CDリスト
働き始めてしばらくしたころ、私は一つのリストを作りました。エクセルの左側のセルから「バンド名」「アルバム」「リリース年」「優先度」「コメント」のタイトルをつけます。そしてそれらの欄に自分が買うべきアルバムの情報を入れていきます。元データになったものは何冊かのCDガイドでした。
まだi-podやスマートフォンが登場する前のことです。音楽を聴くと言えばCDを再生するとほぼ同義で、街には大小のCDショップが数多くありました。また書店に行けばCDガイドやレコード店ガイドも売られていました。
私はそれらのガイドを見て買うべきCDリストを作りました。リストの中身はハードロック・ヘヴィーメタル(以下HR・HM)という音楽です。高校1年生でこの音楽に出会って以来、私はブレずに聞き続けてきました。そしてそのことを誇りに思っていました。
今思えば別に「ブレて」もよかったのです。音楽はそれほど気負って聞くものではないと思うからです。自分の心に素直になって体が要求する音楽を聞けばよいのですが、まあ当時の私は若かったのでしょう。この世に生まれ落ちたHR・HMの名盤をできるだけ多く所有したいと思っていました。
独身で、学生時代のバイトとは異なる額の給料が毎月入ってきます。私は時間を見つけてはよく神戸の三宮・元町周辺のCD屋さんを周りました。当時はこの辺りにタワーレコード・HMV・ヴァージンメガと3つの大型店がありましたし、中古店も今より多くありました。それに何といってもHR・HMに特化した名店「ブルーベルレコード」がありました。
私はリストを見ながらCDを探していきます。ガイドのコメントを読んで私が心動かされたアルバムには、リストの「優先度」の欄に星が多くつけられています。リストはアルファベット順にソートしてありますから、お店でもリストを見ながら棚をAから順番に移動して目当てのアルバムを探していきます。
私が探していたアルバムの多くは70年代から90年代初頭に発売されたものでした。HR・HMの黄金期です。特に80年代にはメタルブームが起きたので、インフレぎみに「これでもメジャーデビューできるのか?」と思うバンドまで多くの作品が世に放たれ、そしてすぐに廃盤となっていきました。私は、時代を超えた名盤に加え、そういうアルバムに出会えることも楽しみにCD屋を周り続けました。
数回訪れた瞬間
私のCD屋巡りは30代に入ってすぐ終わりを告げました。理由はいくつかありますが、決してHR・HMが嫌いになったわけではありません。世間の偏見はありますが、多くの人に通じる旋律を持った音楽だと思いますし、今でも聞いていて熱くなり、時には涙を流すこともあります。
あまりに平凡な理由でHR・HM的ではありませんが、結婚して子供ができると関心もお金もそちらが優先となります。既婚の同僚と比較すると、私は結構自由になる小遣いを持っていましたし、CD屋を巡る程度の時間ならありました。
それでも、ある時期を境にリストを手に街に出ることがなくなりました。それは、CDを探すことばかりで、買ったCDをろくに聴いていないと気づいたからです。欲望は手に入れる直前に最大化し、手に入れた瞬間から急速に減退していくというやつです。
「私は好きな音楽を聴いていない」
仕事も忙しく、子育てにも手間がかかります。いつかじっくり聴こうと思いながらもそうされることなく積み重なっていくCDを見ると、少し虚しくなってきました。常にカバンに入れられていたCDリストはクリアファイルに入れられて本棚に行き、そしていつの間にかなくなっていました。データの入っていたUSBも、今ではどこにあるのかわかりません。
私がリストを手にCD屋を巡っている間、数回、あるものに心奪われそうになった瞬間がありました。私はその度に一線超えようかどうか悩み、立ち止まり、そしてあきらめました。
あるものとは、ビニール盤のレコードのことです。
CDと比べ売り場面積は圧倒的に小さいのですが、中古CD屋の多くはその一角にレコードを置いていました。この売り場に見えるレコードのジャケットがHR・HMの名盤だったりすると、私は「ハッ」となって立ち止まることがあったのです。
レコードのジャケットは、CDのそれとは発するメッセージの圧力がまるで違います。惹きつけられるようにそこへと向かい、レコードを手に取ってみます。大きくて、薄くて、紙でできています。CDのジャケットからは読み取れなかった細かなデザインが目に入ってきます。
ここからビニール盤を出して、ターンテーブルにのせ、針を落とすと左右のスピーカーから音が流れてくる。
「いい音するだろうな」
私は想像しました。人間にとって「いい音」とは物理的な空気の振動以外からも成り立っていると、私の直感が私に告げます。
私は子どものころの自分を思い出しました。家には木目調のレコードプレイヤーがありました。ビートルズや、サイモン&ガーファンクルや、吉田拓郎のレコードがありました。
私はレコードをターンテーブルにのせて、親や叔父の聴いてきた音楽を聴きました。英語の曲はもちろん何を言っているのかわかりません。しかし、何を言っていそうなのかは感じることができました。
