大人になって
私の尊敬する人、リベラルアーツ大学の両学長はこう言います。
「歳をとって持つべきものはお金と筋肉と友達」
お金は文字通り自由に生きるための資産やそれを作るためのスキルを表します。筋肉は丈夫な体、つまり健康を表します。
確かにこの二つは生きていくためにとても重要であり、漫画ドラゴン桜の主人公桜木建二も「幸せとは何か」という問いに対して「金と健康だ」と答えていました。
両学長はこの二つに加えて「友達」というキーワードをあげています。仲間を広げ仲間との時間を大切にする両学長らしい言葉だと思います。
もともとリベ大動画も、自分の友達に資産の増やし方や、人生対しての向き合い方を指南するために作ったものが、その良質なコンテンツに引きつけられてここまで大きくなったものです。
お会いしたことはありませんが、毎日多くの友人に囲まれて充実した人生を送っている両学長の姿が想像できます。
さて、私も規模こそ小さいですが、リベ大で勉強を始めて以来資産を増やしていこうと学んで行動をしていますし、各種資格を取るなど資産を作ることができる自分になろうとしています。
健康に関しても、添加物の入ったものを極力食べずに、バランスの良い食事をとり、適度に運動をして体重を増やさないようにしています。
私にとって課題なのは3番目の「友達」です。私にも友達はいます。しかし、沢山いるかといえば「いるよ」と断言することはできません。
特に仕事を始めてから私には新しい友達ができたのかどうかよくわかりません。もう働き始めて25年以上経ちますが、職場でできた友達が学生までにできたそれらのような親密さを持っているかといえばそうではありません。
一緒に仕事をすることで同世代の職員と仲良くなります。一緒にお酒を飲みながら話をしたりします。ではそれが友達なのかといえば、大学までの友達とは何か違うのです。
どうしてなのか、いろいろと考えてみて思うことは、職場でできた友達は職場か居酒屋しか一緒にいないということです。そして居酒屋で話すことも結局は仕事のことになります。
「そうか、友達になるためには一緒に遊ぶ経験が必要なのだ」と今考えています。確かに、大学までの友達は基本的に一緒に遊ぶことしかしてきませんでした。部活も遊びみたいなものですし、難しいことを語り合ったりする友達もいましたがそれも仕事ではありません。
私の中に「遊びと友達」というキーワードが浮かび上がってきました。
職場で遊ぶ
仕事を始めてから友達ができないとはいっても、何人かは仲の良い人がいます。その人たちとは私が20代の頃に知り合い仲良くなりました。その頃と今とでは職場の環境も大きく変わりました。
定期考査の午後には職員間のレクレーションがありました。体育館やグランドで、バレーやサッカーやソフトボールをするのです。終わったらみんなで飲みに行きます。
年に一度は地域内の学校対抗で試合を行いました。それを文章が得意な人が面白おかしく記事にして、職場で配布しました。
職員旅行も毎年のようにありました。お金を積み立てておき、学年末試験が終わると各学年各部署でそれぞれ1〜2泊の旅行に行くのです。さまざまな年齢層の教師が一緒に旅をして大いに盛り上がったものです。
「公共の施設である学校を使って職員が遊ぶとは何事だ」
「終業式も終わっていないのに揃って旅行に行く必要はあるのか。学年の生徒に問題があったら誰が対応するのだ」
私が教師になって5年もしないうちにそのような声が聞こえてくるようになりました。
そんな風潮が強まるなか、レクレーションも旅行も無くなりました。当たり前のことかもしれませんが、職場は仕事をするためだけの場になりました。「遊び」の要素は無くなりました。だからでしょうか「友達」が作りにくい環境になりました。
人間と動物
「遊び」も「友達」も高度な社会性の上に成り立っているものだと思います。特に年齢が上がれば上がるほど、それらをうまく維持して楽しむことに困難さが伴ってきます。
動物の世界を見てみるとそれはよくわかります。人間と同じ哺乳類である猿や犬や猫を想像してみます。彼らは子供の頃に複数でじゃれあいます。人間から見ると友達と遊んでいるように見えます。
しかしそれらが大人になった時、同じように振る舞うかといえばそうではありません。犬や猿は社会性のある動物なので一緒にはいますが、友情を感じたりそれを元に遊びをしたりするとは思えないのです。
基本的に動物は個として生き延びることと種として存続し続けることにしかエネルギーを使いません。かつてじゃれあった仲間も成長すれば自らの存在を脅かす敵となり得ます。
文明を発達させることで豊かさを手に入れて、普段生存とか種の存続とかを意識しなくて済む唯一の存在は私たち人間です。ですから、私たちの遊びは大人になっても続いていきます。
さて私自身のことを考えています。恵まれた環境にある私がどんな遊びをしているかというと、実際はそれほど遊んでいないことがわかります。
多くの時間を過ごす職場に遊びはなく、そこで得られる人間関係も淡白なものになりオフの日の遊びにつながりません。
読書、旅、語学、サウナ、私の趣味は一人でできるものが多く友達を巻き込んだ遊びにはなりにくいです。だから、それらを通じて新たに友達ができて楽しい時間を過ごすということもありません。
こうして書いているとなんだか私がこれから寂しい人生を送りそうな気がしてきましたが、希望はあります。
遊びを通じて友達ができるというのなら、今の私にとってそれにあたるのはバイク仲間です。行きつけの立ち飲み屋で知り合い何度かツーリングを行いました。
職業も出身地も異なる同世代の4人が、酒とバイクをキーワードに一緒に遊んでいます。これからのツーリング計画も多数あり、大きな目標は次回の草千里へ行くことです。
大人になってからの友達が少ない私ですが、このバイク仲間は「友達」といえそうです。
この記事はリベ大両学長の「お金と筋肉と友達」という言葉から始まりました。私の性格上、友達が少なくても楽しい老後は過ごせると思います。しかし友達は遊びにつながっているので、たくさん遊んで多くの友達ができることも魅力的だと思います。
ただ無理に遊んで友達を増やしても意味がないと思います。無理なくスマートな遊びをしてその結果友達が増えていく、それが幸せな老後を作る秘訣かなと思います。
相変わらず仕事が起きている時間のかなりの部分を占めますが、そんな中でも何か行動していきたいと思います。
バイク好きの輪を広げていくのもよいかもしれません。今までほとんどソーシャルメディアを使っていないので、いくつかやってみようかと思います。もう一つ、会員になって以来一度も行ったことのないリベシティの神戸オフィスに顔を出してみようかとも思っています。
もう一つ、最終的には私のこのような独りよがりの駄文を読み続けていただいている読者の方と、機会がくれば交流してみたなという気持ちもあります。