作品のある店で
8割方覚悟はしていたことでありますが、はっきりと知ってしまうとやはり動揺してしまうものです。自分の無意識の中で知ることをできるだけ先延ばしにしようとしていたことを知ってしまいました。
先日妻と二人で電車に乗って明石に出かけました。以前から行ってみたいと思う店を訪問するためです。私たち二人は明石焼き(現地では玉子焼きと呼ばれている)が好きで、特に昼間ビールを飲みながら食べるそれは最高であると考えます。
私たちはいつものように玉子焼きと瓶ビールを頼みました。小さなコップに注ぎあったビールをチビチビと飲む間に上げ板にのった玉子焼きがやってきました。
私の持っている焼き鍋よりも穴が少し浅いもので焼いたのでしょう、玉子焼きは高さが低めで円盤のような形をしています。
箸でつまんで出汁に浸さずにそのまま食べてみます。昆布の出汁がよく効いているのがわかり、熱々のためチビチビだったビールがグビグビに変わります。
出汁に浸して食べ、その出汁に一味を足して食べてみます。その度にビールが進み、瓶をもう一本追加です。唐揚げや餃子は生ビールとでも良いですが、玉子焼きは瓶ビールをコップに注いで飲みながらが断然美味しいです。
私たちは幸せな気持ちで食べ終えて勘定のために立ち上がりました。お金を渡す奥さんの向こう側は焼き場です。そこに見覚えのある形の焼き鍋が数台並んでいます。持ち手の形をみると間違いありません、安福さんの作品です。
私は勇気を出して言葉を発しました。
「あの焼き鍋、安福さんのものですよね。実は私も趣味として家庭用の鍋で時々焼くんですよ。安福さんのお店、最近閉まってますね」
私はドキドキしながら反応を待ちました。覚悟はしていましたが聞きたくない言葉が返ってきました。
「安福さんはお亡くなりになられましたよ。もうずいぶんたちます」
10対1
三年前から嫌な予感がしていました。明石方面に行くたびに「ヤスフク明石焼き工房」の前を通ってみるのですが、いつもシャッターが降りていたのです。
二年前の秋、明石市観光協会のパンフレットが新しくなっていることに気がつきました。中を見てみると今までのバーションでは載っていたヤスフク明石焼き工房が地図にありません。
いてもたってもいられなくなり、そのまま明石駅の観光案内所へ行き案内係の方に理由を聞きました。
「安福さんは高齢のために店を閉められた」という回答でした。残念でしたが、ご年齢を考えると仕方のないことかもと思いました。
それでもあの元気であった安福さんが仕事をやめてしまうのは想像がつきませんでした。私は安福さんのお店に行ったのは5〜6回に過ぎません。それでもその間、結構な時間安福さんと会話をしましたが、安福さんと私の発話の量は10対1ぐらいでした。
焼き鍋や玉子焼きの話はもちろん、この周辺の不動産の状況や関西の大学や株を買うべき会社とあちらこちらへ広がっていきます。さらに、スマホの操作を聞いてきたり、私に不要なメールを削除させたりと、店の中で私は完全に安福さんのパワーに圧倒されっぱなしでした。
高齢であることはわかっていましたが、あんなに元気な安福さんがそれからしばらくして店を閉めるとは思いませんでした。
観光案内所で店を閉めたことを知りしばらくして、ネットで嫌な記事を読みました。明石焼きについて書かれたものでしたが、その一部に安福さんの訃報が書かれていたのです。
驚くと同時に「あの年齢ではいつ何があるかわからない」とも思いましたが、それは個人がネット上に書いたブログであります。悪意のある記事ではないと思いましたが、私は公的な知らせや安福さんを直接知る人から聞くまでは信じないことにしていました。
そして、そのような情報に触れることを無意識の中で避けながらの二年が経過し、この日私はこの店で訃報に接しました。
出会い 縁
二年前から嘘であって欲しいと思い続けましたが、心の中ではある程度覚悟していました。いざそれが現実であると知り、私はその日ずっとため息をついていました。
「お前5〜6回会っただけなのに偉そうに言うな」という声が飛んでくるかもしれません。
確かにそうです。私は彼の店に2020年6月から約一年間に5〜6回訪問して、話をいっぱいして(ほとんどは聞かされる立場でしたが)家庭用の焼き鍋と業務用のセットを購入したに過ぎません。安福さんは私の名前すら知らなかったでしょう。
しかし、私の今のワクワクすることの多くはヤスフク明石焼工房の存在を知り安福さんに出会ったことにつながっています。
「将来何かお店をやってみたいね」
世の中にいくらでもあふれている夫婦の会話です。その中で実際に行動して開業までたどり着くのはほんの一握りでしょう。夢は夢のままであることでも価値があります。考えると楽しい気分になるからです。
しかし、そんなたわいのない夢であっても具体的な形が見え始めるとまた違った楽しさになります。私と妻は内心「夢のままで終わるだろうな」と思いながら「明石焼きの店がしてみたい」と口にしながら食べ歩きをしていました。
「定年になる65まで高校教師をして、おそらくその時には年金支給が70歳になりそうだからプラス5年間は再雇用で働くのか」
何か別のことをしてみたいと思いつつ、私はこのような人生を送るのだろうなと漠然と思っていました。
「明石焼きの銅製の焼き鍋を日本で唯一手作りする職人が明石にいる」
夫婦で食べ歩きをするうちに出会った情報です。私はヤスフク明石焼き工房を訪問し家庭用の焼き鍋を買い、毎週明石焼きを焼くようになりました。そして気がつけば業務用の焼き鍋とガス台のセットを購入していました。安福さんが店を閉められる数ヶ月前のことです。
業務用の焼き鍋を持ったことで私の周りが変わっていきました。私は自分の仕事が好きですが、私は今教師を辞める計画を立てています。この焼き鍋を中心にして、私の自由な時間が増えて、地域に恩返しをし、このブログの読者の皆さんともつながることのできるような生き方ができる計画を立てています。
そのことを考えながら行動するのはワクワクすることです。そのワクワクの源流の一つは間違いなく安福さんの存在を知り焼き鍋を作ってもらったことです。
何年かかるかわかりませんが、できるだけ早いうちに安福さんの作った焼き鍋で玉子焼きを焼き、みなさんに瓶ビールと共に味わっていたたく日をむかえます。
遅れましたが安福さんのご冥福を心よりお祈りします。ありがとうございました。
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