趣味:読書
趣味を聞かれた時「バイク」や「サウナ」と並んで「読書」と答えることが多い私ですが、実は内心「本当にそうなのか」と思い続けています。
確かに本を読む時間は多い方だと思います。書店と古本屋には毎週どこかで立ち寄り、立ち寄れば数冊の本を購入します。図書館は2週間に一度訪れ、一度に5冊の本を借りていきます。
全ての本を最初から最後まで読み通すわけでもありませんが、それでも平均すると月に15冊の本は手にしています。電車の中ではずっと読書していますし、家や外出中でも隙間時間を見つけてはページをめくります。
これは私に染みついた癖であり、たとえば妻と買い物に行き、彼女が品物を選ぶとき「少し長くなりそうだな」と思うとすぐに本を取り出してページをめくります。たとえ妻の機嫌次第で後になってもめるなとわかっていてもそうせずにはいられません。
本は私を今まで知らなかった世界へ連れて行ってくれ、忘れていた世界を思い出させてくれ、知っていたつもりの世界の意味合いを変えてくれます。私は本によって勇気づけられ、助けられ、成長してきたと思います。
しかしながら、それでも「趣味は読書です」というとき私が後ろめたさを感じるのは、私が本と向き合うとき避け続けていることがあるからです。
私は特定の分野の書籍を手にしようとする時、どうしようもなく気持ちが萎えていくことを感じ続けていました。その分野とは日本の同時代の作家によるフィクションです。
明治から昭和初期にかけての文学作品は読めるのです。しかし、それが現在に近づくにつれてどうしても私は読む気にはなれませんでした。
興味がないわけではありませんが、棚に近づくと「またいつかでいいや」と思い、ノンフィクション、ビジネス書、自己啓発、新書といった読み口のよい本を手にしてしまうのです。
私は無意識の中で明らかに何かを避けようとしています。現代作家の物語を読むことで、自分の中の何かがマイナスに変化したり、心が傷つくことを恐れているような気がするのです。
そういえば私はテレビドラマを全く見ません。これも現在のフィクションの世界です。
私は第一歩を踏み出そうと思いました。今まで何度も何度もそうしようと思いつつ踏み出せなかった一歩ですが、今度こそは前に出ようと思いました。
自分のここまでの文章を読むと、小さなことをすごく大袈裟に書いているように感じます。第二の視座を持った状態で見ればそう思えますが、実際に私の体は動かなかったので小さなことでもその力はバカにできません。
一歩を踏み出す
私はいつもの古本屋へ行きました。日本人作家のコーナーに立ちました。現代文学の作家名、読まないだけあってあまり知りません。
それでも芥川賞や直木賞の発表で聞いたことのある作家の名前が見えます。私は男性作家と女性作家の作品を一冊ずつ手に取りレジへと向かいました。
しばらく私はこれを繰り返しました。男性の次は女性、女性の次は男性と1月の間に10数冊の小説を読みました。この間ノンフィクションや新書やエッセイは封印です。
どの作品も面白く、スッと私の中に入ってきます。面白いだけではなく考える種も与えてくれます。今までどうして私がこの分野を避け続けてきたのか不思議な気分になります。なんだか拍子抜けする思いでした。
ただ一月間現代作家の小説だけを読み続けて思うことがあります。それは、すべてが満たされた世界からは小説は生まれないということです。愛情、家族、友人、夢、過去、未来、お金、仕事、健康、作品の中で描かれる世界はその欠落したものを中心に回っているように感じられます。
おそらく人間というものはどんな状態にあっても「何かが欠けている」と思い続ける存在ではないかと思います。解脱した人は違いますが、99%の人間は不足感の中で生きています。そしてそのような人間の本性を目の前で客体化させてくれるのが小説なのかと思うのです。
人によって欠けているものは違います。ですから万人向けの小説はありません。ある人にとってなんでもない作品が、別の人の心を鋭く抉り血の涙を流させるかもしれません。
思うに私は自分の中で欠けているものに向き合うのが怖くて現代作家の作品を読むことを避けていたのかもしれません。先月読んだ作品の中に私の心に血の雨を降らせたものはありませんでした。
しかしこのまま読み続ければそういう作品に出会うという感触はあります。さてどうしましょうか。以前のようにノンフィクションやエッセイを中心に読むのか、または現代のフィクションを続けるのか。
私はこの1ヶ月間で心の中に小さな変化が起きるのを感じました。心の中に緑色のものが現れ始めたのです。イメージでいうとそれは苔や芝のようなものです。私は有機物ですがその中に同じ有機物である植物が育ち出した感じなのです。
その心の様子が何なのかよく説明することができませんが、現代作家のフィクションを読み出したことと無縁ではないでしょう。
私はしばらくその有機物を育ててみたいと思いました。