とある辞書
前回の続きを書きます。
バイデン大統領から「ヤバいデン」というフレーズが生まれ、私の脳内に一日何十回も彼の顔が浮かぶようになりました。
「ヤバい」という言葉を自分で使ったり、他人の発する言葉を聞いたり、書かれたものを目にしたりするたびに「ヤバいでん!」の声と同時に演台に立つ大統領が現れます。
今までのオヤジギャグと合わせて、このままでは私の日常生活に支障をきたすのではないかと思い、こうして文章にすることで客体化しようと試みているのが前回と今回の記事です。
それにしても、私はどうしてこうも人名を中心とした変なギャグを考えてしまうのでしょうか。語学をずっと行っているため、言葉、特に韻を踏む部分に脳が敏感に反応するのかもしれません。
ブログのおかげか、最近は心がかなり軽くワクワクすることが多いので、脳が素早く反応しているのかと思うこともあります。
しかし、私はこんなにも頻繁にオヤジギャグ、またはオヤジギャグにもならない意味不明なフレーズを考える人間ではありませんでした。少なくとも20代の頃はそうでした。
いろいろ考えていくうちにある辞書の存在が浮かび上がってきました。20代の初めにロンドンで購入した薄い辞書です。タイトルは「Cockney Rhyming Slang」とあります。
コックニーとはロンドンの下町イーストエンド周辺で話される方言です。オードリー・ヘップバーン主演の名作映画「マイ・フェアレディ」はこの方言とイギリスの階級を絡めて描いた作品です。
映画で描かれたようにコックニーには「ei」の音が「ai」となったり、「h」の音が発音されなかったりといった音声上の特色がありますが、それに加えて語彙の面でも大きな特徴があります。
それは韻を踏んだ隠語が数多く存在するということです。いくつか挙げてみます。
- apples and pears ⇒ stairs
- dog and bone ⇒ phone
- trouble and strife ⇒ wife
- loaf of bread ⇒ head
- butcher’s hook ⇒ look
「リンゴとナシ」が「階段」、「犬と骨」が「電話」、「面倒と苦悩」が「妻」、「パンの塊」が「頭」、「肉屋の釣りがね」が「見ること」になります。こうして日本語にすると意味不明ですが、英語を発音すると言いたい語の韻を踏むために、わざわざ単語を長くしていることがわかります。
私の持っている辞書にはこのような言葉が数百個書かれています。今は使われていないものもあると思いますが、下町のロンドンっ子はこのような面倒くさい言葉を日常的に使用しているのです。なんだか私の姿を見ているようです。
実際に、私は一時期コックニーを話せるようになりたいと思ったことがありました。少し言葉が上達した時は、俗語を使ってみたくなるものです。今はきれいな英語を話したいと思うので、中途半端なことはしたくありませんが、当時の私は若かった。「マイフェアレディ」を繰り返し見て発音を真似したり、この辞書で語彙を覚えたりしました。
男の人は年をとっていくと、脳の構造がオヤジギャグを言いやすくなると何かで読んだことがあります。私の場合、この加齢に加えてコックニーの語彙を覚えようとした経験が、今の状態を作り出しているのかもしれません。
複利の効果
このように最近ではオヤジギャグが現れる頻度が高いため、集中して真面目に何かを考えることができなくなってきていると思います。これはこれで、内心「ニヤッ」とほくそ笑む場面が増えて精神衛生上はいいのかもしれません。ひょっとしたら、不真面目なようでリラックスできているから考えることの中身はよくなっているかもしれません。
しかし、例えば以下のようなフレーズを口にする時、私の頭は結構回り道をして、無駄なエネルギーを使っていると思うのです。
「この調査のポイントを確認しておかないとヤバいですね」
この文には「ヤバい」の他に、私の脳が勝手に反応する部分が3カ所あります。「調査」は「ジェフリー・チョーサー」、「ポイント」は「ヒゲとボイン」、「確認」は「豚の角煮」をそれぞれ喚起させます。
