白黒からカラーに
大相撲名古屋場所の中日を私はドルフィンアリーナの観客席で過ごしていました。相撲を見始めたのは三段目が始まった頃でした。取り組み表を見てみると、五段組のうちまだ上から二段目の真ん中あたりです。顔と名前が一致する力士はほとんどいません。
連日満員御礼が続いている今場所ですがこの時間だと観客もまばらです。大きな体育館には座布団の色の紫が目立っています。今度観戦するときはマス席であの座布団に座って見たいなあなどと考えながら取り組みを見ています。
歓声も少ない中、淡々と勝負が行われていきます。それでもご当地の力士が出ると会場に四股名を呼ぶ声が響きます。幕下以下は呼び出しから二分以内に立ち会わなくてはなりません。テレビで放送される幕内の間合いに慣れた身としてはせわしなく感じます。
幕下以下の力士はまわしも木綿の黒一色。さがりを糊付けすることも許されません。髷の形も関取りとは異なります。塩もまけず、力水もなく、待っている間の座布団もありません。ビジュアル的に地味な中で勝負が続いていきます。
東の横綱から序の口最下位まで、一人として同じ立場の人がいなくガチガチに序列が決められているのが大相撲の世界です。番付によって身につけるものから食事や風呂の順番まですべてが変わってきます。
そんな中で同じことといえば、私の目の前になるあのただ一つの同じ土俵の上で相撲を取ることです。何重にも結界の張られた神聖な土俵の上で力士たちが勝負を行います。ただ、その迫力や華やかさは番付によって大きく異なってきます。
時々例外はありますが、私の前では地味な力士による地味な勝負が一番また一番と続いていきます。
様子が大きく変わるのが幕下上位取組前、つまり十枚目土俵入りからです。館内に拍子木が響き、行事に先導された十両力士たちが続々と花道から土俵に向かいます。
土俵の土の色、力士の肌の色、髪の毛とまわしの黒の世界に、関取の化粧まわしが様々な光を放って眩しく感じられます。ここから違う世界に入っていくのだ、そう感じさせられる瞬間です。
十両土俵入りは、映画でいうと白黒が突然カラーになったようなインパクトがあります。私はこの日、そんな十両土俵入りを見ながら「ハッと」気づいたことがありました。
ありがたい
「なんてありがたくて幸せなことなんだ」
十両土俵入りを見ながら私はここで相撲観戦をしていることに感謝の念が湧いてきました。妻にラインをして、名古屋に来させてくれたことと私の妻でいてくれることに感謝の気持ちを伝えました。そんなメッセージを送ることはあまりありませんがこの日はそうせずにはいられない気持ちでした。
軽食をビールと共に食べ、その後はハイボールをチビチビと飲みながらの相撲観戦です。気分もよく幕下中盤はウトウトしながら勝負を見ていました。突然土俵入りの拍子木で我に返り、その後は目の前にあの色鮮やかな化粧まわしをつけた知った顔の関取たちが現れたのです。
「これからいつもテレビで見ているあの力士たちの勝負を目の前で見ることができる」そう思うと眠気も冷めてワクワクする気持ちでした。
しかし私に突然感謝の気持ちを抱かせたのはそれだけではありません。この日、ここで、こうやっていること、そのすべての有難さがあの土俵入りをきっかけに溢れ出してきたのです。
私は今朝早く大阪を発ち近鉄特急で名古屋に到着しました。地下鉄で栄に移動し丸善で探していた洋書を買い、そこからドルフィンアリーナまで歩きました。普通は地下鉄を使うべき場所なのですが、この日は飲み食いしながら相撲を見てその後はサウナに入ってまた飲み食いする予定だったので運動不足になると思ったのです。
久屋大通の交差点を過ぎ市役所に近づくと左手に強いオーラを発する建物が目に入りました。明らかに戦前のコンクリート造りの建築物で重厚な感じがします。私は思わず近づいて看板を見ました。
「名古屋戦争に関する資料館」とあります。市役所のすぐ近くでその分室も兼ねているようです。もともと何の建物であったのか分かりませんが、場所柄公共の建物であったと考えられます。
一歩中に入るとこの時代の建物が持つ涼しくも温かいような感じがします。一階が資料館になっていました。早くドルフィンアリーナで相撲を見たい気持ちもありましたが、私はこういう場所に足を踏み入れたら見学をするまでは引き返せない人です。
名古屋も激しく空襲で破壊された街です。私は空襲に耐えたこのビルで78年前の名古屋を体験し、ビルの出口へと向かいました。通路にいるとガラスの外を見なければ昭和20年にいると言われても分からない空気です。建物を出ると令和5年の世界が待っていました。
