ジレンマ
大相撲は私の生活にとって、どうでもよいものでした。それが5年前から突然変わりました。私の中の何かが変わったのでしょう。私は40過ぎにして相撲が面白いと思い始めました。ちょうど稀勢の里が横綱になる頃です。
職場にも相撲の好きな先輩がいます。私たち二人が相撲の話で盛り上がっていると、別の先輩が言います。「相撲の何が面白いの?」「太った人がぶつかり合っているのを見て楽しいの?」
「相撲の魅力を一言で言うと『面倒くささ』なんです!」とのど元まで出かかるがグッと我慢します。地ならしができていない人に対して何を言っても入っていかないと思うからです。「そうですね。私も若いころはその魅力に気づきませんでした。人生損していました」と言ってお茶を濁します。その裏には「私より年を召されているのに、まだ気がつかないんですか」という皮肉も混じっています。
大相撲の「面倒くささ」が人生に似ていると気づいたとき、私はこの国技の魅力に取りつかれました。年をとるのも悪くないなあと思う瞬間です。
以来、テレビで相撲を見る時間が私にとって楽しみとなりました。最初は土日の夕方、家にいたら相撲を見ていました。幕内の後半あたりです。そのうち、NHKのBS放送で、早朝に30分間の幕内ダイジェスト番組を放送していることを知り、それを録画して見始めました。
合わせて、仕事が早く終われるときは時間休暇をとって馴染みの立ち飲みで、5時から1時間お酒を飲みながら見るようになりました。至福の時です。
幕内の多くの力士を知ってくると、そこから上がり下がりをする十両の力士も気になります。私は、休みの日は2時半ごろにテレビをつけ、十両から見るようになりました。
十両が気になれば当然次は幕下というわけで、最近では条件が整えば1時にテレビをつけて、6時までダラダラと相撲を見るようになりました。「時間を効率的に使わなくては」という病気に取りつかれた男が、この有様です。私にとっての相撲の魅力がよくわかると思います。
まあ、それはそれでよい時間の使い方だと思うのですが、ここまで相撲を見る時間が増えてくると、あるジレンマが現れます。それは「相撲を見たい時間の量」と「実際に見ることができる量」の違いに由来します。
1つの場所が終わると、私の家のハードディスクレコーダーの中には大量の相撲中継やダイジェストが残ります。30分間のダイジェストは15日間全部、中継はどうしても見たい日を撮ります。
時間を見つけて見ては消去を繰り返していくのですが、それでもかなりの量が残ります。私の使える時間を考えると、全部を見ることは不可能に近いことです。どうしても見たい取り組みをピンポイントで見て、残りは泣く泣く消去したりします。
NHKの動画サイトで見ることもできますが「後で見ることができる」と思うものは、たいていはその「後で」がやってきません。こうして私が永遠に見ることのない勝負が積み重なっていきます。
この11月福岡場所は、相撲鑑賞者としての私にとってとても厳しい場所です。まず、休日の5時間ダラダラ鑑賞ができる日がありません。それは家族の都合であったり、仕事であったり、個人的な予定であったりするのですが、土日の合計5日間鑑賞できないことは最近ありませんでした。
平日もちょうどこの時期仕事が忙しく、5時に立ち飲みに行くことは難しいです。相撲好きの常連さんと共にテレビを見ながらの酒は、私にとって2か月間心待ちにしている時間なのですが、今場所は難しそうです。
この記事は4日目が終わった時点で書いていますが、私にできることといえば、録画しておいたダイジェスト版を早送りしながら見ることです。勝負と勝負の間にも楽しみがあります。私は大好きな北の富士・舞の海コンビの解説を飛ばしながら相撲を鑑賞しているのです。
こういう時、私はジレンマを感じます。自分の生活は今のままでよいのか、もっと幸せを感じながら生きる方法があるのではないか、そういうことを考えるのです。
想像してみる
相撲に関して現在の縛りが採れた状態を想像してみます。相撲開催中に自由に過ごすことができるとすれば、私はどんな行動をとるのでしょうか。
大相撲をテレビで見ることができるのは昼の1時から6時の間です。NHKのBS放送と地上波をつなぎながら見ます。お昼ご飯を食べて、お茶かコーヒーを入れてテレビをつけます。
3段目辺りから勝負を見ることができます。新聞やテレビで名前を見ることのない力士たちが登場します。私は「相撲名鑑」を脇に置いて、それら無名の力士たちの情報を確認しながら勝負を見ます。1年後、2年後に関取になっていそうな力士を予測しながら見るのも楽しいと思います。
幕下上位戦を前に十両土俵入りがあります。そのあたりで飲物を入れなおします。本来ならお酒をちびりとやりながら鑑賞したいのですが、それは我慢したいと思います。テレビでの相撲観戦=酒となってしまったら恐ろしいことになるからです。一日5時間×15日間飲んでいたら、確実に体を壊すと思うからです。
十両になると力士の顔は分かるので、名鑑は脇に置き「頭(こうべ)ノート」を取り出し、気になったことを描写します。十両土俵入りから幕内結びの一番まで通しで見られることなど、普段なら場所中に休日に予定の無い1~2回しかありません。それが毎日見られると思えばワクワクします。
家でのテレビ観戦もよいのですが、場所中に数回は馴染みの立ち飲みで観戦したいと思います。立ち飲みは5時から開いているので、その時間に合わせて家を出て電車に乗って最寄りの駅へと向かいます。
移動の間はラジオで勝負を楽しみます。相撲中継のラジオのアナウンサーは、本当に難易度が高い職業だと思います。短い勝負であっても視聴者の頭に場面が浮かぶように的確に言葉をつなぎ、また膠着した長い勝負でも言葉を発し続けます。そんなプロのテクニックも学びながら立ち飲みへ向かいます。