ジェフリー・チョーサーは14世紀のイギリスの文人で「カンタベリー物語」の著者です。「ヒゲとボイン」は漫画家小島功の代表作の一つで、ビックコミックオリジナルに連載されていました。
こんな単純な文章が、私の中ではこうなります。
「この(ジェフリー)調査(ー)の(ヒゲと)ポイントを(豚の)確認しておかないとヤバいですね(ヤバいデン!)」
カッコに囲まれた部分は私の心の中で発せられる声です。いったい私は何なのでしょうか。こうやって文字になった私の心を見ると、かなりややこしい存在であると感じられます。
別に頭をひねりながらこのような文を考えるわけではありません。何かを言おうとしたとき、言いたい言葉に反応して余計な言葉が湧き上がってくるのです。そしてそれは、私の心の状態が軽ければ軽いほど頻繁に起こります。機嫌がよいと鼻歌が自然に出てくるようなものです。
ありがたいことに、最近の私の心の状態はよく、ブログを書き始めた2年半前とは比べ物にならなく、別人になったような気がします。⦅ここで「別人」に反応して「別人(鉄人)28号」が出てきました⦆
そんな機嫌のよい私の中で、おかしな言葉が次々と生産されていきます。そしてそれらの言葉がお互いに影響し合って、まだ頭の中でとどまっていますが、話がどんどんと複雑になっています。それは資産がある程度の額を超えると複利の効果でどんどんと増大していくのに似ている気がします。
着地点は?
去年から浮かぶたびに手帳に記し続けてきたギャグ?の数は、現在60個を超えました。日本語の語彙がどれだけあるのか分かりませんが、普通に新聞や本を読むためには少なくとも2~3万語は必要だと思います。その中での60語なら大したことはないように思われますが、実は話は少し複雑になります。
私が手帳に記した言葉以外にも、私の脳が勝手に反応する言葉は数多くあり、むしろそちらの方が多いのです。そしてそれらの言葉はここに書くことができない言葉です。簡単に言うと個人名と下ネタです。
私が今まで出会ってきた人々の苗字や名前や所属名、そういったものがある言葉と反応し韻を踏んで現れます。性や排泄に関する言葉に関しても同様です。
脳が反応する頻度としては、それら手帳に記されていない言葉の方が多いかもしれません。
私の今の悩みは2つあります。
1つ目は今は心の中にとどまっているそれらのギャグが、人前で現れてしまうのではないかということ。いくつかはすでに妻の前では言っています。「ヤバいデン」を繰り返す男を、私の仕事の関係者がどのような目で見るのか、考えると恐いです。
2つ目の悩みは言葉と思考に関係したものです。心は何によってできているのか、その問いに対する現時点での私の答えは「言語運用」となります。「私の心」は私が今までインプットし・インテイクした言葉が表出しているものであると思っています。
インプットの中で最大のものは自分が自分に対して投げかける言葉です。そしてその言葉の中に、今おかしなギャグが入り続けています。それによって私の思考はどのような影響を受けるのでしょうか。
「よい」と「悪い」は状況によって変わるものなので絶対的なものではありません。しかし、そのような変な言葉使いをしなかった私と比べると、私の思考は明らかに異なるものになるでしょう。
私の頭に現れるギャグの嵐が、これからの私にどのような影響を及ぼすのか、興味がある半面恐さもあります。今私が考えていることは、日本語以外のインプットを増やしていくことです。
ざっくりと考えると、今私は75%ぐらいの世界を日本語で見ています。20%は英語、5%はイタリア語です。この、日本語以外の割合をもっと上げていけば、おかしなギャグの出番が減ってくると思うのです。
今のところ日本語以外でギャグは現れていません。これら二つの外国語の割合を増やすことで、脳の働きを変えていくのです。それは、これらの言語をもっと流ちょうに運用したいと思う私にとっても都合のよいことです。
日本語以外で変なギャグが現れ始めたら、それはそれで嬉しいことなのかもしれません。