戦争に関する資料館以外に私がこの日有難さを感じた理由は、このドルフィンアリーナの場所にもありました。
この体育館は名古屋城の二の丸に建てられています。去年の同じ時期、私は相撲見学のついでに復元された名古屋城の御殿を見学しました。空襲で焼け落ちましたが、国宝に指定されていたため詳細な図面が残っていたので江戸時代と同じ造りで再建されたのです。
御殿を見学して徳川家の持つ圧倒的な力を感じました。欄間や天井に施された装飾を見ると、どれだけの職人がどれだけの時間をかければこの一部屋を作ることができたのだろうと思うほどでした。
そんな名古屋城の二の丸で私は相撲を見ているのです。徳川の時代この空間に入ることができたのは人口の何%いたのでしょうか。庶民にとっては遠くから見上げて圧倒的な権威を感じる場所が城でした。
200年前は庶民がその空間に触れることすらできなかった場所、そして78年前は焼夷弾が空から降り注いできた場所、そんな場所で私はハイボールを飲みながら大好きな相撲を見ているのです。これが有難くなくてなんなんでしょうか。
人生の弓取式まで
私は80年近く戦争がない平和な国に暮らしています。こうやって神戸から名古屋までわざわざやってきて相撲を観戦できる経済的なゆとりもあります。一人で旅をさせてくれる家族の理解があります。なにより、こうやってお酒を飲みながら相撲を見てそれを楽しむことができる健康な心と体があります。
しみじみと有難いことだと感じます。感謝の念が湧き上がってきます。
幕内の取り組みが始まると館内の華やかさが更に増します。贔屓の力士のタオルを掲げて四股名を呼ぶ声が四方から聞こえてきます。遠藤、宇良、翔猿などは登場するだけで盛り上がります。ご当地の御嶽海、四場所目で新入幕の伯桜鵬も同様でした。
しかしこの日の一番の盛り上がりは結びの一番でした。翠富士がまわし待ったの後、大関霧島を破ったのです。土俵に座布団が舞いました。テレビの中だけしか見たことのなかった光景が私の目の前に現れたことに私も気持ちが上りました。
会場が興奮冷めやらぬ中弓取式が始まりました。弓を持つのはもちろんベテラン、伊勢ケ浜部屋の聡ノ富士です。結びの一番の影響でいつもよりも「ヨイショ」と叫ぶ声が少ないように感じられました。そんな中聡ノ富士は円熟の弓取を披露していきます。
「自分の人生、こうありあい」
私は思いました。恵まれていたにも関わらずモヤモヤしていた人生、つまりこのブログを書き始めるまでの私の人生は、今日の相撲に例えると幕下までの取り組みかなと思います。
自分のために文章を書くことで私の人生は変わり始め、私は今毎日機嫌よく過ごしています。幕下上位から十両土俵入りを迎え十両の取り組みが始まった頃でしょうか。
十両の勝負、幕内土俵入りと進み、結びの一番に向かってどんどん盛り上がっていきます。最後に一番いい場面を経験して終わりますが、どんなに盛り上がろうと本当の最後はきっちりと丁寧に弓取式をして終わります。
私の人生もこれからどんどんよくなっていく、正確に言うと今までもよかったのですが、その幸福を十分に感じることができる人生になると思います。しかし、私には忘れてはならないことが二つあります。
一つ目は幕下以下の取り組みがあるからこそ十両以上が色を持つということ。相撲を面白くするという意味では横綱も序の口も同じくらい大切な存在であります。これは全てのことに当てはまると思います。
光の当たる方ばかりに価値を求めると半分しかものを見ていないことになります。そう考えるとブログを書き始める前の私の人生にも意味があったと思えるのです。
もう一つはどんなに盛り上がっても弓取式のことを忘れてはならないことです。人は調子が良いとそれが当たり前であると思いがちな生き物です。すぐに有頂天になってしまいます。人生がどんなに盛り上がっても、どんなに幸福を感じることができても最後まで謙虚さを忘れないことが大切なのです。
どんな勝負の後でも大相撲は必ず弓取り式で終わります。弓取り式は元々は勝者をたたえる舞であったと言います。式ですから勝手な動きはできません。感情を表すこともなく決められた動きを行います。
どんな人生であっても、最後は慌てず乱れずに淡々と決められた動きをこなすように落ち着いて終わりたいと私は思うのです。
大相撲を見ると楽しさに加えて、人生について学ぶことも多いにあります。私はこの自分の恵まれた状態に感謝しながら、これから一生名古屋場所に通うことのできる人生設計をしていこうと思っています。