの記事の材料になるので面白い。
仕事
これも来年転機をむかえるかもしれない。全国通訳案内士の資格が取れたなら、次の展開を考えている。
語学に特化したブログの作成を考えている。それに結び付けて動画を撮っていくことも。
それらが順調に進めば、今の仕事を辞める時期を設定する。そして、私の仕事についてブログで発信を始める。実は仕事について語りたいことは山ほどある。ただ、今は適切ではないし、時間に追われる中、軽々しい語り口で語りたい内容でもない。
こうやって書き記しながら私はワクワクを感じています。人生が確実に楽しい方向に向かっている感じがしているのです。
今年も、こんな字ばかりで独りよがりのブログを読んでいただき、ありがとうございました。
コメント欄もなく、またカウンターも設定していないため、どのような人がどれくらい読んでいるのか皆目見当がつきません。しかし、私にとって読者の存在があるという思いが文章を書かせています。
そこにいる読者のあなたを想像できるだけで、私はこうして文章を書くことができ、そしてその文章によって心の調整を行っています。
今年も1年間ありがとうございました。
2022年はどんな展開が待っているのか分かりませんが、私は今、自分の人生に対して手ごたえを感じ始めています。下を向いた頭が上ってきている中年オヤジの頭の中を、引き続き書き記していきます。