1月下旬ですが
昨年6月から再開していた台湾語学習ですが今年に入り一度もテキストを開いていないことに気づきました。「あれそういえば」と思ってテキストを探そうとしてもどこにあるのかわからないのです。
寝室、和室、リビングとしばらくの間本棚を探しているとリビングの本棚隅の方で別の本に挟まっているのを発見しました。
開いて音読してみます。ところどころで詰まります。意味もかなりの部分を忘れています。
「ああ、また積み上げてきたものを崩してしまった」
語学の難しさを感じる瞬間です。言葉は一朝一夕には身につきません。そしてせっかく身につけた言葉を維持するのはそれを使い続けることしかありません。
私が学習しているのは台湾語です。台湾の国語は北京語を土台とした台湾華語であり台湾語ではありません。台湾語は台湾南部を中心とした本省人の家庭の言葉であり正書法も確立されていません。
日本にいてもまず使うことがないし、台湾語で書かれた読み物もありません。私にとって学習する方法は、テキストを読むことが中心になります。動画などによる解説も多少ありますが、系統だって学ぶにはテキストが一番です。
昨年六月の再開以来毎日、英語、イタリア語、台湾語のテキストを読み続けてきましたが、秋が深まる頃いつの間にか台湾語のそれを読まなくなってしまいました。
学習を中断すると台湾語に触れる機会が一切なくなります。だから指の間から乾いた砂が流れ落ちるように、私の頭の中からもどんどん台湾語の表現が流出していくのです。
これが若いうちに始めた言語であれば定着をして流れ落ちる速度も緩いのですが、私が台湾語に初めて触れたのは40を過ぎてからでした。オヤジになって始め、使う場面もなく、中断を繰り返す、これではものにできるはずはありません。
慣れました
台湾語は2ヶ月以上学習していませんが私は語学の学習をやめたわけではありません。相変わらず1日の内自分の自由になるほとんどの時間を使ってイタリア語と英語を行なっています。
特に最近は検定を3月に控えていることもあって、かなりの割合をイタリア語にかけています。ですから第三の言語である台湾語まで余力が回らないのは当然なのです。
この言語学習を中断したり始めたりというのはもう慣れっこになりました。イタリア語学習で何十回、ひょっとしたら百回以上経験しているからです。
英語は仕事で使うためやり続けてきましたが、余剰であるイタリア語は私の仕事やプライベートの忙しさに合わせて中断と再開が続いてきました。
「どうしてこんなに苦しみながら語学をするのだろう」そう思いながらもやめられないことは私のモヤモヤを作っている大きな要因の一つであったと思います。
時々語学学習のない人生を想像してみます。電車の中も、家に帰った後も、休日の午前中も、日本語だけを使って生活するのです。これはまあ日本に住む人の95%以上の人々の生活なのですが、私にとってはうまく想像できません。
13歳で英語の学習を始めて以来、外国語に触れることは私の生活の一部であり続けました。大学の専攻は語学ではありませんでしたが、それでも英語の学習は続け結果的に英語の教師になりました。
そこまではよかったのですが、20代でイタリア語を始めてしまい、それに40代から台湾語が加わり首が回らなくなっているのです。
首が回らないながらも語学は私に喜びを与えてくれるから厄介な存在です。英語でしばしば夢を見ますし、普段も英語で考え事をすることもある私ですが、最近何かを見たり感じた時イタリア語が出てくることが多くなりました。
また、感嘆表現や決まり文句、特に酔った時のそれには台湾語をつぶやいている時があります。頭の中でいろいろな言語が混ざり合ったり、時にはそれぞれ立て続けに独立して現れる時なんともいえない気分になります。
私を作っているのは言語であり、じゃあその私って誰なのという気持ちです。私に至る道が母国語以外にもあるような気持ちで、悪い気持ちではありません。
そのようなわけで今日も私は語学学習を続けます。英語の本や新聞を読み、イタリア語のイディオム集を音読します。BBCニュースやpodcastitalianoを聞きながら駅へと向かいます。
台湾語は、とりあえずの中断です。イタリア語検定の1次試験が終わる3月中旬には再開しているはずです。その先も何かある度に中断と再開を繰り返していくと思います。
私は不惑どころか知命を超えました。耳順になっても従心になっても惑いながら語学学習の中断と再開を繰り返していそうな気がします。
それで良いと思えるようになりました。そういう点では私は遅ればせながら惑いが一つなくなったといえます。

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