休日の朝
私はこのブログを土曜の朝に更新することが多いです。平日、お酒を飲まなかった日に書きためていたものを、土曜の朝早起きをして少し訂正して投稿、というのが普通の流れです。
土曜の朝早く起きるのは、大体9時ごろに仕事へ向かうのでその前に記事をチェックしたいからです。仕事の無い土曜は午前中かけて記事を書き投稿します。
私の仕事は週休二日が建前ですが、土曜日は3~4時間仕事をすることも多々あります。仕事が終われば、イタリア語の教室に行き、書店で本を買い、ウォーキングをして家に帰るというのがパターンです。たまに銭湯でサウナに入ったり、立ち飲みに寄ることもあります。なかなか充実しています。
日曜日は、たいていは一日自由です。そして日曜日の起床時間は、私が気分良く一日を、いやその週を過ごせるかの分かれ目になります。朝起きて一番にすることは決まっています。アイロンがけです。
若い頃から私はアイロンがけが好きで、特にシャツにあてるときに幸せを感じます。蟹を食べる時、黙々と蟹の身を殻から掘り出して集め、一気に食べる時幸せを感じると思います。あれと同様で、一週間分たまった私と息子のシャツを前に、次々とアイロンをかけると私は幸せな気持ちになるのです。
無秩序な状態に秩序を取り戻す行為、それがアイロンがけです。熱と蒸気と共にきれいな面が生み出されるのを見ると、自分が秩序を回復させたヒーローに思えてきます。家事の中でもこればかりは妻に譲ることができません。
「ねばならない病」に感染している私は、当然このアイロンがけを”有意義”なことと同時に行います。具体的にはiPodで英語やイタリア語を聞きながら行うか、録画しておいたNHK Worldの英語番組を見ながら行うかです。
日曜日の朝、六時に起床して熱いお茶を入れます。アイロン台の前にドサッとシャツを置き、霧吹きに水を入れてアイロンの横に置きます。お茶を一口すすり、カップを横のテーブルに置きます。イヤフォンを耳にして再生ボタンを押せば私の楽しみな時間の始まりです。
7~8枚のシャツにアイロンをかけ終えてもまだ七時半です。このころになると妻も目を覚まし朝食を作り出します。朝食を食べ終わっても、私にはまだ午前中だけで約四時間が残されています。しかも、私はここまでにアイロンがけと語学学習を終えています。なんて”有意義”なんでしょう。
寝過ごした!
起床時間が二時間ズレると話がかなり変わってきます。
日曜日の朝八時以降に目を覚ますと、私はかなり焦ります。本来なら一週間分のアイロンがけと1時間半の語学学習が終わっているはずの時間だからです。
私は今「本来なら」という言葉を使いましたが、これが私の思考の硬さです。休みの日は”有意義”なことで埋めるためにこうあるべきだという考え方が先になり、その型が先にでき上っているのです。
妻は「たくさん寝られてよかったじゃない」と言ってくれますが、私は素直にそうは受け取れません。
ベットから出るとまずアイロンがけをどうするのか考えます。一週間分アイロンをあてるのか、月曜日の分だけにするか、その中間をとるか。やりたいことをやって夕方まで待つという手もあります。
アイロンをあてながら語学学習がはかどるのは、誰も起きていない早朝であるかという面もあります。妻や子どもたちが動き回る時間になれば、一人の時ほど集中できません。調子が狂ってきます。
私が日曜日にやりたいことは数多くあります。
- 平日ではやりにくい集中した語学学習
- 難しめの本の読書
- バイクを動かしてあげる
- 靴や服の手入れ
- ウォーキングや筋トレなどの運動
- サウナに行く
- 明石焼を焼く
以上に加えて大相撲開催中は相撲観戦が加わります。
語学や読書は始めると一瞬で二~三時間が過ぎていきます。私はなるべく英語とイタリア語の両方を同じ時間学習しようとしています。
バイクは平日に乗ることができません。ギアに油を回し、バッテリーに充電するために走っているようなものです。どこにも立ち寄ることもなく、ただ一時間ぐらい動かしています。
サウナは一度行くと二時間は滞在します。バイクとサウナを”効率”よく組み合わせることもあります。
”寝坊”をすると、私はこれらの中のどれをどういう順番で行ったらよいのかわからなくなり、固まってしまうことがあります。
「シャツはどうしよう」「靴はこの前いつ磨いた?」「今日の天気はバイクにはどうだろう?」「妻に夕食のメニューを聞いて明石焼きを焼くかどうか決めないと」「ああ、今週は本が読めなかった、語学もあまりできなかった」「英語とイタリア語どちらをまずするべきか?」「今日の相撲は十両からにしようか」
私の頭の中に途切れることなくいろいろな声が現れては消えていきます。
ビュリダンのロバ
このように日曜の午前中固まっている私を考えると、それはまるで「ビュリダンのロバ」の姿に見えてきます。ビュリダンとはフランスの哲学者で、ロバの例え話と共に語られます。
