2023年最後

私の課題

この投稿が2023年の最後になりそうです。今私が思っていることは、誰もが口にすることとまったく変わりません。私も先人たちと同じ道を歩み、同じことを感じているようです。

とにかく時間が経つのが速すぎます。

「いつになったら21世紀になるのだろう」物心ついたころからそう思い続けてきました。どのように21世紀を迎えることになるのか、うまく想像することができませんでした。

今、21世紀を迎えてから22年が経過しようとしています。私はその間に結婚し、子どもが大学生と高校生になりました。祖母たちが鬼籍に入り叔父も亡くしました。四度引っ越しをしました。イギリスと台湾に三度行き、イタリアとアメリカに一度訪問しました。サウナや大相撲が好きになりました。立ち飲みの仲間ができました。実家の田畑を手伝うようになりました。

これらの全てが21世紀に入ってから起こりました。それらを振り返ると、何だか本当に起こったことなのか夢を見ているのかわからないような気分になります。

本当に時間が経つのは速いものです。恐怖すら感じます。このままいけば私の一生など一瞬で終わってしまいそうです。

さて、以上のように私が時の経過の速さを感じ、それに恐怖を抱いていること、これこそが今から私が克服するべき課題であると考えます。時の経過の速さを感じ続けて終わるだけの人生を送りたくないということです。

今の私は過去にとらわれ過ぎています。未来のことを心配し過ぎています。その弊害を頭では分かっていても、心と行動に落とし込めていないところが私の恐怖感の源になっています。

幸いなことに手掛かりはあります。私には今行うことがたくさんあります。そのたくさんのやることリストに「べき」をつけずに実行することができれば私は過去のしがらみと未来の不安から解放されると考えます。

今まで私は無数の「~するべき」に取りつかれて生きてきました。もちろん私が周りを見渡した時、社会が私に要求する「~するべき」に対しては私は応えていこうと思っています。長い間多くの人間が時間をかけて作り出した「~するべき」には相応の合理性があるからです。

厄介なのは私の心が私に対して作り出す「~するべき」であり、これは本当に小さなこと、例えば服を身につける順番といったことから私に命令を出し続けてきました。そして私はそれらと葛藤し苦しめられ続けてきました。

どうして私が自分の内なる敵と戦わなくてなならなくなったのか、その理由を探すことはしません。それは過去に属することであり、過去に囚われることは症状を悪化させることですし、それは私の無意識レベルで起きていることで、そこまでたどり着くためには私では力不足だからです。

私はこのブログを書き始めました。直感で自分を救うために始めた作業です。こうして書き続けると結果的に私はこのブログによって救われていると感じることができます。見えなかった自分の課題が浮かび上がってくるからです。その存在に気づかないまま苦しめられるより、存在を認めてそれに苦しめらる自分をメタ認知することで解決の糸口が見えてくるからです。

今年も私は見えない読者の反応を予測しながら大和イタチと対話を重ね、それをキーボードで綴ってきました。いい感じに思考が進むときもありますが、まだまだ私にはいろいろこだわり過ぎていることがあります。「時の経過に対する恐怖」はその中で最大のものです。

「今に集中する」そして「今集中していることを忘れるぐらい今を生きる」このように言葉にすることはできるんです。しかしそれだけでは不十分で言葉を超えていく必要があります。しかし、その状態を考えるためには言葉が必要なわけで、もうニワトリが先か卵が先かの世界です。

大切なもの

なんだかんだと悩みながらもブログを続けてきた結果、私にとって大切なものが見えてきました。これからの私の生活は、その大切なものを中心に組み立てていこうと思います。

私にとって大切なものは「機嫌よく過ごす時間」です。時間とは命のことなので私は自分の生を機嫌よく過ごして全うしたいと思うのです。ではどうしたらそんな人生を送ることができるのでしょうか。

ここで「私が機嫌よく時間を過ごすためにするべきこと」と考え始めるとまた「べき」に縛られた生き方が待っています。ですから遠回りかもしれませんが、私はこれらか自分と周りに支障のない範囲で自分がワクワクすることを優先的に行っていこうと思います。ワクワクを重ねることで、それが機嫌のよい時間につながると思うからです。

私が今考えているワクワクを記します。

私の中身を変える

私とは誰なのでしょう。それは私の言葉の運用による効果です。使う言葉を変えれば私の中身を変化させることは可能です。それなりの語彙を持つことで複雑な思考をすることが可能になります。私とは私が言葉を使って考えることに他ならないのです。

外国語を使うことができれば「もう一人の私」的な存在ができます。私は一人なのですが、私のなかに日本語で思考する私と外国語で考える私の混合物、時には化合物ができるのです。

現在私はざっくり75%の日本語、20%の英語。5%のイタリア語でできています。英語で夢を見ることはよくありましたが、最近ではイタリア語も出てくるようになりました。

