九州場所を振り返る

この10月から11月にかけての私の生活は一瞬で過ぎ去っていった。仕事、家族、プライベートで「やるべきこと」「やったほうがよいこと」「やらなくてはならないこと」が重なって、体も心も余裕のない状態が続いたのだ。

それはそれで後から振り返ると充実した時間だったと思えるかもしれないが、今はもっとゆっくりと相撲が見られる生き方をしたいと思い、先日「好角家ライフ」を思い描き、執筆した。九州場所が終わるともう師走。一年が終わりを告げる。

九州場所千秋楽の最終取り組み「この一番をもちまして」という行事の声を聞くと「今年の相撲はこれで最後なんだ」という何とも寂しい気持ちになる。大相撲にはオフシーズンがなく二か月ごとに開催されるので、別に寂しがる必要はないのであるが、そこは人為的に定めた時の「一年」という区切りに心が影響されている。ここでも人は「ことば」に支配されていることがわかる。

多忙のため今場所はそれほどよく見れていない。レコーダーにも見る当てのない大量の録画が残ったままであるが、備忘録のため気になった今場所気になったことをいくつか記したい。

「一」から「十五」

大相撲はさまざまな要素から成り立っており、単に「スポーツ」という枠に当てはめることはできない。しかし、あえてスポーツであるとすると、他のそれと大きく異なることの一つに「四股名」がある。

四股名は、主に海や山など自然のもの、竜や馬などの動物、親方の一文字からつけられるが、中には「遠藤」や「正代」など苗字をそのままつける場合もある。

今場所、何気なく取り組みを見ながら面白いと感じた四股名が「一山本」であった。日本でもかなりメジャーな「山本」という苗字に「一」の文字をつけるだけで、ありふれた苗字が非常にインパクトのある響きに変化する。

一山本は去年の夏から幕内で相撲を取っていたが、私は今場所になってそのネーミングの良さに気付き、注目をして見始めた。なんでも北海道で公務員を辞し、家族の反対を押し切って角界に入ったという。私は個人的にそういう話が好きである。それは、自分が同じ立場だったら未知の世界へチャレンジする勇気を持ち合わせていない事実を認めたくないからである。

この一山本、スタイルもいいし男前である。私は応援した。そして勝ちを重ねるごとに「二山本」「三山本」と数字を足して呼ぶようになった。今場所は惜しくも「七山本」と負け越してしまった。いつの日か、このスター性のある関取を「十五山本」と呼びたい。

真の相撲好き

私が大相撲の魅力に気がついたのは五年ほど前のこと。そのころは有名な力士しか知らないので、幕内上位しか見ていなかった。TV中継でいえば5時以降である。相撲を見つづけると、おもしろいと思える力士も増えてくる。勝負を見たいと思う時間は幕内前半・十両と前倒しになってくる。

そんな中、本当の相撲好きは幕下上位の取り組みを楽しむという話を聞いた。これは言うまでもなく、相撲界では十両以上と幕下以下では、その待遇に置いて天と地ほどの差があるからである。

力士は十両になって初めて「関取」と呼ばれ、一人前として扱われる。そして関取になることのできるのは70人程度、力士全体の約1割強に過ぎない。幕内上位とは、まさにこの狭き門をこじ開けようとする猛者たちの集まり。土俵で名を残すか、普通の人に戻るのか、おもしろくないはずがない。

というわけで、時間が許す限り私も十両土俵入り前後の取り組みはなるべく見るようにした。今場所は朝乃山に唯一土をつけた玉正鳳が幕内優勝した。おそらく次は幕下上位に上がるため、勝ち越せば関取に手が届く。

幕下筆頭の湘南の海は、勝ち越しなので間違いなく十両へ、東西幕下六枚目の千代ノ皇と栃神山も四勝三敗、八枚目の石崎と友風も五勝二敗の勝ち越しなので番付編成会議が楽しみだ。

幕下上位では個人的にはウクライナ出身の獅子と、栃丸を応援していたが共に負け越してしまった。栃丸は今年五月の十両昇進までに十一年の月日を要した。それが僅か三場所で幕下へ降格。来年は頑張ってもらって「石の上にも三年栃丸十一年」という言葉を、また使わせてほしい。

もう一つ、予定より一場所遅れたが幕下五枚目の朝乃山が、六勝一敗で関取に戻ってくる。私はキャバクラに行ったことがなく、それがどんなところなのかよくわからない。しかし、規則を破ってまで、バレたら関取の地位を失うかもしれないとわかっていてまで朝ノ山の足を運ばせたキャバクラの魅力を知りたいという気持ちは、少しある。

