恥ずかしいけど
現在、私は週に4日ほどお酒を飲みます。コロナ禍以来、ほとんどが家飲みです。7時半ごろに乾杯をし、おかずをつまみながら飲み続けます。子どもたちが食べ終わり、妻がソファーに移動するころ、ようやく軽くご飯を食べ、すぐに歯を磨きます。いつ眠りに落ちてもいいようにです。
実際にお酒を飲んだ日は、いつの間にか夢の中にいます。リビングであろうと寝室であろうと、眠りにつくときのことはよく覚えていません。お酒を飲んでの眠りは浅いと言いますが、私の場合、結構深い眠りで、翌朝もたいていはスッキリしています。
ここまで少し長くなりました。私が書こうと思っていることは、週に2~3回のお酒を飲まない日についてです。
寝不足や疲れている日は、お酒を飲んだ日と同様に布団に入るとすぐ夢の世界なのですが、普通の日は、電気を消した後シラフのまま少し考えることになります。
ここからが少し恥ずかしい話です。
こうやって眠りに落ちるまでの間、私が行うことは空想なのです。しかもそのネタはいつも同じです。出てくるのは鉄道です。線路と駅と列車とそれに付帯する施設が次から次へと閉じた瞳の向こうに現れてきます。時にはその駅を有する街の様子にまで私の視座が広がります。
私は自分がこのようなことを空想しながら眠りにつくのは、何だか人に言うのがはばかられるような気持ちでいました。なんだか夢見る子どものようで恥ずかしのです。
しかし、鉄道好きは誰でもこう思うでしょう。
「自分の思い通りに線路を敷いて、そこに思い通りの列車を走らせてみたい」
私もそう思います。しかし、一から世界を想像するには私の想像力では力不足です。ですから私は既存の街や設備を借ります。実際にある鉄道や街を私好みに変化させて、そこに鉄道を中心にした世界を作ります。
私が加工した風景の中、好きな列車を走らせながらシラフの私は眠りに落ちていきます。この空想はもう何十年も続いています。たぶん、お酒を飲み始める前から行っていると思います。
そんな半分本当で半分嘘の空想の世界ですが、この半年は、ほとんど宗谷本線で構成されています。私が体験した宗谷本線に、あと半分の「こうあってほしい」または「かつてはこうだったな」の部分が混ざり合って私は理想の旅を続けます。
北へ下る
寝る前の空想に宗谷本線が登場し始めた理由は明らかです。私は去年2度この路線に乗り、深い印象を受けたためでした。2回とも次男と二人での親子旅でした。次男との旅で私は生まれて初めて宗谷本線に乗り、それ以来私はこの最果てへ向かう路線に心を奪われています。
列車に揺られながら、二人とも何時間もの間ずっと外を眺めていました。最初は3月、2回目は12月だったため、どちらも雪の沿線風景でした。目の前に展開する世界と、私たちが普段目にする兵庫で日常との乖離に打ちのめされて、ただただ無言で雪の大地を瞳に映していました。
列車は道内第2の都市旭川を出発すると、ひたすら北へ向かって進んでいきます。そして稚内まで約260キロの道のりは、本線の名の割には人口が希薄な地域となっています。
上川盆地が尽きて塩狩峠への勾配に差し掛かります。列車はエンジンの唸りを上げて右へ左へと坂道を登ります。雪の白と、木の茶色の世界がつづきます。
この峠は石狩川と天塩川の分水嶺です。旭川を出てまだ30キロほどですが、ここから先は幌延まで天塩川の流域となります。そしてこの天塩川こそが宗谷本線の魅力を形作っている大きな要素になります。
宗谷本線は、その大部分がこの天塩川が作った地形を通ります。それは士別、名寄辺りでは盆地であり、音威子府を超えると山が迫った渓谷となり、その後沖積平野を発達させながら下流へ向かいます。
私たちの網膜に入るのはひたすら白い世界です。すべてが雪に覆われていますがその分想像力が働きます。この平野の下には何があるのでしょうか。名寄はもち米で有名な場所です。ということは夏になると水田が見られるのでしょうか。
稲作の北限は確か美深の辺りでした。となるとそこから先は畑か牧草地が広がっていることでしょう。遠くに見える天塩山地と宗谷本線の間の白い空間を私の想像力で埋めていきます。
それにしても人が密集する空間が見えません。久しぶりに集落を通り、コンビニの姿が見えただけで「街だ!」と思ってしまうほどです。線路沿いには時折板張りの簡易乗降場や廃駅となった痕跡が見られます。
名寄を過ぎるとそこから200キロ近く市がありません。そして200キロぶりの街、終点の稚内でさえ人口は4万人を切っています。こうして私たちは鉄道に乗ってこの人口が希薄な場所を旅しています。そのことがとても贅沢なことのように思えてきます。
2度の旅行で2回とも私たちは音威子府で下車しました。旅行作家の宮脇俊三がたびたび取り上げた駅です。彼の文章を読み始めて約30年、私は初めてこの駅に降り立つことができました。
黒いそばが名物だった常盤軒は、最初の訪問の前月、店主逝去により閉業していました。店はそのままの形で残っていました。店主の写真が掲げられ、旅ノートには多くの感謝のメッセージが残されていました。
建物の中にある天北線資料館に入ります。その中心には全盛期のこの駅の模型が展示されています。そしてその模型は、例の寝る前の空想の起点となるものです。
ありがたい
かつてはここ音威子府から稚内に向けて天北線が走っていました。その事実を想像するだけで、私の中で燃え上がる気持ちと、しぼんでいく気持ちの両方を感じます。
燃え上がる気持ちは、鉄道が交通の中心である時代が確かにあり、この駅で数多くの営みが展開されていたその中に自分が入り込んでいる姿を想像した気持ちです。いわば栄光の過去に思いを馳せることです。
しぼんでいく気持ちは、いずれ来るであろう宗谷本線廃止の事実に直面し「そういえばかつて息子とここに来た」と思う喪失感を先取りする気持ちです。これは未来に対して感じることです。
全てのものには始まりがあり、時の流れとともに良い時や悪い時を経験します。そしていずれは全てのものはこの世から消え去っていきます。
“Human beings are born. They live. And they die.”
