メロンを食べながら

月一の帰省

今年はよく実家に帰省した。私が一人で帰るときもあれば、家族を連れて帰ることもあった。帰省の主な理由は農作業を手伝うことと、両親の作った農作物を持って帰ることである。

4月ごろから父親の神経痛がひどくなった。立ったり歩いたりはできるのだが、同じ姿勢で長時間いることが辛いという。農業には結構同じ姿勢のまま行う作業が多い。今まで父親と母親で分担しながらできていたことが難しくなってきた。

私は田んぼの肥料撒きや刈り払い機による草刈りを行った。一度帰省するごとに約半日、父親の指導のもと手伝いを行い、たっぷりと米や野菜をもらいこちらに帰ってくる。県をまたぐため、日帰りで帰ってくる。私は泊ってもどうってことないのであるが、世の中にはいろいろなことを気にする人たちがいる。両親に居心地の悪い思いをさせたくない。

今月も、妻と二人で帰省した。高速道路に乗って約2時間半の道のりである。コーヒーを飲み、夫婦の会話を楽しみながらの道中であるが、時々イタリア語のCDをプレイヤーに挿入しシャドーイングを始める。私のいつもの病気である。妻は慣れているので何も言わない。

いつもは途中で早めの昼食を食べてから実家に行くのであるが、今回は久しぶりに実家でいただいた。両親が私たちに松茸を食べさせたかったからだ。食卓には松茸ご飯を中心に、取れたての野菜や、父親が海から釣ってきた魚やイカがならんでいた。

会食にならないように、私たち夫婦は私の両親と別々に食べた。コロナというか、それに対する人々の異常な恐怖心が恨めしく思う。会食は本当に危険な行為なのか。県境にそんなに意味があることなのだろうか。雑多な情報が多すぎてどうしたらよいのか分からない中、大切な時間だけが過ぎていく。この家で、私の兄弟家族を含めた3世代が集まり、最後に会食をしてからもうすぐ3年になる。

食事の後、いろいろな雑用を手伝った。今回は草刈りや肥料撒きは無い。夏の間、あれだけ旺盛に成長いていた田畑の雑草が枯れかけている。一年草の一生は、地球が太陽の周りを1周する間の出来事。ただでさえ短い一生であるが、実家の田畑のそれらのほとんどは私の操縦するマシンによって刈り取られる。

重いものを運び、倉庫を整理し、精米をする。大した仕事ではない。それでも、両親は「助かった」と言ってくれる。つまり、両親はそれだけ年をとったということ。そして、それは今は実感の湧かないが、未来の私の姿でもある。

棚のメロン

倉庫で作業をしながら、棚に並べられたメロンが目に入った。2段になった棚に約20個のメロンが並べられている。そのひとつひとつの茎に、紙で作られた二種類のタグが付けられている。

1つ目のタグは父親からの食べごろを伝えるメッセージで、もう一つは渡す人の名前である。父親は収穫したメロンを前に、彼の人間関係、つまり普段どのような付き合いをしているかを思い浮かべ、それらを渡したい人を決めているのだろう。

実際に私がこの日実家を去る時、私は父にお使いを頼まれた。兵庫への帰り道、途中の親戚三件にメロンを渡すのだ。父のメロンのおかげで、今回の帰省、私は叔父や叔母に合うことができた。モノが循環することは、人もまわっていくことだと実感する。

私も父のメロンを手に家に帰った。冷蔵庫で冷やし、茎についたタグが示す日になると妻が切ってくれた。素人が作ったものとは思えない味がした。体が必要としている水分と甘みが自然に浸み込んでいくような味だ。

父の作ったメロン

大学生の長男は離れて暮らしているため、メロンは私と妻と次男の3人の胃袋に収まった。私はメロンを食べながら、豊かさについて考えた。

実家の棚には約20個のメロンが並べられていた。つまり、それは私の両親にはメロンを渡したいと思える人が少なくとも20人はいるということ。

私の両親が人にあげるものはメロンだけではない。今回もメロンと一緒に大きくて甘いイチゴをもらって帰った。晩秋にどうしてイチゴが作れるのか分からないが、私たちは当たり前のようにこの時期イチゴをもらう。

少し前はブドウの季節だった。毎年大量にもらっているのに、私はその品種名すら知らない。スーパーで見ると、似たようなブドウが一房千円以上で売られている。とても買う気にはならない。

メロン・イチゴ・ブドウ、これら3つは主に父がビニールハウスで作っている。父は若い頃から園芸が趣味で一時期は蘭なども作っていた。商売用の大きな温室をもっているわけではないが、実家の隣の畑にビニールハウスを建てて、その中で少しずつこれらの果物を作っている。出荷するわけではなく、主に人にあげて、残りを自分たちで食べる。

リストは続く

ビニールハウスで作る3つの果物以外にも、人にあげるものはまだある。みかん、キウイフルーツ、カキ、ゆず、畑の端に適当に植えられた果物の木には、手入れしなくても毎年大量の実がなる。

