スロットで負ける話
いつも職場に到着する前、コンビニでコーヒーのボトルを買います。タリーズのブラックです。今日、レジに並んでいる1分ほどの間、ある会話を立ち聞きしました。そして、考えさせられました。
前にいたのは20代の男性二人組です。二人とも逞しい体で、服装から運送会社の従業員をしていることがわかります。彼らは、二人の共通の知人であり、おそらく同僚でもある人の話をしていました。仮に同僚Aさんとします。1分間の話の内容を箇条書きにするとこんな感じです。
- 同僚Aさんはとてもスロットが好きで、頻繁にパチンコ屋へ行っている。
- しかし、Aさんはスロットの設定をあまり考えずに打つ。
- スロットを打ち出したら、かなり突っ走ってしまう。
- Aさんから聞いた話では、10万円負けるまで打ち続けることもある。
- 自分(二人の内一人)と行く時は、大抵Aさんは5万くらい負ける。
悪口や陰口ではなく、会社の仲間同士が同僚のことを「アイツ、しょうがないなあ、スロットに大金つぎ込んで」と半分呆れて半分心配しているような会話でした。
私がこの話を聞いてまず思ったことは、二人の同僚Aさんの気持ちです。
「スロットで10万負けた時ってどんな気分になるんだろう」
頻繁に行くことができるということは、時には同じ額かそれ以上勝つこともあるのでしょう。そうしないと、たびたびスロットに行くことができなくなるか、マイナス分は別の場所から調達するしかなくなります。
勝ったり負けたりでしょうが、10万円失った時に限定すると、普通の人間なら正気でいられないと思います。
「頻繁にスロットを打ちに行き、そこで時間を使い、時にはお金を得たり、別の時にはお金を失ったり。」
”なんてもったいないことをしている人なんだ。時間とお金を無駄にして!”
こういう風に思った時、別の考えが頭に浮かびハッとさせられました。
無駄にしてる人他にもいます
「時間とお金を無駄にしている」を考える時、1つの大きく、かつ根本的な問題がそこには含まれています。
それは「時間とお金を有効につかうということ」がどういうことであって、有効・無駄を判断するのは誰かという問題です。
有効・無効は形のあるものではなく概念なので、同じ概念である「おいしい・まずい」に置き換えることができると思います。「この料理はおいしい・まずい」これを決めるのは、料理を口にした個人であり、「おいしい・まずい」はその個人の範囲内のみで有効であります。個人の考えが集まると一般性が出てきます。「天下一品のラーメンはおいしい」、そう思う人が多いとこの命題は概して正しくなってきます。漠然とした全体レベルでの正しさと、個人レベルの正しさは全く異なっているようで、連続したグラデーションの延長上に存在するものなのかとも思います。
時間やお金の使い方に関しても、一般的な正しさから個人的なそれまで、無数の色分けをすることができると思います。賭け事でお金を失うことは一般的に見ると、正しくない≒無駄なことであると思います。賭け事には様々な規制がかけられていますし、自分や自分の大切な人に積極的に薦めて行う人は多数ではありません。しかし、このことは個人的なレベルになると変わってきます。昔から賭け事に打ち込み、勝敗にかかわらずその中に愉悦を感じる人は一定の割合存在します。福本信行の漫画はそういう人たちを中心に描かれており、多くの人々に受け入れられています。
賭け事に夢中になることは、一般的には時間とお金の無駄使いと思われていますが、おそらくやっている本人にとっては、これ以上心を燃やすことができる充実したお金と時間の使い方はない、と思っているかもしれません。
話は戻ります、今朝の男性二人組の話を聞いた時、私の第一の感想は「”なんてもったいないことをしている人なんだ。時間とお金を無駄にして!”」でした。しかし、「もったいない」「無駄」の判断をするのは個人レベルの話であって、私はそう思っていても当の本人は全く違ったことを思っているのかもしれません。
ここまで考えた時、当の本人は「無駄にしているかも」と思っていて、一般的に言えば有意義と思われることをしている男に思いが至りました。
外ならぬ私と語学の関係です。
時間と労力in泥沼
私は現在3種類の外国語を勉強しています。
英語とイタリア語と台湾語です。
英語は大学の授業以外でも、何らかの形で学習をしていました。現在、仕事で使うため、ラジオ講座や英字新聞で自主的に学習を続けています。生き帰りの電車の中や休日を利用して細かく勉強していますが、実感として現状維持が精いっぱいの状態です。
イタリア語は、今から20年ほど前何となく始めました。正確にはイタリア人の会話をすぐ隣で聴く機会があり、そのカッコよさにあこがれて始めました。現在はラジオ講座やポッドキャストを中心に学習しています。
台湾語は5年ほど前に、仕事で台湾に行くことがあり、その時その存在を知りました。国語は「北京語≒台湾華語」ですが、国民の7割近くが日常語として、この正書法も定まっていない言葉を使っているというのです。教材は英語やイタリア語に比べると、ものすごく少なく、CD付きのテキストを3冊買って学習しています。
もうどれだけの時間、これらの言語学習に費やしたのでしょうか。
どれだけの回数、言語は使用しないと忘れるから今日も学習しなくてはならないという強迫観念を感じたことでしょう。
それならば、いっそのことやめてしまえばよいのですが、英語は仕事で使用しますし、他の言語も今までやったことをすべて捨ててしまうのはもったいなく、前にも後ろにも勧めないような状態になっています。まさに泥沼の中でお金と特に時間を使っているようなものです。
今朝の二人の男性の会話に出てきたAさん。彼がスロットで5万10万と負ける話を聞いて、単純に私は、彼の行為を「お金と時間がもったいない無駄な事」と言うことはできないと思います。私もモヤモヤした気分のまま語学学習を続けています。それも3種類合わせるとかなりの時間になります。私の給料を自給に換算すると、毎月語学をしている(しなければならないと思いながら)時間で5万円ぐらいはすぐに到達してしまいます。
もちろん、語学をしていると楽しいと思うこともあります。一つ上のレベルに上がったことが実感できた瞬間や、英語の語彙の起源をイタリア語を学習することで発見した時などがそうです。そういった思いをすると、語学を続けてよかったと思うわけですが、普段がモヤモヤモードの私です。「~せねばならない」この気持ちに押されて語学学習をしている時間があまりにも長すぎます。
同僚Aさんは、どんな気持ちでスロットを打っているのかなと思います。負けた分を取り返さ「ねばならない」だったら私とかわらないかもしれません。しかし、勝ち負けを切り離し、そのひと時を楽しむ気持ちで打てていたとしたら、私の語学学習の方が時間とお金の「もったいない」使い方と言わざるをえないと思います。
このジレンマを語学を続けながら解決する方法は一つしかありません。今までやってきたことやこれから役に立ちそうなこと云々に関わらず、語学学習を行う瞬間を楽しく心躍るものにすることです。そのために絶対に必要なことは、心の中から「~ねばならない」という呪縛を取ることなのですが、今の私の状態では一筋縄ではいかないことです。
しかし、ジレンマを解決する方法に気づいたのは、こうしてブログを書くことで思いを可視化できたからだと考えます。したがって、「ねばならない~」を取り除き、私が毎月5万円以上スロット的なもので失わないためにも、ここに文章を書き続けようと思います。
モヤモヤ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ 幸せ?
”時間とお金を無駄にしたくなければ、「~ねばならない」をどうにかしよう”