もう一度幕内で…

一時期は幕内上位まで上がりながら、十両での取り組みが長くなってきている私の御贔屓力士、それが炎鵬。私だけではない。炎鵬の勝負は動画再生回数でも上位に来ることが多い。皆から愛される相撲取りである。

小柄な力士が、素早い動きとバラエティー豊かな技で大きい力士をいいように操って倒していく。そこには、ただ単に力のぶつかり合いだけではない相撲の魅力が詰まっている。

小柄な力士は他にもいるが、彼には華がある。そして男前である。相撲をもっと多くの人に、特に若い女性に好きになってもらうためには華やかさが必要なのではないかと思う。炎鵬、若隆景、翔猿、遠藤といった「相撲界のジャニーズ」の更なる活躍が望まれる。

炎鵬は今場所東十両十一枚目で十勝。この調子で、来年は再び幕内での勝負が見られることを期待したい。令和二年の九月場所、逸ノ城との勝負を私はオーストラリア人の友人「童君」と一緒に立ち飲み屋で見ていた。体重が二倍の逸ノ城を破る勝負に、童君は驚いていた。私も感動した。幕内の炎鵬を再び見たい。

やり直そう

やはりあの人のことを書かずにはいられない。私の中のアンビバレントな気持ち。「やる気のない勝負を見せるなよ」という怒りにも似た気持ちと、「あの強い当たりでぶちかましてほしい」という期待。

いつの間にか私は正代のことを「しょんぼり正代」と呼ぶようになってしまった。立ち飲みのある常連さんは「オセロ大関」と呼んでいた。その心は「やたらとカド(番)を取りたがる」からである。

事実、大関になって以来正代は、勝ち越しと負け越しとを繰り返してきた。今場所でカド番となるのは5回目であるが、私は「後がない正代」に慣れてしまって、何となくここでは勝ち越すだろうと思っていた。

私が正代に期待することとは何なのであろうか。たぶん、大関とか勝ち越しとかそんなことではないと思う。負けて「しょんぼり」なろうと、次の日には気持ちを切り替えて、あの強力な当たりで相手を圧倒してそのまま土俵際まで追いつめる力強さ。そんな姿を見た時、私は同時代に正代と出会えてよかったと思う。

大横綱白鵬が恐れた正代の立ち合いの圧力。前日がしょんぼりでも、立ち直ってその圧力が出せるのが正代の魅力。今場所では、三日目の琴ノ若戦での立ち合いに久しぶりに鳥肌が立った。

これが私の見たかった立ち合い。しかし、琴の若に勝利したものの最後は自分も倒れ込んでの押し出し。最近の正代の白星は、このように自らの腹にも土が付くような体勢が多いと感じる。

私を筆頭にファンはわがままだ。勝手に力士のイメージを作り上げ、それを要求してしまう。しかし、そのイメージと現実との乖離と接近を味わうことこそが、好角家としての醍醐味であることも事実である。

大関だろうと関脇だろうと番付は関係ない。私は正代のあの当たりを期待して来場所を待つ。

長くなるのでその他簡単に記す。

・次に横綱になるのは豊昇龍ではないかと思った。勝負が一番最後まで分からないのは彼との対戦であるからだ。あの下半身の力と柔らかさは驚異的で、勝負がついたと思う場面からの逆転がよくある。私の贔屓にしている力士と一番対戦してほしくないのは豊昇龍である。私の中で、プロレスでいうとヒールの役割。試合を面白くしてくれる。

・千秋楽の四時、私は行きつけの立ち飲みの暖簾をくぐった。高安の優勝を常連客達と共に味わいたかったからである。今場所はかち上げからの攻めで勝利を積み重ねてきた。阿炎との立ち合い、かち上げが弱いと思った。その後もリーチの長い阿炎に攻めあぐねた。今年の大相撲を面白くしてくれた最大の功労者の一人である高安。優勝させてあげたかった。

・千秋楽で七勝七敗が幕内で9人、十両で7人いた。なんて緊張感のある最終日なのだろう。そして、最近は十四日目までに対戦がなければ、千秋楽に七勝七敗同士が組まれる。大相撲に引き分けは無い。あるのは勝ち越しか負け越し。そして、東の横綱から序の口の尻まで、ひとりひとりが違う階級に振り分けられていく。厳しい、でも見る分にはたまらなく面白い。

今年も相撲が楽しめたことに感謝します。力士を始めとする協会関係者、それを報道するテレビや新聞社、勝負を盛り上げるファンの皆様、すべての人にありがとうと言いたい気持ちです。

来年はもっと相撲中継が見られるようなライフスタイルを模索していきたいです。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。