5時になりお酒の解禁です。美味しいお酒を飲み、常連さんとの会話を楽しみながら相撲を見ます。なんて楽しいひと時なのでしょうか。結びの一番を見終わると、楽しかった余韻に浸りながら家路へと付きます。そんな小さなイベントを、場所中に4~5回持てたらと思います。
以上のような行動パターンに加えて、年に数回は実際に場所まで足を運び、相撲を鑑賞できたらと思います。
私は、今年の夏初めて相撲観戦を行いました。7月の名古屋場所でした。相撲を見て、名古屋サウナの雄「ウェルビー」に泊ってきました。「これから毎年これをしよう」と決めました。7月なら平日でも比較的休みがとりやすいのです。
名古屋に加えて、3月の大阪場所も日帰りで行くことができます。実は今年も行く予定でしたが、急な用事が入り行けなくなりました。来年からはもっと前もって計画を立て、毎年行きたいと思います。
私は自由に相撲鑑賞について想像をしているのでした。いつの間にか現実的な話になっていましたが、条件が整えば、すべての場所ですべての日程を直接観戦することができます。夢のようなことですが、実際にそれに近いことをしている人もおられます。テレビで話題になった、土俵正面によく見られる妖精のような女性もその中の1人でしょう。世の中には私の知らない世界がまだまだあります。
私という人間はどのような器をもっているのでしょうか。今の自分では毎日テレビで鑑賞できる姿は想像できても、土俵際の妖精のような生活は、残念ながら夢物語にしか考えられません。
基本はテレビや立ち飲みで鑑賞しながら、年に6回各場所に遠征して直接観戦する、これなら実現しそうな気がします。今までできていないということは、自分の器を広げる必要があるということですが。
道のりを考える
相撲を中心に理想の人生を想像してみました。1日に5時間、それを年間90日相撲が見られる生活です。90日の内20日ほどは幕内後半戦を立ち飲みで見て、6回は各開催場所に観戦しに行きます。夢のような生活に思えますが、書いていてまんざら無理ではないような気がしてきました。
このような生活を送るためにはどうしたらよいのか考えてみます。
まず家族の承認を取る必要がありますが、それはクリアできそうです。子どもたちは大きくなっていますし、妻は常々「好きなことしていいよ」と言ってくれています。
仕事に関して言えば、今の仕事をやめざるを得ません。基本的に月曜から金曜は朝から夕方まで時間的に拘束されますし、土日や祝日に仕事が入ることもよくあります。完全に自由に休める日は月に4日ほどです。
相撲に関して夢のような生活を送ろうとすれば、相撲鑑賞と仕事とを天秤にかけなくてはなりません。場所の無い偶数月は制限なく働くことができます。相撲開催中は、午前中で終えるような仕事がいいです。
そのような時間的な制限を考えると結果的にフリーランスの仕事になると思います。私が組織から離れるとして、いったい何ができるのでしょうか。
まず浮かんだのが全国通訳案内士です。今年の2月に資格を取りましたが、実はまだ都道府県への登録を終えていなく、今のままではガイドをすることができません。登録を終えたとして、どのように仕事を取っていき、どれくらい自由が利くのかもまだ調べていません。
英語を教えることもできるかなあと思います。英検1級も取得しましたし、今でも継続して学習を続けています。中学社会科教師を目指していたため教員免許も持っています。ただ、不規則な時期で教えることができるのかなとも思います。この辺りも調べる必要があります。
ブログを書き続けていると、文章を書く仕事もおもしろいかなと思い始めています。自分の名前を出したエッセイやレポートといった仕事はハードルが高くても、世の中にはウェブライターなど一定の形をクリアできればできる著述業があります。文章でいえば、ブログを発展させていくという手もあります。
いっそのこと相撲を仕事にするという手もあります。相撲バーを開くのです。私一人でできる小さな店で、テレビ中継のある1時から6時まで営業です。店をやりながら私も観戦できるように、カウンターの内側から見える位置にもモニターを設置します。そこで明石焼きを出すのも面白いかもしれません。
今場所は思ったように相撲が見られないので、いろいろと想像してみました。考えながら思ったことは、上で考えたような相撲中心の生活もできなくはないということです。ただし、そのためには前提があるということも浮かんできました。
その前提とは、上で書いたような生き方にはサイドFIREの基盤が必要ということです。現在行っている仕事を考えると、フリーランスになることは不安定に思われます。そのためには何もしなくてもある程度のお金が入る金融資産がほしいです。
もう一つ必要なことは、自由なときに仕事を得ていくための場所かなと思います。現在においてその場所とは、ウェブ上にあります。しかし、私はそう言った場所にほとんどつながりを持っていません。
引き続きサイドFIREを目指しながら、SNSにも手を出し始めようかなと思ってきました。
かつては「そんなこと無理やろ!」と言われていたような生き方が可能な世の中になってきました。私の好角家ライフも全くの夢ではないと思います。
このライフスタイルに、サウナや農業を組み合わせる可能性もあります。例えば、朝農業して、昼から相撲を見て、それをブログに書く。直接場所で観戦したら、現地のサウナに行って、それを記事にする。こんな感じです。
そう考えたら何だかワクワクしてきました。人生は簿記、貸方負債の裏には資産借方があります。今回「時間が取れなくて九州場所があまり見られない」という負債が、「好角家ライフを考えてワクワク」という資産を与えてくれました。こう考えると、忙しいことにもよさが見えてきます。
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