近くの書店で
言葉の働きは世界に切れ目を入れること。一つに繋がった世界のどこに切れ目を入れるかによって、切り取られたものが意味を持ち始める。モノの名前、人が行う行為、それを取り巻く環境、心に浮かんだ思い、それらは名付けられることで私の世界に現れる。
何か出来事が起こる。ただ起こる。私の周りに、何かが起こる。
私はそれを「偶然」だとか「必然」といった言葉で色合いを添えようとする。全く予測しない形で起こればそれは偶然となり、起こりうると思うことができれば必然となる。
昨年末、私が北海道へ旅立つ数日前に起こったことは、どちらの言葉を使えばより適切に表すことができるのであろうか。その時は「偶然」であったと思ったが、旅を終えて振り返ってみると「必然」であったような気がする。
街中がクリスマスで飾られる中、私は仕事帰りに最寄り駅近くの書店に立ち寄った。いつものように店内をあてもなく歩き回り、私と目が合う本を探す。ノンフィクションのコーナーで、表紙に写った二人の男が私に鋭く視線を投げかけてきた。男の胸元には「三流シェフ」というタイトルがある。
黒いひげを蓄えた左側の男、少し笑っているように見えるが、その鋭い眼光こちらを突き刺してくる。白いひげの右側の男、その貫禄に押されそうになるが、その表情の奥に感じられる優しさが同時に見るものを癒す。どちらの男もただものではない。
二人は三十五年間の時を経た同一人物である。その名を三國清三という。世界中でその名を知られた、日本を代表するフランス料理のシェフである。
「このタイミングで再会するか…」
私は唸った。本を手に取るとすぐにレジへと向かった。家へ帰ると部屋に入り、一気にその本を読み通した。
「これですべての意味合いが変わってくる」
私は思った。意味合いが変わるのは、その週末に控えていた次男との二人旅である。私たちは北海道へ旅することになっていた。北海道の中でも、この季節にあまり観光客の行かない場所へ訪問する予定であった。
今回の旅で最初に訪れる街は留萌と増毛。三國清三氏を知っている人なら、この二つの街を訪問することは理解できるであろう。しかし、私たちの場合、最初にこの二つがあり、三國氏のことなど頭の片隅にもなかった。
「留萌本線がもうすぐ廃止になる」だから留萌を訪問しよう。「前回の旅は羽幌線の廃線跡を見た」だから今回は増毛までの廃線跡を見てみよう。次男の希望はそのようなものであった。
出発の二か月前には飛行機を取り、留萌のホテルを予約した。そして出発の数日前になり、私の目の前に三國清三氏の本が現れた。三國氏を知らない次男にとっては旅の意味は変わらない。私にとっては、突然旅のメインテーマができた。
「三國清三が15歳まで過ごした場所を見てみたい」
あるテレビ番組
私が彼の名前を始めて知ったのは中学生の頃だった。彼を追ったテレビのドキュメンタリーを見たのがきっかけであった。別にフランス料理に興味があったわけではないが、なぜかその番組をビデオに録り私は繰り返し見た。
「日本人に本物のフランス料理は作れない」そう言われる中、若き日本人のシェフが世界の食通たちを料理でうならせる、そんな番組であった。三國氏は当時30代であった。スイスやフランスの著名な料理人のもとで腕を磨き、東京に「オテル・ドゥ・ミクニ」という名のレストランを経営していた。
「オテル」って何なのだろう、HOTELとは違うのだろうか。レストランなのにホテルなのか。英語やイタリア語を学ぶ今ならその意味を推測することができるが、中学生であった私には不思議な感じがした。
画面に映し出された三國氏は鬼のようであった。眼光が鋭い、動きが速い、そしてスタッフに対して怖い。「今は殴らなれないだけましになったという」そんなナレーションが入っていたことを思い出す。
レストランと言えばデパートの食堂ぐらいしか知らなかった私にとって、そこに映し出される世界は異次元の空間であった。「世界でも有名なシェフの料理とはどんな味がするのだろうか」「一体あの空間で夕食を食べたらいくらかかるのだろうか」そんなことを想像した。
私が知らないすごい世界がある。厳しい修業して、誰も想像しなかったような味を作り、私の周りとは異なる世界に住む人たちに提供する。自分が大人になったとき、その世界の中に入ることができるのだろうか。
「三國清三」の名前は、中学生であった私の中に深く刻まれた。そして、フランス料理について何も知らないまま、時だけが過ぎていった。
二人の関係
