次男の部屋で
私は自分の息子たちに「勉強しろ」と言うことがない。彼らの成績が気にならないかと言えばウソになるが、通知表や模試の結果を見て励ましたり怒ったりすることはない。私がどうこうしても仕方のないことであるから、私はただ淡々と息子たちを影で見守っている。
「勉強しろ」とは言わないが「勉強を教えて」といわれればできる限り応えてあげるようにしている。専門の英語に加えて地理と現代文ぐらいなら何とか教えることができる。
現在大学生である長男はほとんど私のところに来なかった。高校三年生のとき、志望大学の過去問を持ってきたのでそれを解いて解説してあげた。わずか2~3回そんなことがあった。
次男は中学校でほとんど勉強しなかった。その反動か高校に入りすごい勢いで学習している。彼も基本的には一人で机に向かうが、わからない場所があれば私に聞いてくる。その頻度は長男のときよりはるかに多く、1~2週間に一回程度彼の部屋で英語を教えている。
一通り教え終わると彼とたわいもない話をする。旅行や音楽の話が多い。この前はイギリスのロックバンド「オアシス」の話をしていた。彼はこのバンドのセカンドアルバムの曲、”Don’t look back me in anger”が大好きでギターを弾きながらよく歌う。
オアシス話で盛り上がっていると大学生の長男が帰ってきた。彼は大阪で一人暮らしをしているのだが、神戸でもバンドをやっており頻繫に帰ってくるのだ。
長男は「ただいま」の声もなく玄関のドアを入るといきなり大声で歌い始めた。
“Someday you will find me caught beneath the landslide”
これまたオアシス、セカンドアルバムの”Champange Supernova”だ。偶然の出来事に次男と目を合わせて笑う。
私はなんだか不思議な気持ちになる。四半世紀も昔、大学生だった私もまたこれらオアシスの曲を歌っていた。部屋で服を着替えながら、または車を運転しながら、歌詞の意味はよくわからないがメロディーラインが素敵なので思わず口に出てしまうのだ。
当たり前のことだが、当時息子たちはまだ存在していなかった。自分が子どもを持つとはどういうことかも想像できなかった。結婚はいつかしたいと思っていたが、心の中では当時お付き合いしていた女性とではないと思っていた。
妻と出会い結婚し子どもが二人できた。私のようで私ではない、私や妻と異なる人格を持った存在が何もないところから現れた。以来私はこの存在と喜怒哀楽を共にしている。
私の分身のような存在が四半世紀の時を経て、私と同じ曲を口にする。全く強制したわけではない。自然に好きになり、自然に聴き始めて、自然に歌い出した。全くもって不思議な気持ちになる。
オアシスとニルバーナ
勉強についてはほとんど私に聞いてこなかった長男が私にたずねる。
「父さん、ブラックサバス持ってる?何から聴いたらいい?」
私はこの5年間でだいぶCDを処分したが、それでもブラックサバスは結構残している。2枚目の「パラノイド」と3枚目の「マスターオブリアリティ」を差し出す。
「モトリークルーって有名だった?」
次男が私に聞いてくる。モトリーに興味があるのかと私が聞き返すと、Kickstart my heart”という曲を聴いてカッコいいと思ったからアルバムを聴いてみたいという。
30年以上前の彼らを代表する名曲で、私もくり返しアルバム「ドクターフィールグッド」を聴き込んだ。
息子たちが小さな頃、私は妻に子どもの前でハードロックやヘヴィーメタルを聴くことを禁じられていた。それらの音楽が大好きな私も「それを幼子に聴かせるのはどうか」と思っていた。替わりに子供向けのクラッシクやNHKの「お母さんといっしょ」の楽曲集を買って聴かせていた。
そういう習慣のため息子たちが成長しても、私は彼らの前でハードロックやメタルを聴かないで過ごしてきた。しかし、こうして彼らの方からブラックサバスやモトリークルーに興味を持つ姿を見ると「親子って似てくるものだな」と思う。
私と異なり息子たちはロック系以外にも幅広いジャンルの音楽を聴いているが、3人が共通して好きなバンドが初期のオアシスとニルヴァーナである。
どちらもメランコニックな匂いのするバンドであり、こんなところにも私の影響を見て責任を感じてしまう。彼らは私のようにモヤモヤした気分で青年期を過ごさないように願う。
家族でいつか
長男が音楽に興味を持ち自分のMP3プレイヤーで音楽を聴き始めた時、私はフェンダーのストラトキャスターを楽器屋で修理してもらった。
そのストラトは私が大学時代に弾いていたものだった。私は中途半端にギターと付き合った。だから上達しなかったし、働き始めると弾かなくなってしまった。
放置されたストラトはナットが割れ、ネックが反り、電気系統もさび付き音が出る状態でなくなっていた。そんなストラトを修理したのは、音楽に興味が出てきた長男がひょっとしたら触るかなと思ったからだ。
生き返ったストラトは、飾りとして部屋の隅でギタースタンドにのせられた。私の予想は的中し、長男はそれを触り始めた。私たちの時代と異なり今は動画を見ながら学ぶことができる。
長男はあっという間に曲が弾けるようになり、高校進学と同時に自分のギターを買い、バンドを始めた。
私のストラトは次男の手に渡った。次男の方は長男以上に要領がよかった。オアシスやクレイの曲を動画で覚え、彼も高校に入ってバンドで演奏している。
少し前、私の家にアコースティックギターがやってきた。音楽を楽しそうにする息子たちを見て妻が「私も何か弾けるようになりたい」と買ったものだ。
しかし、私たち3人の予想通り妻は「指が短くてコードが押さえられない」などと言い練習をやめてしまった。だからアコギは主に次男が使うようになった。私もたまに触れている。コードを奏でながらビートルズの曲を歌ってみる。気持ちがいいものだ。
世代を超えて私から息子たちへ楽器が伝わり、好きな音楽が伝わっていく。意図していなかったことであるが、何だか父親の一つの役割を果たしたような気がする。音楽が彼らのこれからの人生を豊かにしてほしいという気もちでいっぱいである。
ギターを早々にやめた妻であるが、もともと歌好きで家事をしながらいつも歌を口ずさんでいる。ギターを弾くことはあきらめたが最近コーラス教室に入り、機嫌よく課題曲を練習する毎日である。
彼女は息子たちの結婚式で家族バンドを組みたいと言っている。長男はギター以外にベースとキーボードを、次男はドラムとキーボードを練習している。妻はボーカルしかできない。ということは、私が来る日に備えてギターを再開しなければならないということか。