痛みと楽しみ
もうずいぶんと長い間高尿酸値治療の薬を飲み続けている。初めて足に違和感を感じたのは30歳前半だったと思う。階段を登りながら膝に少し違和感を感じ、それはだんだんと痛みに変わっていった。
「どこかで足を踏み外してひねったか?」
そう思ったが、捻挫なら最初から痛いはずだ。私の場合、徐々に痛みが増してきて最終的に寝返りを打つのも苦痛になった。今まで味わったことの無いような膝の状態であった。
整形外科に行くと痛風発作だと言われた。確かに私の尿酸値は基準を超えていた。それ以来、私の高尿酸値との付き合いが始まった。尿酸値を上げる要素は数多くあるが、アルコールが大きく関与しているのは間違いないようだ。
2年前にかかりつけの内科医に肝臓をエコーで検査してもらった。
「脂肪肝です。10年後、元気でいたいでしょう?」
私は「10年」という言葉に脅えてしまった。「あと30年は」ぐらいの気持ちで考えていた。10年なんか今まで過ごしてきた日々を考えると一瞬の出来事である。死に関して人以上に考えてしまう私である。
「このまま行くとあと数年でポイント・オブ・ノーリターンに到達してしまう」そんな恐怖を私は感じた。私の中でそれは脂肪肝から肝硬変になる地点であった。
お医者さんからお酒を控えてあと5キロ体重を落とすように指導された。それは丁度私が大学を卒業して働き始めたころの体重と同じであった。当時は週末の1日か2日しか飲酒していなかった。私はお医者さんから言われた10年後を三倍にするために、あの頃の私に戻ることを決意した。
私は”効率”に取りつかれた人間である。他人のことはそれほど気にならない。しかし自分が時間を”効率よく”使えなかった時、自分を責める気持ちが生まれる。ブログを書き続けているおかげで最近はだいぶましである。しかし、その心の癖はまだ私から消え去ったわけではない。
”効率よく時間を過ごす”とは、私に与えられた時間が読書、語学学習、筋トレ、片付けなどで埋まることである。自分に何かが身につき、自分の周りの秩序が保たれる、それを感じることで私は心が満たされたように感じる。
そのことを容赦なくひっくり返してくれるのが飲酒である。あれだけ「すべきことリスト」をかかえた状態であっても、酒を飲み始めたら体と頭がだるくなり「どうでもいいや」という気持ちになる。そして翌朝迎える自己嫌悪。私はいったい自分の中の何と戦っているのだろうか。
悲劇的なことは、以上のように酒を遠ざけたい私が酒を飲むことから大いなる愉悦を感じることである。
汗をいっぱいかいた夏の夕方、風呂上りに飲むビールの喉越しと味は何事にも代えられない。
仕事が忙しく疲労が溜まった週末、旬の魚をあてに飲むか懐の深い味わいの日本酒は体の奥に染みわたって私を元気づけてくれる。
その他、ローカル線で車窓を見ながら飲む酒、立ち飲みで馴染みの常連客達と会話をしながら飲む酒、旧友と昔話に花を咲かせながら飲む酒、一人で好きな音楽や好きな本の一説を味わいながら飲む酒、酒から得られるものが次から次へと浮かび上がってくる。
これらの場面を楽しむために私は生きているのではないかと思うときもある。
天秤
酒を飲むことに関してのマイナス面と、飲むことで得られる楽しみとを天秤にかけながら過ごしてきた。理性的に考えれば程よいバランスがわかるのであるが、アルコールの依存性がことを難しくしている。これは、飲まなくてもいい酒を飲んでしまうことを意味している。
一日当たりの適切なアルコール量は決まっているのだから、それを1週間なり1か月単位で計算し、自分の予定ややりたいこと、味わいたいものに合わせて上手く振り分ければいいのだ。そうすれば飲み過ぎも防ぐことができるし、やりたいこともできる。体にも心にもよい状態が生まれる。
しかし、これはシラフの時に理屈で考えて文字に示していること。
昔タバコを吸っていた時、それほどおいしいと思わなかった。しかし、10本に1本ぐらいの割合で「いい一服だった」と思えるタバコがあった。あとはニコチン依存による惰性で吸っていた。吸いながら「なんでタバコ吸ってるんだろう」と思いながらも、その稀な一本と依存のためにやめられなかった。
タバコほどの割合ではないが酒にもそういうところがある。「今日は飲まなくてもいいか」と思いながらそれほどおいしくない酒を惰性で飲んでしまう日があるのだ。酒を飲む日の半分はそんな感じである。
若い頃はそれでもよかったが、この年になり先に述べたような酒を減らすべき真っ当な理由が次々と現れるとそうもいかなくなる。心も体も健康でいること、やりたいことをする時間を作ること、これらは私が幸せな人生を送るために欠かすことができない。そして、それはダラダラと酒を飲み続けることと相性が悪すぎる。
私は「これではダメだ」と思う度に本の助けを借りようとした。書店や図書館の食や健康のコーナーに足を運び、数多くの本を手にした。禁酒や減酒に挑戦するエッセイから、医学的に酒の害を説明するものまでさまざまな本をさまざまなタイミングで読んだ。
