15日間
特殊相対性理論の話は一旦横へ置いておく。日常生活の中では、時間の長さは変わらないはずなのに、大相撲開催の2週間は普段の倍の速さで過ぎていく気がする。
場所の話が出始めるとソワソワとし始め、待ち遠しい数日を過ごして初日を迎える。日曜日の朝「ああ、これから15日間相撲が楽しめるんだ。妻に録画を頼もう」と思う。午後はたいていサウナに行っているので、汗をかきながら初日を楽しむ。
中日の日曜もサウナで見る。相撲中継を行っている確率の高いサウナに行くようにしているが、たまに競馬やゴルフをやっていることがある。そういう時は終わり次第「相撲に変えてください」とリクエストをする。中日が終わると、優勝争いが気になり始める。
後半戦は馴染みの立ち飲みに行く回数も増える。仕事が終わればダッシュで暖簾をくぐり、後半の10番ほどを常連さんと一緒に楽しむ。家に帰れば前日の「幕内ダイジェスト」を見る。優勝争いに期待する反面、一日一日と「もうすぐ千秋楽だな」という寂しさを感じる。
千秋楽も日曜なのでサウナでみることが多い。相撲を中心に考えるので、この日は「サウナ室→水風呂→休憩」というサイクルが乱れる。楽しみな一番に合わせて時間を調整する。それでもととのったりする。
三役揃い踏みが終わり、最後の横綱戦「これを持ちまして…」という行事の声を聞くと「ああこれで終わりか…」という寂寥感がやってくるが、横綱戦が優勝を決める一番だとワクワクの方が勝る。
明けて月曜日は相撲ロス。あと1ヶ月半待たなくてはならいが、これぐらいの間隔がちょうどいいとも思う。1年に六場所あってよかったと思う。これから生きている間ずっと2ヶ月に一度相撲が見られると思うと、私は一日一日を過ごすことが楽しくなる。
今場所も様々なことを感じた。思いつくままに記してみたい。
Bad Impressions
名古屋場所の番付が発表され、東西十両筆頭を見たときに私の頭に浮かんだコンビ名である。竜電と英乃海、どちらも幕内で相撲を取っているべき力士であるが、わけあって十両に下がってしまった。
その二人が今回十両筆頭で並んだ。人は誰でも間違いを犯すものだ。それは分かるが、英乃海はともかく、私はまだ竜電を心から応援することができない。
世の中の価値感がどんどんと相対化している。昨日の非常識は今日の常識、そんなことを感じて戸惑うことも多々ある。そんな中で「相撲道」という古臭くてややこしいが筋の通った価値観があることが、私が相撲を愛する大きな理由である。
竜電は翌場所から幕内で相撲を取る。相撲道にのっとり、心から応援できる力士になってほしい。
石の上にも…
十両では私は特に炎鵬と栃丸を応援している。
炎鵬は小さな体であっても、技で大きな力士を制するという相撲の魅力を存分に味わわせてくれる。特に最近は力士の重量化が進んでいるため、彼は貴重な存在である。ルックス的にも申し分なく、スターの素質を持った力士である。
そんな炎鵬は十両に落ちて今年で2年になる。今場所は十両8枚目で8勝7敗、もう少し時間がかかるかもしれないが、十両3年目はなく、再入幕を果たしてもらいたい。
一方栃丸は初場所から11年をかけて5月場所で十両に昇進した。その5月場所では何とか勝ち越した。そこで私は「石の上にも三年栃丸十一年」という言葉を使い始めた。使う相手は相撲を知っている同僚、または私のオヤジギャグを受け入れてくれる後輩で、意味は「石の上にも三年」という文脈である。
私はこの言葉が結構気に入っていて、簿記、サウナに続いて次は「栃丸Tシャツ」を作ってもいいなと思っている。単純化した栃丸の顔の下に例の言葉を入れるのだ。私はいくつかイメージを描いてみた。しかし、その栃丸が今場所で負け越した。おそらく9月は十両に踏みとどまるが、そこが勝負となりそうだ。
「石の上にも3年栃丸11年」あと何年かはこの言葉を使わせてほしい。
身だしなみ
関取の象徴と言えば大銀杏。十両以上、つまり相撲で飯を食っていくことができる力士のみに許された髪型である。力士人生の最後には断髪式があり、たいていの力士はそこで感極まって涙する。相撲はただのスポーツではない。力士の髷は、相撲がこの国で神仏を始めとするさまざまなものと関係しながら続いてきたことを示している。
当然、力士は髷の手入れを怠ってはならない。たとえそれが取り組みの途中であっても、髷の乱れは許されることではない。だから大関貴景勝は4日目の逸ノ城戦の直後、土俵の上で何度も髪型を整えようとした。時には首を少しひねりながら髪に手を当てていた。髷の形が納得いかなかったのだろうか。まさか「逸ノ城が髷を掴んでいた」というアピールではあるまい。
私はこの日から貴景勝が登場すると「身だしなみの貴景勝」と呼ぶようになった。
兵庫県出身の力士なので照強・妙義龍と並んで特に応援している。しかし、潔さの欠けた行為は時にファンの熱意を萎えさせる。
「身だしなみの貴景勝」は土俵の上ではなく、普段の着こなしで見せてほしい。
影のMVP
嫌な予感は当たるものだ。初日の琴の若戦から、隆の勝、霧馬山と3連敗。見ていて悲しくなった。
馴染みの立ち飲みの常連客の1人は正代のことを「オセロ好き」と呼んでいる。その心は「やたらとカドを取りたがる」である。このところ、ずっとカド番と何とか勝ち越しを繰り返してきて、またカド番でむかえた名古屋場所、最初の3日で大関維持は絶動的だと思った。いつもの「しょんぼり正代」の顔をしていた。
解説の北の富士さんは、アナウンサーに「明日から中盤、気持ちを切り替えて…」とふられたとき「もう遅いんじゃねーの、相手が大関戦を怖がってないもん」のキツイ一言。
そんな正代が6日目以降変わった。1勝4敗から貴景勝戦を除く全てで白星をあげたのだ。7日目に逸ノ城に勝ち、そして14日目に横綱照ノ富士を破った。コロナで休場者が相次いだ今場所を、最後まで盛り上げた力士の1人は間違いなく正代であった。
私も、久しぶりに見る正代の力強い相撲に大いに励まされた。「やればできるやん。しょんぼり正代って呼んでごめんなさい」そんな気持ちであった。
北の富士さんも千秋楽には「正代に謝んなきゃなあ…」と言っていた。
これで来場所の楽しみが一つ増えた。次こそカドは取らずに安定した相撲を見せてほしい、と思いながらも、同時に、またしょんぼりから立ち直る姿を期待している自分もいるから人の心は複雑だ。