立ち飲み屋で
1年前にかかりつけの内科で脂肪肝の診断を受けて以来、私は肝臓とお酒に関する本を何冊か読みました。本を手にするたびにお酒を減らすことができそうな気がするからです。
実際に読んでいる間は納得してます。家でお酒をダラダラ飲むくらいなら、そのぶん良いお酒を店で少量飲んだほうがよいとか、週に最低でも三日は休肝日を設けるのは当然、そのような気持ちになりながらページをめくるのです。
「もっと健康に関して厳しい指摘を私にしてほしい。そして私がお酒を飲む量を減らしてほしい」などと他力本願な気持ちで本を読むのですが、読んだ直後は効果があっても、少し期間を伸ばしてトータルで考えると飲んでいる量はあまり変わっていません。
幸いにも、私はバーやスナックをハシゴするような、私たちの親世代にあったであろう習慣は持っていません。したがって、金額的にお酒に使う額は知れています。外で飲むと言えば、居酒屋か立ち飲みが相場です。
職場近くの馴染みの立ち飲みに行けば、必ずと言っていいほど知り合いの常連客がいます。肝臓のことは心配なのですが、この年齢も職業も異なる人たちとお話をする楽しみを捨てることはできません。「家で飲む量を減らそう!」と毎回のように決意をして、今日も立ち飲みに向かいます。
この立ち飲み屋さんに通ううち、お酒以外に趣味が同じ常連客と知り合いました。その趣味とはバイクに乗ることで、今年の5月には4人でツーリングに行きました。初めてシラフで過ごす旅もなかなか楽しく、また行こうと言いながら夏が過ぎ、秋に入る頃、ようやく次の計画が持ち上がりました。
11月の終わりに今度は一泊で行こうという話になり、行き先は前回と同じ丹波篠山方面になりました。特に篠山にこだわりがあったわけではありませんが、ジビエを食べながらお酒が飲みたいという皆の希望を一番満たす場所は、この辺りでは丹波地方になるのです。
皆が心配していたのは当日の天気でした。11月の丹波地方はかなり冷え込みます。雨の中でのツーリングはかなりこたえると予想されました。というわけで、幹事さんは念のためにレンタカーを予約していました。
そして週末の天気予報が雨だと分かったとき、私たちツーリングクラブは「レンタカーで行く」という決断を下しました。つまり、「雨に打たれてでもバイクを走らせたい」という硬派な思いよりも、「快適に宿について美味しいお酒を飲みたい」という軟派な欲望が勝ったということです。
11月下旬のある日、神戸駅近くのレンタカー店に集合した私たち4人は、バイクに乗らないツーリングに出発しました。
酒を飲む前に…
車は六甲山を超え、神戸市北区を通り吉川方面に向かっていきます。山道でしきりにバイクと出会います。天気予想に反して、今日は天気がもっています。すれ違うバイクに対してあれやこれやとコメントをする私たちは、車で旅するツーリングクラブのメンバーです。
「今日だけドライビングクラブにしましょう」などと言い笑い合っていますが、私たちの共通項はバイクとお酒です。車で道行くバイクについてワイワイと話をしながら移動するのも、邪道ではありますが、またバイクの楽しみ方の一つです。
前回のツーリングでは、信号停車時と休憩時ぐらいしか話ができませんでしたが、今回は道中ずっとしゃべりっぱなしです。あっという間に丹波篠山市に入り、まずはお目当てのラーメン屋に到着しました。そういえば前回のツーリングでもうどんとラーメンをハシゴしました。今回も麺類になったのは幹事のWさんが、麺好きで、それに関して幅広い知識があるおかげです。
昼食を済ますと、宿につくまでフリーです。私たちは2つの寺を訪問することにしました。たらふく酒を飲む前に、少しでもいいことをしておこうという算段です。寺社仏閣好きの私は諸手を上げて賛成です。
私たちは国道176号線を逸れて、宝橋山・高蔵寺(ほうぎょうさん・こうぞうじ)へと向かいました。この寺は静かな谷の合間にありますが、予想以上に訪問客が多く、途中で狭い道で観光バスとすれ違うぐらいです。
何でも「丹波篠山もみじ三山」の一つで今がまさにシーズンとのことなのです。私たちはそのような知識もなく、寺に到着したのちパンフレット見て知りました。
山門をくぐり、境内に入ります。一面の紅葉というわけではありませんが、樹齢の高そうな風格のある木が迎えてくれます。阿弥陀堂で手を合わせ、御朱印を書いてもらいます。お寺の方と話をすると、ここの奥の本堂には三十三年に一度御開帳の秘仏があるそうですが、前回は5年前だったそうです。
「あと二十八年かあ。来られるかなあ」私たちは各々二十八年後の姿を口にしながら本堂へと歩みを進めていきます。
「バイクでは無理かな。下手したら車いすで押されているかも」私の顔は笑っていますが、心は笑っていません。老いを考える時、私は恐怖にも似た感覚に襲われます。「仕方のないこと」と頭で分かっていても、心がついていかないのです。
本堂にお参りをして紅葉を愛でながら駐車場へ向かいます。時折、巨木のそばを通ります。これらの木は、今まで何度、秘仏十一面観音菩薩を目にしてきたのでしょうか。私は一度でも見ることができるのでしょうか。個人的にはそんなことを考えながら車に向かいます。