ときどきボリュームを0にすると、針とレコードの間から小さな音が聞こえてきます。どうしてこんなものの中に音が入っているのか不思議な気持ちがしました。
「レコード、買ってみようか」
何度も考えました。知人にどんなオーディを買えばよいか聞き、自分でも調べました。CDを探しに行くと、レコード売り場に行き、パタパタパタとレコードをめくるようになりました。
すでに手に入れているCDも、レコードで見るとまるで表情が違います。それにCDとの出会いは主に背表紙の文字ですが、レコードは絵や写真から関係が始まります。
何度も考えましたが、私には一歩踏み出すことができませんでした。ただでさえ本とCDが多い家に、今度はレコードが加わっていくのです。レコードプレーヤーの場所の確保、買った後のレコードの手入れ、それらを考えることも面倒です。そして何より、レコードはこれから消えてゆくメディアだから、機械や部品も販売されなくなるし、アルバム自体も作られないと思い込んでいたのです。
結局、私とレコードとの関係は、CDを買い始めた中学生時代に終わりました。
優しい動き
CDリストを手放してから20年近くの時が過ぎようとする今、私は久しぶりに心を動かされています。
場所は、丹波篠山市にある古民家の一室。私たち4人は、ゆったりと体を椅子に横たえながら、陶磁器製のスピーカーから流れる音に耳を傾けています。私の右側の棚の上にはレコードプレーヤが置かれ、その横には30枚ほどのレコードが並んでいます。
私と一緒にいるのは、バイクとお酒が好きな人たちで、行きつけの立ち飲み屋で知り合い、一緒に旅行をしているのです。私たちは、”限界集落”とも呼べる場所にある古民家宿に、一日一組の宿泊客として来ています。目的は、猪や鹿といったジビエを食べながらお酒を飲むことです。
この部屋にはテレビがありません。料理ができるまでの間、4人はこうして椅子にもたれてレコードプレイヤーから流れる音楽に耳を傾けています。30枚のレコードの中にHR・HMのアルバムはありません。しかし、私は十分に満たされています。とても優しい気分になっています。
音楽を聴きながら私はその理由の一つが分かりました。
ターンテーブルの動きです。
音を聴きながら、私の視線はずっとターンテーブルの上にありました。ずいぶんとゆっくり回転しています。レコードの回転数は私の子供時代と変わりませんが、CDプレイヤーの動きに慣れた目にはゆっくりに見えます。
33と1/3回転。三分間に100回転する速さです。その速さで回転するビニール盤の溝を、ダイヤモンドの針がなぞって、その振動を増幅させて音にします。黒一色の塩化ビニールも、光源の加減で場所によって光を反射し、それがターンテーブルの回転によって揺らめきます。
その光の揺らめきをぼんやり見つめていると、とても心が落ち着いてくるのです。アルバムを選んでターンテーブルにのせたKさんにジャンルを聞くと「ジャズフュージョン」という答えが返ってきました。
この環境なら大抵の音楽は気持ちよく聞くことができる、私はそう思いました。やはり人間にとって「よい音」とは物理的な空気の振動のみではなく、視覚、触覚など他の感覚と結びついての「よい音」なのです。そして音楽のジャンルに関わらず「よい音」を聴くと、人はこんなにも幸せな気持ちになれるのです。
食事までの間、私たちは何枚かレコードを聴き続けました。あまり会話はありませんが、耳と心が癒されるいい時間でした。
さて、私の脳内には今、いくつかのアルバムが流れています。どのアルバムもレコードプレーヤーから再生されています。私はゆったりと椅子に座り、時折それらのアルバムのジャケットに視線を送りながらターンテーブルの上の光の揺らめきを眺めています。
アルバムは、ヨーロッパの「幻想交響詩」、ジューダス・プリーストの「British Steel」、エアロスミスの「Toys in the Attic」といったものです。90年代以降のHR・HMも聞きますが、レコードをイメージしやすいのはやはり80年代までの作品です。
今の私は、音楽を聴くと言ってもイヤホンか車のスピーカーが主流となりました。そんな生活を続けていると、レコードプレーヤーでこの時代の曲を思いっきり聴いてみたい、そんな思いがつのってきます。それを実現するためには、今の生活スタイルを根本から変える必要があります。
レコードに関して、すごく久しぶりに迷いの中にいます。しかし、それは心地よい迷いです。なぜなら、それはもう答えが見えている迷いだからです。そしてその答えは、私にとって都合の良い方の答えです。
私は、おそらく次は一線を超えることができます。レコードプレーヤを買い、中古CD屋巡りを再開します。買うのはCDではなくレコードです。もうリストは持たずに、その場の直感に従って選びます。
レコードを聴く場所は、薪ストーブのある和のテイストの部屋です。それは私が実家を改装して作ります。
レコードに加えて、通訳案内士、明石焼きの店、農業、二拠点生活、サイドFIRE、これらのドットがつながりそうな感じがしてきました。つなげるように努力をしていきます。
「よい音」のため、「よい人生」のための生活を考えていきます。
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