いつもの立ち飲みで
もともとお酒は好きでよく立ち飲みに行っていたが、週に何度も通う店は持っていなかった。5年前に、ふとしたことから後輩と二人で職場と駅の間の立ち飲みへ行き、それからその店「F酒店」に通うようになった。
「F酒店」は日本酒に力を入れる立ち飲みであり、日本酒をおいしいと思いながらもそれを表現する語彙に乏しい私は、日々そこで表現力の勉強と称してお酒を楽しんでいる。
定期的に通ううちに数多くの常連さんと知り合いになり、その中には私と趣味が重なる人もいる。ほとんどの人とはその場でお酒をのみながら共通の話題を楽しんで終わりであるが、バイク好きの人とは話をするだけでは物足りない。
お酒を飲みに来ているということは、当然、バイクは家に置いて公共交通機関か徒歩でここに足を運ぶこととなる。そんなわけで、ライダーとお酒を飲みながらよくバイクの話をするのだが、一度も彼らの愛車を見たことがないし、逆もまたそうである。
それではこの辺で一度「スマホの写真ではなく本物のバイクを見せますか」ということで酒飲みたちがシラフで集まることになった。
グループラインを作り、日程の調整をする。日程の次は行き先だ。
「おいしいお酒飲みたいですね」
100%同感だ。私たちは普段それでつながっている。しかし、私のスケジュールでは5月は土日連続で休みを取ることができない。
いい仕事をしていると思うが、時間拘束が長く、なかなか連休が取りにくい。サイドFIREを目指しているが、その前に一度仕事をやめて数年間自由な時間をすごそうか、最近かなり真剣にそう考えるようになった。
大切な人の幸せを除くと、私にとって一番大切なことは「元気に活動することができる自由な時間」である。
「100歳まで今の気力・体力で活動できる」それが分かっていれば、私は定年まで働き、その後も再雇用で70歳まで働いた後、残された30年間を全力で楽しむであろう。
しかし、これから先、どんな体と心の状態でいて、いつ人生を終えるのか、それは誰にも分らないことである。だからこそ、やりたいことがある時が「旬」なのかもしれない。
ブログを書き始めて以来、私のまわりの環境は大きく変わっている。それも、私の背中を後押ししてくれる良い方の変化だ。近い将来、私はこのブログを踏み台に跳躍しようと考えている。
話が逸れてしまった。そのようなわけで、今回は私の事情で「お酒を味わうための」ツーリングではなく、「日帰りで篠山のうどんを食べに行く」という内容になった。
次は何したらいい?
今回の参加者は私を含めて4人。日曜の朝8時、それぞれの居住地から集まりやすい神戸市北区のコンビニ駐車場にバイクを並べた。ここから、篠山まではなるべく信号の少ない道を通って行きたい。
兵庫県篠山市(現在は「丹波篠山市」に変わったが、私にとってしっくりこないので篠山市と今でもよんでいる)は、南北が海に面した兵庫県のちょうど真ん中あたりにある盆地である。
古くは城下町であり、その影響で小さな街ながら文化的な香りのする小京都である。食べ物では黒豆・栗・猪肉が全国的にも知られているが、私たちの目指すのは「讃岐うどん」であった。
「篠山は讃岐とちゃうやん!」とツッコミが入りそうになるが、今や讃岐うどんは香川だけのものではなく、そこで修業した弟子や孫弟子が全国に広めている。九州ラーメンや信州そばみたいなものである。
そんな讃岐うどんの1件が丹波の地にある。そして、そこの大将はバイク好きでライダーたちが集まってくるらしい。酒好きが何かにつけて飲む機会を作るように、バイク好きも普通の人間から見たら適当過ぎる理由で走りに行く。私たちはその両方である。
篠山まではなるべく信号のない山道を通って行く。先頭を走るWさんの職業は郵便配達。いわばバイクに乗るのが仕事だ。私たちは安心してついていく。前との間隔と交通標識に注意しながら、あとは何も考えずにバイクをコントロールする。
上り下り、右へ左へ、適度にギアを変えながら体に風を受けて走っていく。たわいもない歌詞と共に自然とメロディーが浮かんでくる。いつもならフルフェイスのヘルメットの中、もっと大きな声で口ずさむのだが、今日は仲間がいる。あまり奇声を発すると飲んで運転しているのかと思われるので控えめに声を出す。
5曲ほど作曲する間に(曲をすぐに忘れてしまうが)、私たちは讃岐うどん「風輪里」に到着した。
時間は開店する10時より少し前だが、店の前には数人のライダーたちが待っている。開店と同時に店内に入ると、客席の真ん中にトライアンフとダックスが鎮座している。ここにバイクを置かなかったらあと数席増やせるのに思う。客数よりバイクに重きを置く贅沢な配置だ。
店には次々と客がやってくる。店内のバイクと同様に、ハーレーからカブまでバラエティー豊かな車が駐車場に並ぶ。