駐車場にホンダのカブが何台か止まっていました。メンバーの一人Rさんが突然「バイク乗りはカブで終わる」と意味深な発言をされました。今までさまざまなバイクに乗ってこられた方です。「父親ぐらいの年になったらカブに乗るのもいいかな」と思いました。
初めての紅葉
高蔵寺は看板を見て偶然立ち寄ったお寺ですが、私たちはもう一つ、出発前日に訪問を決めた寺がありました。ニュースで偶然知った本光山・三寶寺です。このお寺では今、五十年に一度の秘仏が開帳されているそうなのです。
ここのご本尊は十一面観音菩薩立像で、平安末期の作と言われています。私は神社仏閣が好きで、積極的に訪問するほうですが、どうしても奈良や京都になるメジャー級の施設に目を奪われがちです。
しかし、このような丹波の田舎にも、こうして800年も続く寺や仏像が残っているのです。日本は本当に豊かな国で、私は一生をかけて見るべきものが多くあると思わされます。
山門をくぐり境内に入ります。ここも数多くの人々で賑わっています。多くの人が本堂の庭にある大きな紅葉の写真を撮っています。私も一目見て心を奪われました。大きく広がった枝の下に、散り落ちた無数の葉が層をなしています。
「これは血のりだ」と私は思いました。つまりそれほどの鮮やかで濃い赤さだったのです。こんなにも紅葉が赤くなるとは想像していませんでした。確かに美しいのですが、同時に恐怖を感じるほどの色合いでした。
私の頭の中に土佐藩出身の幕末の志士、吉村寅太郎辞世の句が浮かびました。
「吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ」
勤王の志士で奈良吉野に天誅組を結成した吉村は、鷲塚口の戦いで二十七歳で命を落とします。辞世の句の紅葉は、彼の戦う相手の血を表していますが、私は政変に敗れてを無念の死を迎えた吉村本人のそれを連想してしまいます。
目の前の紅葉と彼の辞世の句を重ね合わせ、私は生まれて初めて紅葉を見たような気持ちになりました。その紅さは生命力の象徴なのですが、散り落ちた葉は死をむかえようとしています。一つのものの中に生と死の両方を重ね合わせることができる、それが紅葉の美しさだと感じました。
その後本堂に入り五十年に一度の十一面観音を拝観しました。私の網膜にこの観音様の姿がうつるのはおそらく今日が最後です。先ほどの高蔵寺の秘仏は、生きている間に見られる可能性がありますが、こちらは自信がありません。
私は入り口で何にもつままらずにブーツを脱ぎ、玄関を上がり、堂内を歩き回り、時にはしゃがんだり、サッと畳に座ったりします。例え五十年経ってここへ来られたとしても、これらの動作をすることができないでしょう。もちろん五感も衰え、頭もまわらなくなります。時間をかけて全く違う自分になるわけです。
そんな中、秘仏が同じ姿で私の前へ現れたとします。その時、私は何を思うのでしょうか。現在の平均寿命からすると難しいことかもしれませんが、再びここでこの仏様に会ってみたいと思いました。そのためには、もっと体を労わり肝臓を休ませてあげる必要があるのですが、それはこの後私たちが行おうとしていることとは完全に矛盾しているのです。
さて、寺巡りは終わりました。ここからは俗な世界です。私たち一行はこの地方の2件の酒蔵を周り美味しそうな日本酒を仕入れました。私たちをつないでいるのはバイクと日本酒です。バイクはダメだったので日本酒に力を入れましょう。
篠山にある築百年の古民家を改装した建物が今夜の宿です。一日一組限定なので羽目を外すこともできます。
私たちは信じられないような静かで落ち着いた空間でこの土地の恵みを味わいました。鹿肉を食べ、猪肉をむさぼり、地の野菜で胃袋を満たし、そして大いに飲みました。
食事が終わると宿主と一緒に庭に出て、半分に切ったドラム缶に薪を入れ、火をつけました。そしてその火を囲み、また酒を飲みました。普段街で暮らす中、どれだけ長い間焚火から遠ざかっていたのでしょうか。
辺りは本当に何もない漆黒の暗闇です。こんなに明るかったのかと思うぐらいのオリオン座が見えます。そんな中、私たちの前だけ明るく炎が揺らいでいます。いつまで見ていても飽きない揺らめきです。
私は自分の命をこの炎に例えずにはいられないタイプの人間です。私の生まれるまでの数億年、私がいなくなった後の数億年。生きている私は、この広大な暗闇の中に浮かぶこの焚火の炎のように思えるのです。
かけがえなく、そして美しい存在です。
その美しさとお酒の力で、私は椅子に座ったまま十時を待たずに眠りに落ち、他のメンバーに担がれて布団へ入ったようです。
炎の美しさを愛でていた集まりは、その後皆に酔いが回ると共に、口に含んだウィスキーを噴射する火吹き集団へと変貌したといいます。宿主を含めて私以外は翌朝みなヘトヘトでした。
バイクに乗らないツーリングもいいものでしたが、次はやっぱりバイクで来て、翌朝きちんと運転できるぐらいの飲み方にしようと言いながら、私たちは宿をあとにしました。
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