東京デート

20年前の東京

約20年ぶりに妻と東京の街を二人で歩くことになった。いや、正確にいえば前回二人でこの街に来た時私たちは結婚していなかったため、私の横にいた女性はまだ妻になっていなかった。とはいっても彼女と私が結婚することはすでに決まっていて、東京へやってきたのもその準備のためだった。

今回二人で東京を歩いたことを書く前に、20年前のことを思い出しながら書いてみたい。おそらく私たち二人が一般的な人とは少し異なる感覚を持っていることを再確認できると思う。それがわかったところでどうということはないのであるが「今が幸せでこれからも幸せが期待できるのならその感覚でいいのだよ」と自分に話しかける材料がほしいと思うのだ。

「結婚式、特に披露宴は新婦のためにある」と先輩から言われたことがあるが私もその通りだと思う。披露宴を行うことは良いことだと思うが、そこに対して大したこだわりもなく、普通に淡々と進行すればよいと少なくとも私はそう思っていた。

だからもうすぐ妻となる彼女から、披露宴のドレス、料理のオプション、引出物などについて細かい相談をされた時、私は真剣に考えているような表情をしながら「どうでもええやん」と思いながら聞いていた。今の若者は経験を重んじる時代を生きているから異なるだろうが、私の同世代の人ならこの感覚わかってもらえると思う。

そんなわけで、結婚は大切だけど式や披露宴は早く終わってほしいという消極的な気持ちでいたわけであるが「これはいいかも」と思うものを、ある日私は見つけた。二人でテレビを見ていた時、東京の金太郎飴屋さんが紹介されたのだ。その店は似顔絵をもとにオリジナルの金太郎飴を作ってくれるという。

「これ披露宴のお土産にいいかも」私たちは意見が一致した。こうなったたら行動は早い。友人の美術教師に二人の似顔絵を書いてもらい、それを手に東京へ向かったのだ。

私たちは朝早くの新幹線で東京へ向かった。確か300系だったと思う。米原のあたりで綺麗な朝日を見た記憶があるので季節は秋頃だろう。普段は有給が取れない仕事のため一泊二日の慌ただしい東京訪問であった。

マニアックな場所

ずいぶんと昔の話なので、訪問した場所は覚えているものの二人の東京旅行の詳細は思い出せない。私たちは台東区にある金太郎飴の店に行き注文を確定させた。しかしそれが初日なのか次の日なのかは不明である。

入谷で地下鉄を降りそこから歩いて金太郎飴の店まで行った。注文は意外とすんなり終わった記憶がある。東京訪問の一番の目的を果たした後、なぜか南千住まで歩きそこから常磐線に乗り上野方面へと向かった。

「私たちが生まれる前にここで大きな鉄道事故が起こった」と妻に説明した。三河島事故のことである。ひょっとしたら南千住から常磐線に乗ったのはその現場、つまり田端方面からの貨物線が常磐線下り線に合流する場所を見たかったのかもしれない。いずれに私の鉄ヲタぶりを発揮した行動であった。妻はどのような気分で私の解説を聞いていたのであろうか。

このように二人の東京訪問は目的を果たすと「私が行きたいところ」で埋まっていった。言い訳をすると妻には特に行きたい場所があったわけではない。カレーが好きなので「美味しいカレーが食べたい」と言っていた。だから神田の老舗のカレー屋さんに連れて行った。当然その後は古本屋街を散策した。

私は学生の頃から東京へ来るたびにこの街で書店をハシゴするのが好きだった。こんなに書店が集まった場所は世界のどこにもない。そんな書店街でも私が必ず立ち寄る店が「書泉グランデ」であった。言わずもがな鉄道関係の書籍が充実している書店である。そんな鉄ヲタの聖地のような場所に私は妻を連れて行った。

その他私たちが行った場所を思いつくまま挙げる。西新宿のレコード屋街、靖国神社、交通博物館。

レコード屋街は神田の書店街と並んで東京訪問時によく行く場所であった。買うのはレコードではなくCDであった。中古CD屋さんを何軒かハシゴしてメタル系の充実した新宿レコードに立ち寄っていた。

靖国神社になぜ行ったのかは覚えていない。遊就館を見学したい気持ちはずっとあった。死について考えずにはいられない私は、当然戦争に対しても敏感である。あいにくこの時は遊就館は改装中で見学できなかった。ちなみに私は妻を鹿児島県の知覧にある特攻平和祈念館にも連れていっている。これも結婚直前のことである。

