春を告げる魚
私の周りに住む人たちは、この時期になるとソワソワし始めます。皆の関心は次のことになります。
1.今年はいつ解禁になるのか 2.値段はいくらになるのか 3.自分の手に入るのか
これらの三つの関心は「イカナゴ」という魚に対して持たれるものです。この魚は佃煮にして年中売られています。しかし、漁が行われるのは一年間のうち2月終わりから3月にかけてのわずかな期間です。
この時期に漁が行われる理由は、人々が求めているのがイカナゴの幼魚であるシンコだからです。シンコは一日単位で成長していきます。佃煮にするのに適した大きさを目指して人々はイカナゴを手に入れようとするのです。
このイカナゴ、かつては大量に取れる安価な魚でしたが、この10年間で大きく漁獲量を減らしました。主な原因は「水温の上昇」だとか「海がきれいになりすぎただから」とか言われてます。
毎年2月になると試験操業がおこなわれ、その年の漁獲量の予想が発表され解禁日が決まります。漁の終わりは、漁が始まった後、海の様子を見て決められます。主な漁場は大阪湾と播磨灘で、それぞれの区域で漁の日数が設定されますが、解禁日は同じです。
私もこの15年来、この時期にイカナゴを炊き続けてきました。とても美味な魚で佃煮はご飯に最高に合いますし、かき揚げやチャーハンに入れても美味しいです。周りの人と同様に、この魚を買って炊かないと春が来ないような気がします。
年ごとに価格は上っていますが、私はこの時期、魚屋やスーパーの店頭に並びイカナゴを求めます。今年は解禁日の3月4日とその二日後に、午後から仕事を休んで買い求めました。想像以上の値段でした。財布が傷みました。しかし、春をむかえられないよりましです。私は高級魚となったイカナゴを手に家に帰りました。
葛藤の後
二キロのイカナゴを佃煮にするのに準備も含めて約一時間半かかります。家に帰り一人キッチンに立ち、私は葛藤しました。これから行うこととその手順は決まっています。問題は何をしながらそれを行うかです。
このように書くと、初めて私のブログを読まれる方は変に思われるでしょう。適当に何かしながら作ればよいのではないかと。そうなんです、こんなところで悩む必要はなく、何をしてでもいいししなくてもよいのです。
ブログをある程度読まれてた方ならわかると思います。私がかかっているのは「ねばならない病」で、こんな時ダラダラと料理することができない心の凝り固まった状態を示します。具体的には音を聞きながらできる作業は語学学習を行いながら、待ち時間が多い作業は片手に本を持ちながら行います。
私は音楽が好きです。今は流行っていませんが、若いときに聴いたハードロックやヘヴィーメタルが大好きです。CDもたくさん持っています。しかし、今は酒に酔って他に”有意義”なことができない時ぐらいしか聴くことができなくなりました。
私は常に時間に追われてきました。時間があれば語学や読書など何か”役に立つ”ことをしていないと落ち着きません。いくらやっても、やり終えた後に残るのは不足感でした。いつからこんな心の状態になったのかよくわかりませんが、私にとっては現在進行形の悩みです。
私はずっと読書や語学をしていてもいいのですが、少なくともそれを「今」楽しんでいる実感がほしいのです。
そのようなわけで、この日も、今までならイカナゴの佃煮を作りながらpodcastで英語ニュースやイタリア語講座を聞く場面でした。
しかし、何かが私に「そうするな」と告げました。私は思い切ってCDラックへと向かいました。「何も考えずに手にしたアルバムを聴きながら佃煮を炊こう」そう思いました。周りから見たら屁のようなことですが私の中には葛藤がありました。
私が手にしたアルバムはノルウェーのバンドTNTの「インテュイション」でした。なんということでしょう、私の直感に従ってとった行動によりIntuition(直感)というアルバムを聴くことになったのです。
私はたぶん15年ぐらいこのアルバムを聴いていません。しかし曲を聴き始めるとすぐに過ぎ去った時間がつながります。80年代の北欧のバンドらしい澄んだメロディーが、それをよく聴いていた20代の頃の私の記憶を呼び起こします。
あっという間に一枚聞き終え、次に手にしたアルバムはイギリスGASKINの「エンド・オブ・ザワールド」でした。GASKINというバンドのCDを持っていたことは覚えていましたが、私はもうすでに売ってしまったと思っていました。
私は一時期千枚ぐらいのCDを持っていました。しかし「ねばならない病」のため、あまりに聴かないのでどんどん売り払い、今では三分の一ぐらいなりました。そして、その中にGASKINが入っているとは思わなかったのです。どのような曲を演奏していたのか思い出せないままCDをかけます。
スピーカーから流れてきたのはロックからメタルへと変化する途上の曲でした。スリーコードとマイナーペンタが中心となって曲ができています。New Wave Of British Heavy Metalの真っただ中にいたバンドです。やはりメタルはいいなあと感じされられます。
このGASKINのCDは「エンド・オブ・ザワールド」と「ノー・ウェイアウト」のカップリングでした。聴き終わる頃にはちょうどイカナゴのくぎ煮が完成していました。
「できた」と「できた」
私は二つの「できた」を感じています。
一つは毎年行っているイカナゴのくぎ煮が「できた」です。このくぎ煮はそのほとんどが私たち家族以外の胃袋に入ります。お世話になった人や友人に送ります。受け取った方はお礼の言葉と共に何かを、それはたいていくぎ煮以上の高価なものを送り返してくるので、この返礼の応酬が止まらないのです。
「人間とは交換を行う生き物である」ということを身をもって感じています。その目的は文化人類学的にいうと「交換を続けること」にあります。
今回、新たにこのくぎ煮が私の実家近くの知り合いの家に行きました。私の幼なじみであるTくんの家です。もう彼とは30年ぐらい遊んでいませんが、昨年実家の田んぼの草刈りをしていた時、Tくんの父親が私を見に来ました。そして「若い頃の親父にそっくりだ。いい子だなあ」と言い残し去っていきました。
先月実家に帰ると、Tくんの母親が私のために大量の野菜を用意してくれていました。私とTくんは今では付き合いがありませんが、親同士はよく話をするみたいで私が帰省することを知っていたのです。
そのようなわけでくぎ煮がTくんの家へ行くことになりました。これを機会に彼との付き合いも復活するかもしれないと、少し期待をしています。
さて、二つ目の「できた」は、”有意義”や”役に立つ”から離れて行動したことです。具体的には、英語ニュースではなく好きな音楽を聴きながらくぎ煮を作ることができたことです。
私の心の縛りは予想以上に強いです。いつも頭の中では「心を空にする時間を持つんだ」「何も考えずに好きなことだけしなさい」と思うのですが、実行に移す段階になると強力なブレーキがかかるのです。
その結果、私はいつも「未来」に楽しみを先回しして「今」を楽しめない人間になってしまいました。この心の癖を持ちつづける限り楽しみのある「未来」は永遠にやってきません。焦点を合わせるべきなのは「今」なのです。
今回くぎ煮を作りながら、私は三枚のアルバムを味わうことができました。かつてはそうでした。毎日音楽を聴いていました。過去を美化する部分もあるかもしれませんが、もっとゆったりとした気分で聴いていたと思います。
異なる行動をとれば異なる結果が出ます。私は今まで頭でっかちな人間でした。考えているだけでは結果は変わらなく、そのことで悩みつづけていました。出力を変化させるためには、入力を変えればよいのです。つまり、結果を変えるためには行動を変えることです。
直感をもう少し信じてみようと思います。
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