来年も語学学習を続け、私は自分の頭の中、つまり私は私を変えていきます。日英伊がそれぞれ50:30:20ぐらいになると、かなり面白い私ができるのではないかとワクワクします。できればその中に台湾語を3%でも入れる余裕があればと思うのですが。

動画とブログ

時の変化は激しく20年前は想像すらできなかったことが次々と起こっています。こうやってブログを書き、世界中の人々が私の文章を読む可能性を持つということもその一つです。私は自分の新聞社をもっているようなものです。

同様に動画を作り投稿することは、自分のテレビ局を持つことになります。個人レベルで世界に向けて文章や動画で発信できる世の中に私たちは生きています。

せっかくそのような時代にいるのですから私も動画を発信したいと思っています。現在頭の中には二つの構想があります。料理の動画と語学の動画です。どちらも巷に山ほどあふれている内容ですが、私の考えているものはそれらとあまりかぶりません。

来年から料理の動画を撮り始めようと考えています。いくつか撮りため、見せられるレベルになったらリンクを張ろうと思います。張らなかったら頓挫しているということです。

語学に関する動画は、言語と教育に関するブログとセットです。是非これも挑戦してみたいのですが、残念ながら高校教師をフルタイムで行っている限り時間的に不可能です。

「では今の仕事辞めるか?人生は一度きりだぞ」自分の内側からそんな声が聞こえてくるときがありますが、私は「よっしゃ、やってやろうやないか!」と言う勇気をまだ持っていません。しかし、そんな選択肢もアリだと思っています。

明石焼きと相撲バー

手打ちで明石焼きの焼き鍋を作る最後の職人である安福保弘さんから、私が12個焼きの鍋二つと焼き台を購入したのは3年前でした。それらの道具は今、実家の倉庫に眠っています。妻といつか明石焼きの店を出したいと話して購入していたものでした。その後ご高齢の安福さんは店を閉められたので、この焼き鍋は二度と手に入らないものになりました。

先日実家に帰省した際、腰の悪い父親に倉庫の整理を頼まれました。その際「ここを店にしたらどうだ」と提案されました。その場所は実家に併設した2階建ての車庫の2階部分です。

その提案を聞いたとき、私のなかでいくつかの事柄がつながりました。ここにDIYで水道をひきカウンターや照明などを設置して店にする。大型テレビをそこに置き相撲を見られる店にする。農業をするため帰省した時、そこで明石焼きを提供する相撲バーを開く。そこには、私が長い間疎遠にしていた郷里の人々が集まり話が弾む。

私の頭の中に次から次へとそのようなイメージが湧き上がってきました。考えただけでワクワクするような生活です。

とりあえず私の頭の中にある3つのワクワクについて書きました。これらを本格的に追求しようとするとき、考えなければならないことはやはり私の仕事です。

私は高校で英語を教えています。いい仕事だと思うのですが、私がこれからの自分の生き方を考える時、心と体の消耗と時間的な拘束が大きすぎます。私にとって一番大切なものは「機嫌よく過ごす時間」だと先に書きました。ではそれを得るために必要なことは何なのでしょうか。

要素はたくさんあると思いますが間違いなく「健康」と「お金」は重要となります。ストレスは健康の大敵です。そうなると自分の思うように自由に生きることは健康に良いと言えそうです。しかし、お金をいつも気にしなくてはならない生活はストレスになりそうです。

先日、元朝日新聞記者の稲垣えみ子さんの記事を読みました。自分に本当に必要なものを考える。物に執着しないと気持ちが自由になる。周囲とつながると老後の心配が消える。そのような内容でした。

読んでいると何だか自分のこの仕事をやめてもやっていけそうな気がしてきました。子どもに必要なお金と家の返済の目途がつけば、私も次のステージに進むことができると勇気づけられました。

ただ、私は私にとって本当に必要なものをまだ考えていないし、物への執着も少なくなったとはいえあります。周囲とのつながりもまだまだです。

しかし考えて行動し続ければできないことはないと思います。こうして自分の気持ちを文章にして確認を重ねながら、私は自分の思うような人生を歩み機嫌よく時間を過ごしていきます。

こんな私のわがままな文章に今年も付き合っていただいた読者の皆様、本当にありがとうございました。先日もサーバーのアクセス数を見てみると、記事を更新する土曜に跳ね上がっているのが見えました。

それは定期的に私の記事を読んでいただける人を反映していると思います。全体のアクセス数も年月とともに増えています。ありがたいことで力が湧いてきます。みなさまのおかげで、モヤモヤだった私の人生の中でワクワクが大きくなっています。まだ道半ばですが、いつの日か言葉を交わせる日が来ればと思っています。

来年も週1回、土曜に記事を更新していこうと考えています。みなさまにとって2024年が良い年になるようにお祈りします。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。