二代目 広沢虎三
高校生の頃からずっとハードロック・ヘヴィーメタルを聴き続けてきた私ですが、大人になった一時期、落語や浪曲に興味を持ったことがありました。落語は古今亭志ん朝、浪曲は二代目広沢虎三です。
壁一面に並んだCDの中に、漢字の多い異質な一角がありました。それがこの二人のCDが並んだ区画でした。多くの人がそうであると思いますが、広沢虎三の「清水次郎長伝」にしびれました。
もう浪曲を聞かなくなって10年以上経ちました。身の身の回りを整理し、CDの枚数を3分の1以下にしたため、広沢虎三も売ってしまいました。しかしながら、この夏、旅をしながら久しぶりにあのだみ声が頭のなかによみがえってきました。
「旅行けば 駿河の道に茶の香り」
実際に歩いていてお茶の香りがしてきたわけではありません。しかし、ここ静岡旅していると、茶畑の多さに驚かされるのです。特に大井川の谷では、耕作できる場所はこれでもかというくらい茶畑で、他の食料はどこで栽培しているのだろうと心配になるくらいでした。
大井川沿いだけではなく、窓から見える丘陵地にも至る所に茶畑が広がっています。次郎長伝で歌われたように、茶の香りがしてきそうな気がします。
ところどころに作業所のようなものが見えます。米どころでいう「ライスセンター」のようなものでしょうか。お茶の看板もたくさん見えます。この地域にとって、いや、日本人にとってお茶がいかに大切な存在なのか感じさせてくれます。
そんな風景を見ながら私は考えました。
「私はきちんと急須で入れたお茶を長い間味わっていない」
身近なものであっても、その価値を忘れてぞんざいに扱っているものがあります。日本茶はその最たるものだと思います。私は今、日本茶をペットボトルかティーパックでしか飲みません。
昨年、英字新聞にOscar Brekellというスウェーデン人が紹介されていました。日本茶に魅せられて、その魅力の発信を生業にしている方です。
マインドを変化させれば、この国において、いくらでも価値あるものを見つけることができると思います。通訳案内士の勉強をする中で、私は自分の無知さに気がつきました。こうやって静岡を訪れているのも、今まで私が見逃していたものを見るためです。
そして、そうすることで結果的に「自分は無知である」という思いが強まり、見るべき、味わうべきものが増えていきます。今回の静岡の旅の場合、私が見逃していたものは「久能山東照宮」でした。新たに無知であると感じされられたものは「日本茶」でした。もう一つ、再発見したいと思わせたもの、それは「浪曲清水次郎長伝」でした。
バスに揺られて
静岡旅は妻と二人で来ています。昨日は大井川鉄道に乗り、静岡市内の居酒屋で静岡割り(焼酎の緑茶割り)を味わいました。大井川鉄道は妻のリクエストでした。今日は私の希望で久能山東照宮へ向かいます。
静岡駅前からバスに揺られて40分、私たちは日本平へと到着し、そこからロープウェイで東照宮へと向かいます。途中、ロープウェイのガイドさんがこの辺りの地形について解説してくれました。
安倍川下流の平地の一部が隆起し、そこが侵食されて今のような地形になったと言います。途中、露頭が見える場所を教えてくれました。砂礫が見え、その場所が川底であったことを教えてくれます。
窓の外に見える地形、植物、動物、全てにおいてその成り立ちがあります。「それが何であるのか、言葉によって説明したい」その思いが各分野の学問を発達させてきました。私が今向かおうとしている場所も、歴史という研究分野で説明されます。そう考えている私の心の中も、心理学という分野で。
知ろうとすることにはきりがなく、全てを理解することは到底無理な話です。人の一生はあまりに短いと思う瞬間です。
日本平から5分で東照宮の入り口に到着します。この久能山東照宮も、通訳案内士の勉強を始める前は、恥ずかしながらその存在を知りませんでした。学ぶことで知らなかったことを知り、そこを訪問することで新たな感情が生まれます。良いサイクルです。ただこのサイクルの欠点は、訪問すべき場所が無限増殖していくことです。
最初の東照宮
今回私は、バケツリストの一つである久能山東照宮を訪問しました。楼門から石段を登り、社殿を通り、神廟までゆっくりと、建物と周りの緑を味わながら歩いて行きます。
どれだけの技術者が集まり、どのくらいの時をかけてこれらの建築物を作っていくのでしょうか。建物だけなら比較的簡単だったのかもしれません。驚くべきは、壮大な欄間から緻密な釘隠しまで、これでもかと施された装飾です。
現在静岡に模型産業の集積があるのは、遡ればこの久能山東照宮の建設で、全国から優秀な職人が集められたことが大きな理由である、という解説が見られました。400年後の産業構造を作り出すぐらいインパクトのあった建物なのです。
砂礫でできた山の頂上に石畳が敷き詰められ、その上に木材と瓦を使った建物が立てられています。すべての材料は、山の麓から標高200mを超える山頂まで人力で運び上げられなくてはなりませんでした。内燃機関がなかった時代に、気の遠くなるような労力です。
私は、それらがあたかも昔から自然にあったかのような感覚で、この久能山東照宮にいます。しかしそれは、全て人の手によって建てられて、400年に渡り保たれてきました。そう考える時、徳川家康の存在がいかに大きなものかがわかります。
徳川家康は、遺言により、亡くなったその日の夜に久能山に埋葬されたと言います。後に有名な日光東照宮を始めとして、多くの東照宮が作られましたが、まぎれもなくここが最初の場所であります。
家康の遺体はどこにあるのか、未だに謎であるそうです。ひょっとしたらこの日、私は彼の亡骸のすぐ横にいたのかもしれません。世界的にも稀な、200年以上続く太平な世の礎を築いた英雄が、私の隣に眠っていると思うと不思議な感じがします。
今度はサウナーとして…
名古屋城本丸御殿、犬山城、そして久能山東照宮。今年の夏は「バケツリスト訪問したい場所編」を3つ達成することができました。嬉しいことは、通訳案内士の勉強を始める2年前には、これら3つの場所に行くことを想像していなかったことです。
人の人生など本当に簡単なことで変わるし、知って行動を続けることで楽しくなっていくものだと思います。わずか1泊2日でしたが、私は妻との静岡旅を充分に楽しむことができました。
しかしながら、私は心の一部を静岡に残したまま帰りの新幹線に乗らなくてはなりませんでした。それは、久能山の他に、ずっと前から静岡にはどうしても行ってみたい場所があったからです。
それは、全国サウナー憧れの聖地「サウナしきじ」であります。
さすがに妻と二人の旅行で「2時間別行動でサウナに入ってくる」ということはできません。せめてもの慰めとしてサウナ付きのホテルに宿泊したのですが、やはり「しきじ」への思いは断ち切れません。久能山へ向かうバスに乗りながらも「せめてしきじの前を通ってくれないかな」と目を凝らしていました。
今度は「バケツリスト・サウナ編」として静岡を訪問してみたいと思います。徳川家の聖地の次はサウナーの聖地です。その時はツーリングを兼ねてバイクで来るのもいいかもしれません。そうなれば旧東海道をたどってみることもできそうです。
楽しみが、また増えていきます。