「人は生まれ、生き、そして死ぬ」
私の最も好きな言葉の一つです。これは人間以外のものにも当てはまります。
そして”They live.”の部分に「良い部分」と「悪い部分」があるとすれば、前者の方が後者より最初に来ると思ってしまいます。なぜなら「良い状態」でいる以上、なくす理由はないからです。
宗谷本線を見ているとこの「誕生⇒良い状態⇒悪い状態⇒終わり」という流れを、切迫感を持って感じることができるのです。
「よくもこんな場所に鉄道があり、列車を運行してくれて、こうして旅を味わうことができる」
宗谷本線に乗っているとこう思わずにはいられません。そしてそう思える状態がこれから未来永劫続く可能性が低いから、その分なお愛おしさが募ってきます。
僅か1日数往復の列車のために線路を維持し、駅を整備して、冬には除雪を行います。沿線の人口は減少を続ける一方で、それでもなお高規格道路の整備は続けられます。宗谷本線が存続する条件はなくなっていく一方です。
私たちは2度の訪問で11本の列車に乗りました。単行で運転される普通列車で目立ったのは”鉄”と呼ばれるマニアばかりでした。減車された特急列車もコロナの影響か、かわいそうなくらい人が乗っていませんでした。
とある駅で除雪車とすれ違いました。宗谷本線は冬季期間中、定期除雪列車の走る唯一の路線であると聞いたことがあります。
皆一斉に写真を撮ります。私も思わずスマホのシャッターを切りました。そして直後に思いました。「この除雪車を走らせるだけで、今のこの路線の一日の収入の内どれだけが消えていくのだろう」。
100年間同じ
宗谷本線が開通して約100年が経ちました。この100年間でどれだけ世の中が変わったのでしょうか。鉄道と同じ交通インフラである道路も考えてみましょう。
100年前は自動車の黎明期でした。都会の一部を除き舗装されている道路はありませんでした。終戦後、アメリカ軍が日本の統治を始めたとき、その道路のあまりのみすぼらしさに驚いたという話をきいたことがあります。
実際に昭和30年代初頭は、国道1号線でさえ砂利道の区間がありました。高度経済成長とともに国道が整備され、交通量の増加とともに新しい道ができ、バイパスが整備され、やがて高速道路網ができ上っていきます。
特に都市部において、普通の国道はこの半世紀で何度も付け替えられています。道路の整備は日本が人口減少に転じた現在であっても続いており、日本各地のあらゆる場所で、鉄道に乗るたびにその窓から新たな高速道が整備されるのが目につきます。
一方で、宗谷本線のインフラは100年前から根本的な部分は変わっていません。走行ルートはほぼ建設当時と重なり、築堤、鉄橋などの構造物も補修はされども基本的に同じものが使われています。塩狩峠は、今でも三浦綾子の小説に描かれたときと同じような景色なのです。
車両は更新されていくものの、この100年前のインフラを使用して宗谷本線は運行されています。ただでさえ少ないこの地域の旅客流動を、伸び行く高速道路と奪い合うのです。その未来が明るくないことは容易に想像できます。
私の空想は新たな人の流れを作り出します。
日本とロシアがより親密な関係で交流が盛んなら、稚内や浜頓別が栄え、天塩川河口に大きな都市ができていたかもしれない。紋別も今の数倍の人口になるだろう。そうすれば、天北線をはじめ名寄本線や羽幌線も存在したままで、今日も数多くの列車が走り続けているだろう。
私は今夜もそんな想像を行いながら眠りにつきます。
私は自分の人生の儚さを宗谷本線に重ねているのだと思います。もっとこの路線の魅力を語りたいのですが、私には筆の力が足りません。最初に意図していたのとは異なる展開になりました。
私はまたこの路線を訪問しようと思います。訪問し、人生について思いを馳せて、空想をしながら夢の世界に行き、そしてまた文章に記します。