一頭のロバが干し草の中間地点にいます。どちらの干し草も同じ量です。ロバはどちらの干し草を食べればよいのか迷い、結局は動くことができずに餓死してしまいます。選択の困難さを表す例えです。
日曜の朝”寝坊”してしまった私は、もうそれだけでマイナスからのスタートという気分になります。そして、アイロン一週間分と語学学習1時間半分をどうして取り返そうかと悩み「ビュリダンのロバ状態」になります。
何かをしようとするのですが落ち着いて集中することができません。とにかく何かはしなくてはならないと思うのです。イタリア語のテキストを開いて音読を始めます。しばらく続けますが、学習しているようで頭に入ってきません。脳が別のことを考えているからです。
そんな状態に嫌気がさして別のことを始めます。しかし、何をしようとしても「できなかったこと」に対する思いが邪魔をして上手くいかないのです。片方の干し草へ近づいたロバが後ろを振り返ると、そちらの草の方が多く見え引き返し、また草に近づくと後ろを振り向く、そんなことを繰り返しているような気持ちになります。結局草を食べられないまま一日が終わります。
私がそのような状態の日は、本当に一日が一瞬で過ぎていきます。バイクに乗っても、サウナに入っても心から楽しむことができません。更にアイロンをあてられなかったシャツも残ります。これらは、平日のどこかの時間を削ってあてることになります。すると、その時間にできるはずであった別のことが犠牲になります。
日曜に二時間多く寝ただけで私の次の週の調子まで狂ってくるのです。こう考えると、私の幸福とはとても不安定なものの上に乗っかっていると言わざるを得ません。
本当に幸せそうにしている人は、少々のことではその土台が揺るぎません。そういう人は、両側の干し草だけを見ているのではないと思います。どの方向に行ってどんな草を食べても美味しいと思える、そんな生き方をしている人だと思います。
私はそういう人を目指してこのブログを書き続けています。失ったものではなく、あるものが見えてそれに感謝できる、そんな人です。
自由なロバになるには
日曜に”寝坊”した私は「ビュリダンのロバ状態」になりますが、六時に起きられた日の私はどうでしょうか。
確かに朝八時の時点での気分はよいです。「一仕事終えた。これから何をしよう」と思います。そして、私のするべきことのリストから何かを選び行います。
それでは夜になったとき、私が心からの幸せや充実感を感じているかといえばそうではありません。もちろん二時間遅れでスタートした日よりはかなりましです。
しかし、私は常に「足りなかった」「もっとできたはずだ」「次は~をしなければ」という気持ちを持ちながら生きています。それは”有意義”に一日を過ごすことができた日でもそうです。
私の中にロバがいて、いつも「どちらに動けばよいか」「どちらの草が美味しいのか」と考えています。先ほど草を食べたばかりなのに、その美味しさの余韻を味わうことなく、またお腹を空かして立ちどまっているような感覚です。
結局は私のマインドセットが変わらない限り、私はロバから人間になることができないのだと思います。私から見たら、膨大な仕事を達成している人が、結構余裕をもって遊んでいてたりします。そういう人を見ると一生懸命に頑張り続けること以外に、何か別の大切なことがあるのだと思います。
それは心の状態なのだと思うのです。心の状態こそが私の目の前の景色を作り出していきます。この記事で私が「””」でくくった言葉”有意義”と”寝坊”。私の凝り固まった頭は私のおこなうことを「意義のあるもの」と「無駄なもの」に最初から分けたがります。いつも以上に睡眠をとることを「寝坊」というマイナスな言葉で語ってしまいます。
この世に生を受けた時点で私はラッキーな状態であるはずです。そう思うことができれば、私の周りの一つ一つのことはそれなりに意義があり味わい深いのです。私はそのことを一瞬で忘れ、いつも不足を感じながら生きています。
心の状態を変えること、言うほど簡単ではありません。ヴァケーションとは文字通り空にすること、定期的に何もしない状態を作ることは有効であると思います。とはいっても南国のビーチで過ごすのは性に合いません。私は今「湯治」に興味があります。
風呂に入って、散歩して、本読んで、酒飲んでそのまま寝る。酒は余分かもしれませんが、そんな期間を定期的に持つのです。私の凝り固まった心をほぐしてくれそうです。
もう一つは文章を書き続けること。こうして、自分に向き合って文を書いていると自分の滑稽さが見えてきます。自分をビュリダンのロバに例えることができるのも、文を書くことで自分を客体化するからであって、何もしなければロバは自分の状態に気がつきません。
自由なロバになるために、これからも文章を書き続けます。湯治に行ったらそれも報告します。