よいものは人に渡すが、なにぶん父と母の二人では食べきれる量ではないので、口に入らなかった分は畑に捨てられる。なんだかもったいないが、そうはいっても私たちもこれ以上食べることができないくらいもらっている。

これらの果物に加えて、野菜のリストも続いていく。食卓の基本となるジャガイモ、玉ねぎ、人参はもとより、キャベツ、白菜、白ネギ、わけぎも作っている。私がとりわけ好きなのは夏野菜である。

ナス、トマト、ピーマン、オクラ、キュウリ、太陽の光と夏の雨をたっぷり含んだこれらの野菜を食べると、本当に疲れた体が回復する。夏野菜カレーにしたり、素揚げにしたり、煮びたしにしたり、塩もみにしたり、そのまま切って食べたり、夏は野菜だけで食卓が成立するしお酒も飲める。

野菜の次は海の幸である。こちらは主にイカである。私の父はある大きな会社に勤務していたが、早期退職をした。子どもたちが独立したことと、自分のやりたいことに時間を使いたかったからだ。

退職をしてすぐに買ったのが小さな船であった。いい季節になると、その船に集魚灯をつけてイカを釣りに出かける。イカ以外にもアジなどの魚を釣ってくる。今回帰省したときは「キジハタ」という魚が出てきた。脂がしっかりとのった美味しい魚であった。

釣った魚は処理をした後、実家に2台ある冷凍庫に収まる。しかし、気候が良いと父は頻繁に海に出るため冷凍庫はすぐに一杯になる。だから魚はさまざまな人のもとへと届けられる。私たちも実家に帰るときはクーラーボックスを持参する。冷凍庫のイカをそれに入れて持ち帰り、てんぷらや刺身にして味わう。

果物、野菜、魚ときたらあとはキノコ類と肉類か。

実家の裏のキウイの木の下で、かつて椎茸を作っていた。クヌギの木を買ってきて、それに菌糸を打ち込むと椎茸が生えてくる。しかし、最近では作っていないようで、夏に草刈りをしていると朽ち果てた木を目にした。

父はよく村の山に松茸を取りに行っていた。松くい虫の被害と、松林が手入れされなくなったことで収穫量は減ったが、それでもかなりの量を取ってきて、私たちの口にも入ってきた。

今は一緒に山へ入っていた相棒が亡くなったことと神経痛のため、父は松茸狩りには行っていない。しかし、メロンやイカが松茸を連れてくる。今回私たちが味わった松茸ご飯も、両親が他人に与えた何かが形を変えたものだ。

同様に肉類は作っていないものの、返礼としてのハムや缶詰が実家にはよくあり、最終的にそれらは私たち家族のもとへとやってくる。

決断するなら…

記事を書きながら私はワクワクしている。人間の営みの最低限の部分、衣食住の内、食が貨幣をそれほど介することなく回っていくことがとても楽しいことのように思える。

食べ物を回すということは、人も移動するということ。会って、話をして、食べ物を渡して、お礼を言われて、別れる。しばらくすると、その人は返礼にやってくる。そこでも、同じ行為が行われる。

コミュニケーションの目的の一つは「コミュニケーション自体を続けること」にある。私たちが言葉を交わす目的は、分かり合うためというより、言葉を交わし続けるためにある。

お互い完全に理解し合って、そこで会話が終了することを私たちは望んでいない。「話し足りない」という気持ちが、次のコミュニケーションの原因となり、よいコミュニケーションとはその欠落感を抱えたままずっと続いてゆくコミュニケーションである。

ものの交換もそうで、貨幣を介さない限り交換したものの価値を同一の度量衡で測ることはできない。「もらいすぎた」「あげたりない」という不均衡が次の贈与へとつながり、私の両親の場合は、野菜や果物が採れるたびにそれが続いていく。ものと言葉の交換が一つとなり、それが至る所で続いていく。

私はメロンを食べながら、そのような生活に憧れている自分に気がついた。いったい自分は今、何人の人にどれだけのものを与えているのであろうか。

倉庫で見たタグのついた20数個のメロン。もし、私がこれらのメロンを作ったとしたら、私にはこれらをすべて渡せることのできる関係性の数を持ち合わせていない。周りに人はたくさんいるようで、実は返礼の続くような関係、つまりコミュニケーションを継続したいと思える関係はそれほど多くない。

利便性の高い都市での暮らしに、そのような関係性は不必要なことなのかもしれない。コミュニティーより個人に軸足を置き、できるだけ誰にも頼らなくても生きていけるように設計されているのが都市であるからである。

しかし、人間とは交換をする動物である。贈与の起源は人類と同じ歴史を持つと言われている。そのような難しいことを考えなくても、目の前の両親、常に多くの人と交換を続けている二人の姿はとても幸せそうに見える。

そして、私もその交換の輪を起動させる一因、つまり自分で何かを作り出すことがしてみたいと切望している。そうするためには、それほど長い時間が残されているわけではない。数年以内に決断する必要がありそうだ。

できるだけの条件を整えて、自分の思うような人生にしていきたい。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。