交通博物館は秋葉原とセットであったと思う。まだAKBの登場する前である。「妻が秋葉原に行きたいというから連れていき、ついでに交通博物館に立ち寄った」というのが私の罪悪感を癒すための願いである。実際は私が率先して博物館へ行き、ついでに秋葉原に行ったのかもしれない。博物館の映写室で妻はウトウトとしていた。上映していたのは白黒の鉄道記録映画である。今更ながらあの時の妻に「ごめんなさい」と言いたい。

まともな観光地

洒落た場所、洒落た食べ物、洒落た買い物は一切なし、それが20年前の妻との東京訪問であった。書泉グランデ、靖国神社、交通博物館に連れていかれた話はいまだに妻が友人と話をするときの滑らないネタになるという。

「私はお洒落なものには興味がないから」と妻は言う。確かに彼女は宝石などの装飾品には興味を示さない。”かわいい”キャラなどとも無縁である。しかし、そうはいっても当時年頃であった女性をそれらの場所に連れて行った私は傲慢で身勝手であったのではと今更ながらに反省する。

その後私たちは結婚をして瞬く間に20年の月日が流れた。

この間に私は何度も東京を訪問した。しかし妻と二人で訪れる機会は一度もなかった。私たち家族は旅が好きで、子供たちが乳児であった期間を除いて毎年何度かは家族旅行を行った。しかし行き先に東京が含まれることはなかった。たぶん私がディズニーランドに全く興味を持たないからであろう。

子供たちは成長し長男は一人暮らしを始めた。次男も一人旅をするようになった。この夏休み、次男は北海道へ行った。私たち夫婦が二人でしばらく過ごすことになった。久しぶりの感覚であった。私たちもどこかへ出かけることにした。

長くなるからここでは詳細は書かないが、私たちは山形へ行きその帰りに東京へ立ち寄ることにした。20年前の訪問が話題になった。

「今度はまともなところに連れていくよ。どこがいい?」

妻は浅草と両国に行きたいと言った。今回は私のエゴはなしだ。国技館と両国の街を散策した後、私たちは外国人観光客であふれる浅草に行った。彼らと同じように雷門をバックに写真を撮り、仲見世をぶらぶらと歩き、浅草寺にお参りした。

伝法院通り裏手の居酒屋に入り、二人でビールを飲みながらこの20年間を振り返った。金太郎飴を注文に行ったあの時こんな未来が来るとは想像することができなかった。

子どもを持ち、育て、その子供たちに手がかからなくなったのでこうしてまた二人で東京へ来てビールを飲みながら20年前を語る瞬間。一瞬の出来事のようであるが、その中には私たちが積み上げてきた20年が詰まっている。

これから先の20年もこんな感じで過ぎていくのであろうか。その時また妻と東京のどこかで、こうやってビールを飲みながら20年前の浅草と40年前の靖国神社や書泉グランデを語ることができるのだろうか。そうあってほしいと強く願う。

さて、今回初めて妻を東京でまともな観光地に連れてくることができた。しかしその経路を考えると、やはり私たちは”変わり者”である。

山形から神戸への移動を考える時、普通の人なら飛行機か新幹線を考えるであろう。飛行機は山形から伊丹、仙台から神戸へ飛んでいるし、新幹線は「つばさ」が一時間毎に東京と結んでいる。

私たちは仙山線で仙台へ移動した後、そこから東京まで常磐線の特急ひたちで移動した。新幹線なら1時間半の距離を4時間半かけるのだ。おそらくこの区間を乗り通すのは「ひたちでこの区間を移動してみたい」というレアな目的を持った人ぐらいであろう。

私たちが山形での滞在時間を削ってまで特急ひたちに乗ったのは、まさに「ひたちでこの区間を移動」してみたかったからだ。そして、それを提案してきたのは外ならぬ妻であった。

妻は私のような鉄ヲタではないが、時々このような変わった提案をしてくる。もちろん私は大賛成だ。今回は私が遠慮して飛行機で帰ることを提案していた中、逆に妻がそんなことを言ってきたのだ。

あの20年前の交通博物館で私から受けた毒が妻に回っているようだと私は感じた。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。