私たち4人は1つのテーブルに座り、うどんを待っている。なんだか変な感覚がする。そうだ、こんなことは今までなかった。つまり、私たちの間にお酒がないのだ。とりあえず、グラスに注がれた水を冷酒に見立て「この色は香住鶴ですか」などと言いながら口に運ぶ。
やがて運ばれてきたちく天うどんをおいしくいただくと、いよいよ私たちに会話がなくなってきた。もともとシラフで集まるのはこれが初めての上、今日立てた唯一の目的である風輪里のうどんを食べてしまったのだ。
私たちの関係がいかにお酒に依存していたのかがよくわかるが、太陽はまだ登り切っていない。とりあえず、私たちは普通のツーリングらしく適当に走りを楽しむことにした。
花を愛でる
初夏の日差しを受けながら、私たち4人はバイクを走らす。濃くなりつつある木々の緑の中、降り注ぐ太陽とそれが作る影のコントラストが美しい。この光の対比、バイクの方が車よりより鮮明に網膜に映し出される。加えて全身に当たる風、足元から響くエンジン音、その三つが一体となり私にバイクに乗る醍醐味を与える。
昼過ぎに立ち寄った道の駅、観光案内板に美しい花を見つけた。篠山かの北西にある丹波市に、藤の花が有名なお寺があるらしい。名前を「百毫寺(びゃくごうじ)」といい、地域でも屈指の古刹らしい。
「私たちもただの酒飲みではなく、美しい花を愛でることのできる人であることを証明しましょう。」
私が提案した。むろん、私を含めて誰も藤の開花時期など知らない。しかし、皆私の提案にのってくれた。「藤の花の下、ノンアルコールビールで乾杯する」次の目標ができた。急ぐ道ではない。私たちは京都府へと入り、山道を大回りしながら百毫寺へと近づいていった。
朝から感じていたことだが今日はライダーの姿が多い。最近はまたバイク人気が復活してきているという話も聞く。ただ、中年以上が中心で、若者は少ないような気がする。失われた30年のせいか、平均的な若者の可処分所得は私の若き頃より下がっているように思われる。
それにしてもいい天気だ。革ジャンの下が汗ばんでくる。しきりにのどの渇きを覚える。私たちは百毫寺へ到着するとすぐに上着を脱いだ。
お目当ての藤の花は2週間前に終了したらしく、今は10人ほどの作業員が剪定を行っているところであった。それにしてもこれだけの人を雇って手入れするとは、相当に見事な藤なのであろう。切り落とした葉や茎を焼く匂いが懐かしい。
史上最高の味
お目当ての花は見られなかったが、私たちは境内をぶらぶらと歩いた。神社仏閣は私がこの国で一番好きな場所の一つ。心が落ち着き、いつまでもいたい。
他のメンバーはどうかと見てみると、まんざらでもない感じがする。4人とも私かそれ以上の世代、つまりおっさんである。それなりに齢も重ね、人生がどういうものかわかってきた。長い間、生きる者と死者とをつないできた場所に立つと、何か感じることがあるのだろう。
百毫寺は思ったより田舎にあったため、そこに行く前、私たちはノンアルコールビールを買うことができなかった。したがって、寺を後にするとコンビニを目指して走った。
バイクに乗る前、再びジャケットを着ることがためらわれるほどの天気。私たちは暑さにやられていた。時はまだ5月下旬、こんなことでは夏のツーリングが思いやられる。
そのようなわけで、コンビニの駐車場で飲んだ「ドライゼロ」は今まで飲んだどのノンアルコールビールよりもおいしかった。
「今日からノンアルコールでもいいんじゃないですか?」思わず口に出てしまうほどのどに沁みわたった。
朝10時におやつのうどんを食べてから飲物以外はお腹に入っていない。私たちは南へ向かう途中、3時のおやつを食べることにした。
国道175号線を南へと下る。途中、加古川線の線路が少し見える。拡張工事を続ける国道と比べて鉄道のなんとか弱い存在感なのだろう。私はバイクと鉄道のどちらも好きだ。複雑な気分で南へと下る。
西脇市で一番有名なラーメン店で3時のおやつを食べる。店内のテレビでは東京競馬場11レースを中継していた。ギャンブルに興味のない私たち4人は、そのレースの意味を理解しないまま運ばれてきたラーメンを胃袋に入れて店を後にした。
海沿いに住む私たちにとって、ここから先は”別れの一本道”、一緒に南へと下りながら、それぞれにとって都合のいいところで適当に別れていく。
お酒が入った状態でしか会わなかった人々が、初めてシラフで1日を楽しんだ。画期的である。純粋に楽しかった。
しかし、その後のラインでは1泊2日のツーリング計画が頻繁に情報交換されるようになった。やはり、私たちは共通してバイクが好きであるものの、アルコールに対する思いの方が強そうだ。
それはそれで楽しい人生を送れそうである。