ありがたい話

駅間2.9キロ

今年最初のブログは「ありがたい話」から始めたいと思う。何がありがたいのだろう。それは端的に言うと「現代にこの国で生まれて暮らしていること」。昨年の終わり、そのことをしみじみと感じることができた。何でもないような経験であるが、よく考えるとありがたい話。

私は北海道に来ている。隣には次男がいる。彼は北海道に夢中である。2021年は私たち二人は三度この地へやって来た。今年(2022)は初めて、ちょうど一年ぶりの北海道である。

今回は次男の一人旅の予定であったが、いろいろあって私もついてくることになった。私にとってはおまけのような旅である。次男と二人旅をするのも最後であると思いながらの道中。

次男は少し変わっていて、あまり人が観光で行く場所には行きたがらない。私たちは今までの旅行で歌志内、夕張、音威子府、歌内、苫前というような場所を訪問した。おそらく普通の人にとって馴染みのある地名は夕張ぐらいであろう。

そんな彼はこの日「恵比島から真布まで歩きたい」と言った。どちらも石狩平野の北端、深川市から留萌方面に向かった沼田町にある駅名である。今回の旅の目的の一つは、残り三か月で廃線となる留萌本線の石狩沼田ー留萌間に別れを告げることであった。

限りある列車本数の中で見たい駅を訪問するには、どうしてもこの区間を列車以外で移動する必要があった。旅に出発する前日、北海道は局地的に大雪が降った。私たちは急遽、大規模停電の起きた紋別のホテルをキャンセルし、予定を変更していた。

そんな中での雪道散策、妻は真っ先に反対した。前回の秘境駅「歌内」での下車もそうであった。母親は冒険と安心を天秤にかけたとき、後者が圧倒的に重くなる。実際に去年は歌内訪問の翌日、宗谷本線は雪のため終日運休となった。列車が止まるタイミングがズレれていれば、最悪何もない雪の中で一日中当てもなく過ごすことになっていた。いや、一日で終わればよいかもしれない。そんな怖さが冬の北海道にはある。

この日の石狩平野

今回も前回と同様に「最終的にはお父さんの判断で」という条件付きで妻は許してくれた。私は留萌本線の列車の中であっさりと決断を下した。「さあ、歩いていこか」。

確かに気温も氷点下で、見渡す限り一面の銀世界、積雪量もかなりのものである。しかし、北海道の除雪力の高さは私の想像をはるかに超えていた。

各駅のプラットホームは、たとえ無人の小さな駅であっても、乗降する部分から駅舎への導線はきれいになっている。道路は車が通る道なら除雪され、普段と変わらないような速度で車が走っている。列車の中から沿線のあちらこちらに力強く雪かきをする黄色い除雪車が見える。

「どこかで雪かきをしながら歩かなくてはならないかも」と思っていた私たちは拍子抜けしてしまった。約1時間かけて私たちは駅間にして2.9キロの区間を歩いた。道は全て除雪済みであった。

この間、いったい何台の車とすれ違い、または追い抜かれたのであろうか。あまりに車が来ないので、私たちはカチカチに凍り付いてなかなか崩れない雪の塊を蹴りながら車道を歩き続けた。5分に1台程度の車が来たら、そのときだけ端によける。なんて贅沢な道の使いかたなのだろう。まるで私たちのためにこの道はあると錯覚を覚えてしまうほどだ。

こんな道が、きれいに雪かきされたもののほとんど車が通らない道が、北海道全土にはいったいどれだけあるのだろうか。真布駅の板張りの貧祖なプラットホームで私は考えさせられた。

恵比島駅近くの踏切から

ちっぷゆう&ゆ

真布から深川方面の列車に乗り、来た道を引き返す。ちょうど私たちが深川から恵比島まで乗った列車が留萌で折り返したものだ。車内には見覚えのある顔がかなりいる。それら純粋にこの路線に乗るためだけに来ている人々を除いたのが日常の留萌本線の姿。廃線になるのもいたし方ないのかもしれない。

石狩沼田、秩父別と、合わせて20人ほどの乗客が乗ってきた。中高生のようだ。おそらく旭川へでも遊びに行くのだろう。少しホッとする。私たちは秩父別で下車し温泉を目指す。

息子たちが小さな頃、家族でよく温泉に行った。私も妻も風呂好きであるからだ。今でも息子二人と一緒に湯船につかった場面をよく思い出す。「秩父別の温泉に行こう」と言い出したのは次男の方からであった。

駅から線路沿いに3分ほど歩くと「ちっぷゆう&ゆ」の建物が見えてきた。外の気温は氷点下、踏みしめる雪の感覚で寒さがわかる。一刻も早くお湯に浸かりたい。

受付で料金を払い、貸しタオルを受けとる。「ちっぷゆう&ゆ」は宿泊施設と日帰り入浴施設が一緒になったかなり大きな建物で、私たちは長い廊下を歩いて風呂まで移動する。

体を洗い、浴槽に身を沈める。滑らかなお湯が体を温める。私たちは今朝は氷点下の中を歩き続けていた。私と同じ湯船につかるのが恥ずかしいのか、次男は露天風呂に入っているようだ。

