毎年のことではあるが、千秋楽結びの一番の立行司の声「この一番を持ちまして」を聞くと体の奥底から寂しさが湧き上がってくる。大相撲は奇数月に開催されるわけだから場所と場所との間隔は一定である。しかし今年の勝負はこれで最後という思いが私をそのような気持ちにさせるのだ。
相変わらず忙しくて今場所も思うように見ることができなかったが、いつものように気がついたことを書き記してみたい。
テーマ曲
X-JapanのアルバムBlue Bloodは彼らをスターに押し上げたアルバムであるが、その中に彼らのタイトル曲とも言える「X」という曲がある。16ビートのバスドラムが連打される激しいリズムに合わせて歌われる「X」というサビの部分でファンは胸の前で両手をクロスさせて「X」の形を作り「エックス!」と叫んでジャンプをする。
一山本が土俵に上がる時、私の脳内にはこの曲と共にX-Japanのファンが現れる。私も腕を交差させ彼に向かって「エックス」とつぶやく。
私は一山本関の四股名が好きである。秀逸な命名だと思う。苗字に「一」を付けただけであるが響きがよく、想像力を掻き立たされる。現にテレビを見ていると「一」の部分に白星の数を入れた横断幕を持って応援していたファンがいた。そんな彼を私は「X山本」と呼んで応援する。
今場所は「十一山本」まで星を伸ばした。敢闘賞も受賞した。私は一山本が勝った次の日に職場の相撲好きの同僚に「七山本になりましたねえ」などと声をかけるのが楽しみだった。
敢闘賞のインタビューでは、関取のイメージを変えるぐらいレスポンスが速く爽やかな口調で質問に答えていた。面白い力士だと思った。
来場所も私はX-Japanの高速ビートに合わせて一山本を応援する。まだ見ぬ「十二山本」の景色が見てみたい。
すぐに判断しない
ある行為の意味はコンテキストの中で決まる。そのコンテキストの長さを決めるのは、その行為を我ごととして関連づける私自身に他ならない。そうはわかっているのだが、私たちは瞬間的に物事の意味を決定しようとする。
五日目の豪ノ山ー豊昇龍戦の立会いは異様な空気に包まれた。今まであのような場面は見たことがなかった。全く土俵に手をつけようとしない豊昇龍に対して、豪ノ山は当惑しているように見えた。幕内での場数は豊昇龍の方が圧倒的に上である。
「一体何が起こったのだろう」私は思った。同時に豊昇龍に対してよくない感情が湧き上がってきた。
「どういう理由があってあんなことをしているのだ。大関らしく勝負したらいいじゃないか」
さんざんじらされた豪ノ山は負けてしまった。後味の悪い勝負であった。
明けて六日目のこの二人の取り組みを見て私は自分に言葉をかけた。
「目の前のことで一喜一憂しすぎるな」
豪ノ山は大関霧島を破り、豊昇龍は高安に小股すくいで敗れた。高安のなんとも爽快な技であった。豊昇龍は背中から土俵に叩きつけられた。五日目の豊昇龍のあの行為があったため、翌日彼の負けに対して私はこのような爽快感を感じているのだ。二日間の出来事に脈絡はないが、それをドラマに仕立てているのは私自身である。
さて、このコンテキストをどこまで引き伸ばすことができるのか。そう考えたら後味の悪い出来事も物語の大切な要素に変わる。
来場所こそ
相撲好きを公言しているため贔屓の力士は誰かと聞かれることがよくある。本当は全ての力士がいるからこそ大相撲が成り立っているので好き嫌いを言いたくないのだが、そんな答えを相手は期待しているわけではないので「若隆景関です」と答えるようにしている。
私の知っている力士の中で一番男前の力士であるからだ。容姿もそうであるが、体つき、所作も申し分なくかっこいい。こういう華のある力士が活躍してくれると相撲ファンも増えていくと思う。
その若隆景関であるが、右膝の大怪我のため3月場所以来休場が続き九州場所では幕下6枚目まで下がってしまった。しかし、この場所で出場することが決まり私はワクワクしながら初日を待った。
日曜のお昼、私は早めにテレビをつけて若隆景を待つ。久しぶりにあのイケメンが土俵に現れた。大銀杏ではないし、締め込みも関取用ではない。下がりが糊付けされていない。今まで見ていたのと異なる若隆景の姿がある。
しかし幕内優勝もした実力者である。すぐに十両へ上がるであろう。解説も「初日さえ出れば」と言っている。復帰戦の相手は同じ6枚目の嘉陽である。
固唾を呑みながら見た勝負、若隆景は右四つから送り出されて土俵を割ってしまった。信じられない気分であった。右膝のサポーターが大きく見えた。
六日目の木竜皇にも敗れ、彼はこの場所を5勝2敗で終えた。7戦全勝で十両に上がれると思っていた私は相撲がわかっていなかった。力士たちは本当にギリギリのところで勝負をしているのだ。幕内にいた力士でも十分に力を出せなければ容赦無く土俵を割ってしまう。
しっかりと怪我を直して頑張ってもらいたい。来年の大阪場所では大銀杏と紺の締め込みの若隆景が見られると信じたい。
関取と付き人
九月に続き熱海富士が優勝争いに絡んで注目を集めた場所であった。一度十両に落ちたものの確実に力をつけて幕内に戻ってきた。知り合いの相撲ファンは「熱海富士は横綱になる」と言っている。確かに私も日本出身の力士では彼か琴の若がそうなりそうな気がする。
そんな熱海富士関であるが今場所では土俵上で仕切りの前に軽く飛び跳ねる所作が話題になった。私は以前から気がついていて「熱海富士ステップ」と名付けていたが、それに対して「砂がかかる」と審判団からクレームがついたという。力士のルーティンをそう簡単に変えることはできない。特に調子が良いときはなおさらである。熱海富士ステップが来場所どのように”進化”するのかしないのか、注目である。
もう一つ彼には特徴的な所作がある。それは入場前の花道の奥で行われる。入場を待つ間、体を整えながら付き人に首から肩にかけて筋肉をもませるのだ。その指示がすごく細かくピンポイントで場所を指定するのだ。
まだ髷の結えない付き人の尊富士は、熱海富士の指示に従って体をもみほぐす。ほんの数秒ほどのことである。熱海富士は腕や首を回して再び場所を指定する。そんな動作が繰り返される。
この一連の動作を見ながら、力士の体は繊細だと私は感じる。ほんの数秒、長くても1分の勝負のために細かい部分まで体を調整してくるのだ。さて、この所作を何と名付けようか。来場所を見ながら決めようか。
付き人の尊富士は来場所からの新十両が決まった。入門からわずか1年半である。出身は親方と同じ青森県。横綱を始めとして数多くの関取をかかえる伊勢ケ浜部屋は今全盛期をむかえてるようだ。