本を読むと酒を減らす理由が「腑に落ちた」感じがする。だからしばらくは飲酒する日数と量が減る。しかし、人は物を忘れていく。あれだけ印象的に残っていた本の内容も日に日に薄まっていき、また本を読む前の元の自分に戻ってしまう。
そんなことをずっと繰り返してきた。そしてその間に私は歳をとり続けている。体の機能も、とうの昔に後退戦を始めているし、時間の経過に対する感覚も日に日に速度を上げている。
二つの組み合わせ
私は職場の机の上に「ホッピーの卓上カレンダー」を置いている。行きつけの酒屋さんから毎年いただくものだ。お酒を飲まなかった日、私はその日の欄に印をつける。ひと月に何日禁酒日があったのか一目でわかる。
今年の三月、カレンダーには印が3つしかつかなかった。年度末で職場ではいろいろなことが変化する。私の好きな季節がやって来る。大相撲大阪場所に心が浮かれる。あれやこれやと理由をつけて酒を飲んでしまった。週に1度も禁酒日を作れないのはさすがにヤバいと思った。
悶々としていた4月の初旬に私はあるアプリの存在を知った。きっかけは忘れてしまった。たぶん新聞かニュースのどちらかで見た。三月ショックで本以外の何かにすがりたいと思っていた私のアンテナが反応したのであろう。
アプリの名前は「減酒にっき」という。
過去の平均的な飲酒状態を入力する。すると一日の平均的なアルコール摂取量がわかる。それを基にアルコール摂取量の目標値を入力する。あとは毎日の飲酒記録をつけていく。
飲まなかった四葉のクローバー、適度に飲んだらニコチャンマーク、そして飲み過ぎたら青くて苦しそうな顔がカレンダー上に表示される。それと共に過去一週間の平均アルコール摂取量が計算される。
単純なことであるが、毎日つけているとクローバーを増やしたくなる。そして青い顔を表示させるのが嫌になる。私は一週間トータルでアルコール摂取量の辻褄を合わせようと飲酒日を考えるようになった。
ちょうど同じ時期、妻が5~6種類のノンアルコールビールを買ってきた。「酒飲みたいけど飲みたくない」と言いつづける私の姿が嫌だったのだろう。夕食の時一緒に飲み比べをするようになった。
「ノンアルコールビールなど飲む意味がない」私はずっとそう思っていた。しかし飲んでみるとホップの香りとビールに近い喉越しが感じられた。
「プッハーッ!」
私は声を出した。
必要は発明の母というが、世の中には私のように飲みたいけど飲みたくない人がたくさんいるのであろう。そしてそのような需要を企業は感じとりここまでの飲み物を開発するのだと思った。正直にいっておいしかった。ノンアルコールビールを「まずい飲物」のカテゴリーに分類していた私の考えは消えた。
いろいろと試した中で私に合ったのはアサヒの「ドライゼロ」と日本ビールの「竜馬1865」であった。
私はふるさと納税を行い、返礼品としてノンアルコールビールを指定した。今までビールや発泡酒や焼酎ばかり頼んでいた私である。まさか自分にこんな日が来るとは思っていなかった。
今日は飲まないと思った日の朝、私は箱からノンアルコールビールを2本取り出し冷蔵庫に入れて職場へ向かう。夕食の時、ノンアルコールビールをグラスに注ぎ乾杯。乾いた喉をグビグビと潤してからの「プッハーッ!」。即座に「いただきます」で白米を食べ始める。
不思議なことであるが、これが自然な形ででき始めたのである。あの「早く一杯目が飲みたい」という感覚はビールもノンアルコールも変わらない。しかし、グラス一杯ノンアルコールを飲んでしまえば「酒を飲みたい」という気持ちが消えてしまう。
勝負は気持ちよい一杯目をノンアルコールで迎えられるかどうかにかかっている。そして、これも不思議なことであるが、夏の暑い日の昼間、ふとあのビールとは微かに異なるノンアルコールの風味を求めている自分に気がついた。「早く家に帰ってノンアル飲みてえ」と。
「減酒にっき」と「ノンアルコールビール」4月から始めたこの組み合わせで、私はなんとか酒飲みから距離を取った酒好きの生活を送っている。「熱くて旅行などのイベントも多い8月は無理かも」と思ったが、結果を見ると8月は一番成績がよく、このことは自信になった。
今まで酒に関する本を読んでは減酒をして挫折を繰り返してきたのは何だったんだろうと思うほどである。人はちょっとした組み合わせがきっかけとなり、習慣を変えることができるんだと感心している。
かつては土曜に飲まないなんてことは考えられなかったが、今は日曜の夜に飲むために普通にノンアルで我慢できるようになった。だいたい、週の初めの三日と土曜は禁酒するのが普通の生活になってきた。
アルコールからのカロリー摂取が減ったせいであろう、体重も2キロ落ちた。しかし、20代の頃の私、週に多くても2日しか飲まなかった頃の私はまだ痩せていた。
もうすぐ健康診断の結果がかえってくる。その内容によっては更に飲まない日を増やす必要があるかもしれない。今ちょうどいい感じのバランスがとれているので、そうなるとリバウンドがありそうで怖い。
酒との付き合い方は本当に難しい。しかし、希望はある。
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