さて、ここでの楽しみはテレビ番組「サウナをめでたい」でも紹介されたサウナ。こういう施設にしては珍しく、サウナストーンを使った対流式サウナが楽しめる。次の列車のことを考えると残された時間は2セット分。私は最上段に座り汗をかいていく。

約10分温まったところでサウナ室に次男が入って来た。サウナ好きの私を横で見ていて興味を持ったのであろうか。「5分したら帰ってくるから」と次男にサウナマットをあずけて水風呂へ向かう。ここのサウナマットは使い放題なのだが、貧乏性の私にはそれができないのだ。

冷ための水風呂に1分浸かり外気浴へ。おそらく現在の気温はマイナス5度ぐらいであろう。壺風呂から溢れ出すお湯でお尻を温めながらの外気浴。状況的にもアドレナリンがガンガン放出され、一回目からクラクラと気持ちがよくなる。

「このサウナは素晴らしい。半日いたい」と思うが、残された時間は30分。留萌本線の列車本数は、一本遅らせたら一日のスケジュールが根本的に変わってしまう。「次でラストかあ」と思いながらサ室へ入り、次男からマットを受けとる。

「この後水風呂にはいるん?」次男が私にたずねる。彼もサウナーへの道を歩もうとしているのだろうか。

長男も次男も私の置いていたギターをいつの間にか弾き始めた。長男は英語に興味を持ち、大学の専門ではないが学習を続けている。次男は「鉄ヲタは嫌だ」と言っていたにも関わらず、今では鉄道の旅を楽しむようになった。

父親が知らず知らずのうちに子どもに与える影響をこんなところで感じている。彼もそのうちサウナーとなり、私のように全国のサウナを巡るようになるのか。

10分後、露天風呂にいた次男にたずねた。「水風呂、気持ちよかったか?」

「無理だった」

誰でも最初はそうである。人生には、時間をかけててこそ理解できることがたくさんある。私は子育てをしながら、そういった場面に立ち会えることに感謝をする。

列車の時刻まであと15分。ここから駅まで徒歩5分なので、10分間、畳の大広間で休憩する。自販機でサッポロクラッシクを購入し、温まった体に流し込む。まだ午前中である。背徳感と解放感の混ざり合った気持ち、これこそ旅の醍醐味。このような姿もやがて、息子たちに真似されるのであろうか。

エネルギーを使って

私はこの北国でこの日、いったいどれだけのエネルギーを使ったのであろうか。

やかんに水を入れてガスコンロにかける。火力を調節しながら、なるべく効率よくお湯を沸かし、そのお湯を使ってコーヒーやお茶を入れる。お湯はなるべく余らせないように必要な分だけ沸かす。普段の生活、私の体にはそういった「もったいない」が染みついている。

しかし、ここで私がしていることは何なのであろうか。かかり湯を洗面器で3杯4杯と体にかけていく。これだけのお湯を作るのにいったいどれだけのエネルギーが必要になるのだろう。

大きな浴槽を維持し、冷めやすい露天風呂を温め続け、サ室内を90度に保ち、エネルギーを使って水風呂の水を冷たくする。館内は全て暖房がきいていて暖かい。その館内で電気を使って冷やしたビールを飲む。

私がここで使ったお金。入浴料と貸しタオルが一人当たり700円。サッポロクラッシク290円。1000円でお釣りがくる。今回は時間がなかったが、それは3時間いても半日いても同じこと。

私たちはそのような国に住んでいる。

ここだけではない。千円札一枚で半日幸せな気分になれるような施設が、全国いたるところにある。

前日、神戸空港から新千歳まで飛行機に乗ってやってきた。日時や便を選べば1万数千円でチケットが買える。鉄道の半額以下である。二人で1泊7~8千円のビジネスホテルに泊まり、お得な切符を組み合わせて移動し、こうして平日の午前中に千円以下で幸せな気分になれる。そんな国に私たちは暮らしている。

雪が降っても行政が雪かきをしてくれて、歩くのに不自由をしない。調べたいことがあれば、スマホですぐ検索ができる。お腹が減ったら、どんな小さな街にでもコンビニがある。困ったことがあれば、警察や消防に連絡すればすぐ来てくれる。入院することがあれば、手厚い健康保険制度が守ってくれる。

私たちはそのような恵まれた国に住んでいる。

世界に200近くの国があるなかで、また人類1万年の歩みを考えた中で、私が今いる時と場所は「あり得ないぐらい奇跡的な時と場所の交点」つまり文字通り「有り難過ぎる環境」である。

私は、私を取り巻く全てのものに素直にありがとうと言いたい気持ちであるし、言うべきであろう。

これからも、自分の内側に対して不満を持つことがあるかもしれない。しかし、私を取り巻く環境に対しては文句を言うべきではないと思えた体験であった。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。