3号神戸線
車やバイクで出かける計画を立てる時、どうしても気持ちが東以外に向いてしまいます。交通量の多い場所を走りたくないからです。神戸市であっても六甲山の裏側である北部地域は交通量も少なく、そこそこ快適に走ることができるのですが、この地域は南西から北東へ向かって道が通っているため、東へ向かおうとすると遠回りになります。
神戸から大阪方面を真っすぐ目指す時、どうしても芦屋、西宮、尼崎と人口密集地域を通ることになります。この区間は一般道はどの経路をとっても道中ずっと一定間隔で信号があるため、”進んで止まって”をひたすら繰り返すことになり、運転していて面白くありません。
信号で止まるのが嫌なら都市高速に乗ればよいのですが、この阪神高速3号神戸線は全国でも1番といっていいほど頻繁に渋滞している路線なのです。阪神間にはもう一本、末端区間が未開通ながら阪神高速5号湾岸線があるのですが、この路線は空いているもののほとんどが海の上を通っているためバイクで走るのが少し怖いと感じることがあります。
たまにはバイクで東にも行ってみたいし混むのは嫌だしということで、私は早朝の3号神戸線を通って大阪の東、河内地方へ向かうことにしました。しょっちゅう混んでいる神戸線ですが、通勤時間前は事故がない限り大丈夫のはずです。
バイクにETCカードを挿入し、早朝の阪神高速神戸線を東へ向かいます。予想していた通り車の流れはスムーズです。防音壁のため景色はよくありませんが、西宮で甲子園球場の屋根や、淀川を一緒に渡る阪神電車が見えたりします。
阪神高速環状線が近づくと都会の雰囲気がグッと増します。ずっと都市部を走ってきたのですが、工場や住宅用の建物に比べオフィスや商業ビルの割合の高さがそういう雰囲気を出しているのでしょう。
阿波座から中央大通りの頭上を東へ向かい、東船場で南へ向きを変えます。この辺りは昔から商都大阪の中心地でありつづける場所です。地上高く走っていてもその活気が伝わってくるようです。
さて、早朝の大阪の都心を気持ちよく通り抜け、私のバイクは阪神高速15号堺線へと進んで行きます。この日の最終的な目的地は藤井寺市なのですが、藤井寺に近い松原線は帰りに乗ることにして、行きは別ルートに乗って見たかったからです。この辺り鉄道路線の乗りつぶしに似た感覚です。
疲労感
終点の堺インターで高速を降り、コメダコーヒーでモーニングを食べた後、一般道を東へと向かっていきます。この辺りは日本でも早くから開けた地域のため、探せばいろいろと歴史を感じさせるものがあるのでしょうが、早く進みたい私は歴史とは無縁の三車線の大通りを走ります。沿道には郊外型大型店舗が立ち並んでいます。
これだけの規模の道を作ることができたということは、この辺りもかつては田畑だったことでしょう。自然の地形の微妙な高低差によって地割りが行われ、それに沿って用水路が走っていたことでしょう。のどかな田園風景が幹線道路と大きな駐車場を備えた商業施設に変わる、日本全国で見られる光景です。
東へと向かう府道2号線は南北へ通る阪和道とぶつかると一気にその道幅を狭めます。昭和40年代以前に作られた国道のような幅です。その両脇には相変わらず店が続いているのですが、古くからあるような小規模な店舗の割合が多いように感じられます。
道は羽曳野市に入りました。神戸を出てもう2時間以上経過しており、私は少し疲労感を感じていました。しかしながら、この疲れはバイクの運転に関してのものとは異なると私は思いました。ツーリングに出かけるときは3~4時間トイレ休憩だけで運転することもありますが、こんな疲れを感じることはありません。
私は羽曳野を抜け、藤井寺市街を走っていた時この疲れの原因がわかりました。急速な都市の拡大のため市街地が無秩序に広がるスプロール現象の見られる街を、私は少しイライラしながらバイクで走っていました。その時、目の前に広がった丘に生える木々の初夏の緑の美しさに、私は目を奪われました。
「あーっ、なんて奇麗な緑なんだ」と思わず口にでました。私の疲労の原因は自然のある風景の欠如によるものでした。いつもは田舎道を好んでバイクを走らせていますが、今回はずっと街の中を走っています。神戸から芦屋、西宮、尼崎、大阪、堺、羽曳野、そして藤井寺と地域の呼び名は変わっても街自体はずっとつながっています。
私が走っているのは日本で首都圏に次ぐ、1000万以上の人が暮らすメガロポリスなのです。私はその世界でも有数の大都市圏を横切る形で走ってきたのです。2時間の間、私の網膜に映ったものは、ほぼ戦後80年以内に作られた人工物だけです。
新緑の緑が、私に自然のなかに身を置くことの大切さを思い出してくれたと言いたいところですが、話はそう簡単ではありません。
価値基準
藤井寺の駅近くの駐輪場にバイクを止めて、スマホの地図で経路を確認しました。予想はしていましたが、私が美しさにため息をついた木々のある丘は古墳でした。ここ藤井寺にある古市古墳群は、百舌鳥古墳群と並ぶ日本有数の古墳密集地帯なのです。
私が見たものは1500年前に作られた巨大な人工物でした。人工物に疲れた私は時代をさかのぼった人工物によって癒されたのです。
私は何を求めてバイクを走らすのでしょうか。たいていの場合、私が”自然”と感じるものです。山や川や海、それらに人間の営みが加わった田舎の風景を求めて私はツーリングに出かけます。そして、その土地で昔から食べられている地の食べ物や酒を味わうのです。
しかしながら、それらの中で本当に人の手が加えられていない自然はどれだけあるのでしょうか。神戸から大阪まで走るとき、右手はずっと海なのですが、自然海岸は全くありません。淀川、大和川と大きな河川を二つ渡りましたが、これらも数百年前から治水工事が行われています。遠くに六甲山系や生駒山系が見えますが、これらの植生もほぼ人工です。
そう考えると、私がこの日バイクに乗りながら見た、人の手が加わっていない真に自然状態なものは空ぐらいでしょう。私はそんな世界の中に生きているのです。
ほぼ人が作ったものの中で毎日暮らしていて、私はそれによって疲労を感じたり癒されたりしています。そして、おもしろいことに同じ人工物であっても、周りや私の心の状態によってそれらの感じ方が変わってくるのです。
人が持つ価値基準なんかグラグラですぐに変わってしまうものだなと思いました。今回私が食傷気味になった都会の道も、オーストラリアの砂漠を何日間もかけて横断した後には、たまらなく刺激的で面白い道に感じられるでしょう。
短いツーリングでしたが、「安易に価値判断をするのは慎もう、少なくとも人前では」と思った一日でした。
さて、今回藤井寺に来た目的はここでしか買えない佃煮を買うためでした。義理の姪っ子にもらい、あまりの美味しさに夢中になって食べてすぐになくなり、どうしても食べたくて買いに来たのでした。
何種類か購入して帰宅後早速食べました。確かにものすごく美味しいのですが、あの初めて食べた味にはかないません。同じものを食べても違う味がする、やはり価値は周りの状況と私の心が決めるものだと思いました。
あと1年ぐらい我慢したら、姪っ子がくれた時の味が再現できるかもしれません。今度は同じメガロポリスを横切るにしても、電車で行ってみようと思います。また違った疲労と癒しを感じることができることでしょう。