三國氏のテレビ番組を見て三十年以上が経つ。私は大人になり、フランスにも何度か行ったし、この日本でもフランス料理を食べることはある。「一体どんな味がするのだろう」と想像もつかなかったあの頃の気持ちはなくなってしまった。私は「オテル・ドゥ・ミクニ」で料理やワインを味わうようなクラスではなく、居酒屋や立ち飲みの方がはるかに似合うオヤジになった。
それでも、中学生の時に見たあの番組の印象がよほど強烈だったのか「三國清三」というキーワードには心のアンテナがよく引っ掛かり、時折彼について知る機会があった。
その中でも印象的だったものは、帝国ホテル総料理長村上信夫氏のエッセイに現れた三國氏の姿であった。私は村上氏と三國氏の関係も知らなく、ただ雑多に本を読むなかで村上氏の「帝国ホテル厨房物語」を手に取り、そこで三國氏と再会した。
「フレンチの神様」と呼ばれた村上氏は、帝国ホテルでほとんど鍋洗いしか経験のない三國氏をスイス大使専属のコックとして推薦する。数百人の料理人を有する帝国ホテルである。普通なら考えられないような人事である。三國氏にとっても村上信夫は雲の上の存在、文字通り「神様」であった。
そんな神様が三國氏を大使専属のコックとして選んだのは、三國氏の持つセンスにあったらしい。鍋磨きや塩の振り方一つとっても何を考え、どんな気持ちで行っているのか、その人の料理に対するセンスが見えてくるという。村上氏は、三國氏が料理を作る前にそんな彼の持つセンスを見抜いたのである。すごい話だ。
フィクションの世界では、物語は予想外の人物から意外な展開で生まれてくる。それを可能にするのは、キーパーソンの持つ慧眼である。普通の人には見ることができない世界が見える人がいる。そんな人が物語を展開していく。
フィクションの世界で起こることが現実に現れると、それはドラマとなる。村上氏によって描かれた三國清三は、そんな不思議なドラマを感じさせるものであった。
私が「帝国ホテル厨房物語」を読んだのは今から十年ほど前のことである。「こんなところでこの二人はつながり、その後こんなドラマがあったのか」と思った。実際に三國氏の世界への飛躍は、このスイス大使館への勤務がきっかけとなる。神様はやはり神の視座を持っていた。そして神に選ばれるものも、それだけの何かを有している。これは後知恵になるが「三流シェフ」と読むとそれがよくわかる。
増毛へ向けて
旅の話を書こうと思っているのになかなか前に進むことができない。文章を書くということは、過去の自分と対話をすること。話をしながら私が忘れていた過去の記憶やその時感じた感触が浮かび上がってくる。
私は三國氏が15歳まで過ごした街を訪問しようとしている。出発の数日前まではそんな考えは頭の片隅にも浮かんでいなかった。
廃線となる留萌本線を味わうこと、留萌の街で美味しい魚を食べてお酒を飲むこと、駅でにしんそばを食べること、そんな俗な気持ちばかりが溢れていた。それはそれでいいし、正直なところ旅の楽しみの大半はそこにある。
しかし「三流シェフ」と私は出会ってしまった。それは気軽に北海道を訪問しようと思っていた私に、過去三十数年間の記憶と向い合せる作業となった。
若き日の三國氏のドキュメンタリーを見た時のこと、帝国ホテル厨房物語を読んだ時のこと、書きながらもう一つ記憶がよみがえってきた。十数年前のNHKの番組だったと思う。
番組では三國氏が増毛の小学校を訪問していた。地元の食材を使って料理を作る。でもその前に、その素材を目を閉じて黙って口にし、真剣に素材の持つ力を感じさせる、そんな番組だったと思う。
おそらくその小学校は三國氏の通っていたものであろう。私はその番組で久しぶりに三國氏を目にした。増毛の海でとれた海産物を真剣な表情で口にしていた。五感の全てを使って素材を味わっているような感じであった。
彼が増毛で生まれ育ったことはその時知ったのかどうか、私の記憶は曖昧である。しかし、鉄ヲタである私にとって増毛という地名が「留萌本線の終点である」という以外にもう一つの意味を持った。
増毛の小学校での番組の後、私はウィキペディアで三國氏の経歴を調べた。帝国ホテルで勤務する前に札幌で働いていたことを知った。実は2021年の冬、札幌グランドホテルの前を歩いたとき私は胸騒ぎを感じた。「このホテル、何かがある」そう感じたのだ。
今思えば十年前にウィキペディアで見た三國氏の情報であった。彼は札幌グランドホテルで働いていた。普段の生活で私が三國氏を意識して過ごすことはない。99.99%は別のことを考えながら生きている。しかし、一度心に刻まれたことは、何かをきっかけとしてこのように突然私の前に浮かび上がってくる。
地元の書店での「三流シェフ」との出会いは、まさにこのトリガーであった。