朝からモヤモヤ
こんにちは、大和イタチです。
ブログを書き始めて約3か月です。
少しずつ心の整理ができているのかなと、感じていました。
ブログの文章を書き始める時、その着地点は見えません。
いつもタイトルが浮かんだら、それを頭の中でゆっくりと優しく揺らしながら、思いつくことをタイプしていきます。小見出しが浮かび、文章がそれに続き、次の深呼吸がしたくなったらまた小見出しを考え、という風に書いています。
書き終わって、下書きとして保存し、何日間か寝かして、もう一度読み、手直しをしてから公開ボタンを押します。最初に浮かんだタイトルとかけ離れた着地点になったため、タイトルそのものを変更する場合もあります。
自分の思いを書き綴るだけなら、書きっぱなしでもいいのですが、他人の目に触れる可能性のあるある媒体なので、できる限り読みづらい部分を訂正し、誤字脱字を見つけます。
自分の文章を訂正していると、モヤモヤも少しづつ輪郭が明らかになり、解決の糸口も見えてきそうに思えます。
しかしながら、公開した文章を読み返すと、自分の思考の回りくどさ、単純に幸運を喜べない性格が文章の中に現れています。
でも、でもそれに気づけるということは、モヤモヤ改善への道も開かれているのか、と思います。
ここまで書いて、上の文章を読むと、やはりくどいです。
そうなんです、今日の私はかなりモヤモヤな状態がきついです。
何となくの不安感が常に心にあります。
理由の一つはわかっているので、今からそれをここに書いてモヤモヤを少しでも減らしていきたいと思います。
楽しみだけど面倒くさい
モヤモヤの理由の一つは来週末の出張です。
アメリカへ1週間行ってきます。
1週間程度の海外出張は、今まで何度かありましたが、アメリカに行くのは初めてです。
初めて行く国に対する漠然とした不安、現地で仕事を行うことへの緊張、それに下準備の慌ただしさなどが混ぜ合わさり、何となく面倒くさいという気分になっているのです。
もちろん、初めてアメリカを訪問することは楽しみです。学生時代から授業以外でも個人的に英語を学習していましたし、私の好きなハードロック・ヘヴィーメタルの多くのバンドはアメリカ出身です。学習の成果を試したり、彼らの音楽を作った雰囲気が感じられたりすればいいなと思っています。途中に休日を挟むため、CDショップに行く機会もあるかもしれません。
では、この感覚は何なのでしょう?
仕事とはいえ、初めての経験で楽しみなことが少し前にあるのに、気分がすぐれない状態。海外出張が入った分増えた、事前・事後の処理に対する気持ちの重さ。
楽しいことがあれば、心のエネルギーが高ければ、少々面倒な事や余分な仕事も、前向きな状態で乗り越えることができるでしょう。
今の私は、軽い足取りで浮かれて仕事をこなし、新たな経験を迎えようとしている、そんな状態ではありません。
もちろん、仕事ですから責任をもって行います。
しかし、どうせならワクワクの方がモヤモヤの前に出てきてほしい。せっかくのチャンスなのに。
現実感の無さ
今の私の脳は、始めて行く国へ対する楽しみ≒その為に増えた仕事のわずらわしさ、こんな認識をしているのでしょう。上の二つの釣り合いが取れてそうでわずらわしさの方が微妙に上回っている状態。
本来なら、楽しみ>わずらわしさ、これが当然だと思います。
このことは、今までの多くの経験が、新たな体験に対して感性を鈍らせているために起こることなのでしょうか。
確かに、中学・高校のころ、一人で鉄道旅行に出る前の日は興奮して眠れませんでした。
大学で初めて海外に行った時もそうです。
そのころに比べると、私も随分と年を重ねました。
しかし、先日サ活で名古屋へ行く前は、10代のころと同じような興奮を感じることができました。サウナを新たに趣味として始め、大好きな近鉄電車に乗り、日本最高のサウナを求めて名古屋まで、そう思うと前日は神経が高ぶりました。日帰りできる名古屋でもそうでした。
ということは、私の心は年齢に関係なく弾むことができるということです。
では、なぜ今、私の心はこんなに弾んでいないのでしょう。
考えられる理由が1つあります。
それは、アメリカが地球の反対側にあるものすごく遠い国という現実感が湧いてこないのです。何か九州あたりへ列車かバイクで行く感じです。
つい先日も、友達からラインが入りました。ニューヨークに遊びに行っていました。向こうの様子が画像入りで伝わってきて、瞬時に日本に散らばる十数人が反応します。地球の反対側にいても、同じ空間にいるような気分です。
アメリカの特定の街の画像を検索すると、無数の写真が出てきます。日本に居ながらにして、その街の概観から特定のレストランの料理まで手に取るようにわかります。
大阪から鹿児島まで新幹線で約4時間です。高速道路を走ると12時間くらいでしょう。12時間あれば関空からサンフランシスコへ飛行機が飛びます。
大変な時代になったものです。
私は吉田松陰のことを思い浮かべました。
幕末、西洋列強諸国の日本への接近を感じ、日本の将来を憂いた彼は、西洋文明を学ぼうとアメリカへ行こうとします。
鎖国の時代、外様の藩士として彼にできたことと言えば、脱藩し、浦賀でアメリカの軍艦へ接近し米国行きを頼み込むことでした。まさに命がけの試みを行い、その行為は結果的に若き彼の命を奪うこととなりました。
彼はどんなにアメリカの地を踏み、その景色を目にすることを望んでいたことでしょう。そして、その地が物理的・時間的・条件的にどれほど遠いところにあったことでしょう。
大昔の話のようですが、約160年ほど前、5~6世代の話です。
日本にいた99.99%以上の人が外国に行くことのなかった時代から、わずか5~6世代で、アメリカへ行く直前になっても現実感が湧かず、めんどくささを感じている私がいます。
通信網と交通の発達が信じられないくらいの勢いで世の中を変化させました。その変化は、人間の心が順応するペースを超えてしまったのかもしれません。