天国はアル

平日の有給休暇

働き始めてからずっと「これができる仕事ならなあ」と思うことがある。それは平日に有給休暇を取ること。簡単なことに思えるだろうが、私の仕事でそれは「誰かに自分の授業を押し付けること」になる。

授業というものは単体で成り立つものではなく、ベテランの教師になればなるほど長期のスパンで構成を考えて、その中に伏線を張ってゆく。

「ここは泳がせるところ」「少ししめるところ」「答えを言わずにあえて考えさせるところ」「1ヶ月前に張った伏線を回収することこ」

1年という流れの中で1回の授業に振り回されずに、大きな中で教えるべきことを教える、それが良い授業であると思って今までやってきた。

そんな中、自分の流れを知らない教師が入ってきて教えると、その後でクラスの様子が変わってしまうことがあるのだ。かつて、長期研修で学校を留守にした時、私はそのことを経験した。だからなるべく自分の授業に穴を開けたくないと思う。

それに、それに私の代わりに別の教師が言ったとしても、その人の仕事が別の部分で軽減されるわけではない。そんな思いを私は他人にさせたくない。

だからこの二十数年間で私が、長期休業中を除く平日に有給休暇を取ったのはインフルエンザに感染した時と、祖母が亡くなった時だけである。

とは言っても、私もいろいろな施設が空いている平日に休みを取りたいと思うことがある。そして、稀ではあるが、偶然が重なってそういう日、つまり生徒の登校日にもかかわらず私が職場に行かなくてもよい日がある。先日も今年度初めてそういう日に巡り会うことができた。

私はその平日の一日を自分のために使うことに決め、そしてとっておきの場所へ行った。

神たちに囲まれた場所

普段「しなければならない」に囲まれて生きる私にとって、体が最も欲しているのは何もせずにいられる場所である。私がサウナに行くのはそのような理由もある。

一度施設に入ると2時間はそこにいることになるが、サウナと水風呂と外気浴を繰り返す間は、私は語学も読書も勉強も執筆もすることができない。体の声を聞きながら頭を空にして、ただ心地よい世界に浸り続けるだけである。

かくのように大切な場所であるサウナの中で、私にとって特別な場所がある。神戸市の中心に位置する「神戸サウナ」である。こうやって「神戸サウナ」と文字を書くだけでよだれが出そうになってくる。ウッドデッキに目を閉じて座りながら風を受ける感覚がよみがえってくる。次はいつ行けるのだろうかとソワソワしてしまう、そんなサウナである。

地元にあるのだからすぐにでも行ったらよいのだが、この特別な場所を十分味わうためには人の少ない平日の午前から夕方にかけて訪問したい。そしてそれができることは、前に書いたような理由でめったにないのであるが、その「めったにない」日に先日巡り合うことができた。

私は鼻歌を歌いながら電車に乗り神戸サウナへと向かった。時間は午前10時、これから8時間も神戸サウナで過ごせると思うとそれだけで幸せな気分になる。

入り口で巨大なトントゥ(サウナの守り神)が迎えてくれる。ここだけではない。神戸サウナにはサウナ室や屋外を問わず何十ものトントゥが私たちを見守ってくれている。無表情のようでよく見れば表情豊かな神々が「安心して心地よくなりなさい」言ってくれているようだ。

葛藤の後に

午前中の神戸サウナはとても爽やかである。客の数が少なく、職員が場所を変えながらテキパキと清掃作業を行う。入れ替えのため天然温泉の大浴場の水が抜かれている。その向こうにウッドデッキの並んだ屋外テラスが見える。外からの光が浴室全体に降り注いでいる。

「まだ午前中からこんなことしてていいんだ」と少し申し訳なく思う。何に対して申し訳ないのかわからないが、とにかくそんな気持ちになる。

メインのサウナ室とフィンランド式サウナ室で交互に温まる。メインの方では客が少ない昼間にも関わらず30分ごとにロウリュやアウフグースが行われる。入るたびに新たなサウナマットを使用する。

体が温まったら水風呂へと向かう。ここの水風呂は11,7度。1995年の1月17日にこの街を襲った大震災を忘れないためのものらしい。かなり大きな浴槽である。これだけ大量の水をこの温度まで冷やすためには膨大なエネルギーが必要だろう。

フィンランド式サウナは薄暗く低い天井が特徴である。四方の全てが木材によって作られている。聞けば北欧から貴重な材料を輸入して製作したらしい。サウナーたちは誰もが黙ってこの暗さと暑さを味わっている。周りを見なければ異国の地にいるような気持ちになる。

2時間のセッションを楽しんだ後、私は館内着に着替えて食堂へと向かった。メニューを見ながら激しく葛藤した。そして自分の欲望に負けた。

この日はサウナの後行きつけの立ち飲みに寄ってから帰宅する予定であった。だからお昼はビール一本だけ飲んで定食を食べようと考えていた。

しかし私は「飲み放題90分三品付き2,200円」の前に屈してしまった。罪悪感に襲われたので、私は経済紙を何冊か手に取り気になった言葉を手帳にメモしながらお酒を飲んだ。こんなところでも完全に頭を空にできない私のサガが見える。

浮かび上がる天国

アルコールを抜くために休憩室へ行く。「るろうに剣心」を読みながら一瞬で眠りに落ちる。自宅以外で昼寝ができる数少ない場所、それがサウナの休憩室。白昼堂々酒を飲み、マンガを読みながら昼寝を楽しむ、なんて気持ちよくて贅沢なことだろう。

小一時間寝て体がスッキリしたところで大量に水を飲み、もう一度浴槽に向かう。「サウナで酒を抜く」という考えが世の中にはあるがそれは間違いで、過度の飲酒の後のサウナは危険でもあるらしい。

私は「90分飲み放題」とはいえ、そのことを考えて調整しながら飲んだ。しかし、そうはいってもシラフの状態でサウナ室に入るよりはリスクが高いであろう。私も年を重ねていくなかで健康を維持しながらそのあたり、つまりお酒とサウナとの関係を調整していく必要がある。でも飲んだ後に大量に汗をかくことはなぜか気持ちがいい。

メインのサウナ室のテレビでは午後のワイドショーが流れている。話題の中心はハマスとイスラエル軍の戦いである。ガザ地区ではエネルギーや水の供給が止められているという。あの狭い地域に閉じ込められた200万人以上の人々はこれからどうなっていくのだろう。

パレスチナ問題に関して、テレビのコメンテーターのように私は分かりやすい意見を言うことができない。なにしろ2000年以上にわたってからみ続けてきた巨大な糸玉の糸を解すようなとてつもなく複雑な問題だ。この問題に比べれば日韓や日中間に横たわるイザコザなど単純なことに見えてくる。

ただ、大変申し訳ないことであるが、ガザ地区の様子を知ることは私に大切なことを教えてくれる。画面に映る目をそらしたくなるような光景は、私にこの世に天国があることを教えてくれる。他でもない私が今いる場所である。

休みが取れるということは、私には仕事があるということ。サウナを楽しむということは、大量の水とエネルギーを使うということ。酒を飲んで無防備な姿で昼寝をするということは、私は寝ている間に殺されることがないと思っていること。

それらの全ては私の見ている画面の向こう側にはないものである。

高い失業率で貧困にあえぐ人々が、水や電気を止められて、いつ命を落とすか分からない状態で脅えている。私はそういう人々を、昼寝の後、ガスや電気でわざわざ部屋を暖めたり水を冷やしたりする場所で、ほろ酔い加減になりながら眺めているのだ。

天国はこの世に「アル」。ただその存在を忘れた瞬間、それはなくなっていくであろう。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。