必要最低必要
先日新たな資格を取得しました。今ままで取った資格の中で一番短期間で簡単に取れるものでした。
運転免許は教習所で1ヶ月、教員免許は大学で4年、英検1級は受験を意識して勉強を始めて2年、全国通訳案内士は英検1級を取得してから1年かかりました。イタリア語検定2級に関してはもうダラダラと20年以上勉強を続けても3度落ちています。
私が今まで取得してきた、または今目指している資格に対して、この資格は最も短い日数と費用で取ることができます。しかし、それは私に取って大きな可能性を秘める資格になります。
私は先日一日講習を受けることで「食品衛生責任者」として認定していただきました。数年前から受講しようと思い続けていた講習ですが、一年に数回平日のみの開催で、それもすぐに定員に達してしまうためタイミングを逸していたものです。
食品衛生責任者は飲食店を開くにあたって必ず必要な資格になります。調理師の免許の有無は必要条件にはなりませんが、食品衛生責任者がいなくては客に料理を提供することはできないのです。
高等学校で教師をしている私がどうしてこのような資格を取得したのかというと、私が近い将来客に料理を出すようなことを始めようかと考えているからです。このブログを読み続けている方はお分かりでしょうが、その料理とは明石で言う「たまご焼き」、全国的には「明石焼き」と呼ばれるものです。
香ばしく焼き上がったこのたまご焼きほど、よく冷えたビールに合う食べ物はないと私は思うのです。できれば大瓶のビールを小さめのコップに注ぎ、それをグビグビ飲みながら熱々のたまご焼きを頬張るのです。
昆布が効いた出汁に卵のあま味と熱せられた油の香りが混ざり合います。そこにタコの旨みと歯応えが加わり、口の中にパラダイスが出現します。
私はそんなたまご焼きを焼いて、お客さんにビールと共に味わってもらいたいのです。その店には大型の壁掛けテレビがあり、客席と調理場のどちらからも見ることができます。
映し出される番組はもちろん「大相撲中継」です。その店は相撲バーも兼ねていて、相撲好きがたまご焼きとビールを飲みながら店主と相撲談義を行うのです。
そんな店を開くための必要最低条件として私は食品衛生責任者となったのです。
イギリスのパブ的な
今回取得した資格により、私はたまご焼きをお客さんに提供することができます。焼くための鍋はガス台と共に3年半前に購入済みです。日本で唯一手打ちで銅板を加工して焼き鍋を作る職人安福保弘さんの作品で、今はもう新たにてにいれることができないものです。
さて、これから私はどのような道を歩んでいけばよいのでしょうか。一つはっきりしていることがあります。それは、私はたまご焼きを売ることを生業にするつもりはなく、あくまで趣味や楽しみでやりたいと思っていることです。
まだローンを抱えている私が新たに神戸周辺で飲食店の物件を探し、そこを改装して店を開いたとしても採算を取ることは容易ではないでしょう。のんびりと相撲を見ながら客と話すような店にはなりません。
たまご焼きを通じて私が求めているものはお金ではなく、そこで過ごす安らかで楽しい時間なのです。そう考えた時、私は自分の実家を改装して店を開こうという思いに至りました。
私はここ神戸から車で数時間の場所にある実家を18歳で出ました。田舎の小さな集落でしたが、第二次ベビーブーマーである私がそこで過ごした頃は子供の数も多く、それなりに賑やかでした。
今、その場所は子供の数も少なくなり、空き家も増え続けています。私のように18歳で家を出たきり地域に戻らない人が多いからです。
そんな中でも生まれた場所に残り地域を守っている人たちもいます。私が少年の頃一緒に遊んだ人たちです。子供時代のイメージは残っているのですが、久しぶりに会うと年相応に老けています。地域の子供会や祭りでお世話になった私たちの親世代の人々も、老人になり鬼籍に入り始めています。
私はそういう私の過去を支えてくれた人たちのために店を開きたいと思うのです。イギリスに行くと小さな集落であってもパブが1件あり、そこが地域の人々の社交場になっています。私が目指すイメージはそんな場所です。
で、どうするよ?
私は今年の春から父親と共にDIYをしています。実家に隣接する2階建ての車庫のペンキ塗りです。鉄パイプで足場を作り、命綱をつけて刷毛で塗料を塗っていきます。現在4分の3ぐらい塗り終わりました。
これが終われば2階の倉庫の整理に着手したいと思っています。なぜならその場所に店を作りたいと思っているからです。ただ、その作業は思っているより難しいと考えています。私の曽祖父の時代からの物が詰まっているからです。衣類や食器や農機具といった物です。その90%以上は使っていないし、おそらくこれからも使われることがないでしょう。
もろに戦争世代で飢えを経験した祖父母は「物を捨てる」という発想がない人でした。それは布切れ一つとってもそうで、何かの役に立つと考えていました。
私の両親は祖父母ほどではないにしろ、普通に貧しい家庭で育ってきました。どちらも物を捨てる罪悪感から逃れるために、それを「いつか使うかも」という理由で空いている倉庫に押し込むタイプです。
困難は予想されますが、それでも私は両親と対話を重ねて少しずつ物を処分して店のためのスペースを確保していこうと思います。
もう一つ考えなくてはならないことは、こちらの方がはるかに大きいことですが、趣味の店を行いながらどうやって暮らしていくかです。
私はサイドFIREを目指して少しずつ投資を行なっていますが、何しろ始めた時期が遅く毎月投入できる金額も少ないため、それが実現できるまでにはまだまだ時間がかかります。
一番優先されることは子供の学費確保です。次男も長男と同様に神戸を出るつもりなのでかなりかかりそうです。その目処が立ち次第退職金でローンの残りを返済し、見切り発車でもいいから飛び込んでみるという気持ちもあります。
その時は神戸周辺で非常勤の英語講師や通訳案内士を行いながら、実家に農作業で帰る間の夕方店を開くと言う形が考えられます。そしてその全てをブログで発信して、広告をつけてそこからも収入を得るということも考えています。
いずれにせよ、時がくれば給料が振り込まれるお気楽な生活からは遠ざかると思いますが、それに変わる自由でワクワクする匂いがしてきます。
未来のことはわかりませんが、だいたいの方向を定めてそちらへ向かって歩いて行こうと思います。その後押しをしてくれる今回の資格取得でした。何かあればこのブログに記し、読者のみなさんの見えない反応を想像しながら進んでいきます。