今日から始めます

語学→いいところいろいろ

私にとって語学は、仕事で使用する道具であり、思考を広げる手段であり、学習する楽しさと安らぎを与えてくれるものであります。

今の職場は楽天やユニクロのように社内公用語が英語であり、重要な会議は英語で行われているような職場(これはまだ続いているのでしょうか?)ではありませんが、海外とのやり取りや書類を読んだりするために、英語はできるに越したことはありません。私の場合、今まで数年に1度の割合で海外への出張がありました。どんな国であってもある程度英語ができれば、それなりの意思疎通は可能で、そこそこいい思いができます。また私の仕事内容はそこまで正確でシビアな現地での交渉を要求するものではありませんから、英語を完璧にしなくてはならないというストレスに押しつぶされることもありません。
雇用側からしても、TOEICのスコアを提出しろとか、検定資格の有無が給料や昇進に反映されという要求や待遇は(私が知る限りでは)ありません。職場内は圧倒的に日本人が多く、外国出身の仲間であっても日本語で意思疎通できますが、英語ができるといろいろな面で重宝してもらえることも事実です。ちょっとした調べ物をする際にも英語で書かれた文章は圧倒的に多く、資料などを作る時の材料の幅が広がります。

以上、語学と仕事について。

内田樹氏の著書「寝ながら学べる構造主義」(文春新書)は、私が今まで最も回数多く読んだ本の中の1つです。10年ほど前にこの本に出会い、構造主義に興味を持ちつつも、実際にラカンやバルドの著書は私の知力では敷居が高すぎ、かろうじて構造主義の概論的な本やレヴィストロースの「悲しき熱帯」などを読み、自分もこの思想を少しは理解したような気になっています。
私がかじった構造主義思想の中で印象深かった考え方は、言葉の機能は世界の分節であり、言葉の前にモノは存在しない、というものでした。分節の仕方は国や民族、究極的には個人によって異なり、その運用の仕方もそれぞれの言語・話者の集団の持つクセのようなもの=構造に支配されていて、その運用は思考に作用する。私たちは自由に思考しているつもりでも言語の持つ構造の枠の中で「思考させられている」。
本を読みこのことが腑に落ちた時、軽い絶望と虚無感を感じると同時に、「それならば複数の言語を知るということは、どっちみち構造の枠の中で不自由に考えさせられているにしても、その枠の数を増やし大きさを広げることができる」ということに思いが至り、このまま複数の語学を続ければ思考するときの呼吸が少しは楽になるのでは、という期待を持つことができました。

以上、語学と思考について。

6年ほど前、生まれて初めて「ジャパネットたかた」で買った商品は録音機能付きラジオでした。たかたオリジナル製品でAM、FM、ボイスレコーダーと3つの機能がついていますが、NHK第2放送の録音以外に使ったことがありません。毎日肌身離さずそばに置き、使い続けた結果、今では十字ボタンの感度と反応がおかしくなり、再生するつもりが予約メニューが表示されたりします。そんな録音機能付きラジオで私は「実践ビジネス英語」を始めとするNHK第2放送の語学番組を録りまくり、あるものはテキストと共に丁寧に、あるものは電車の中で聞き流しています。
地味な学習ですが、NHK第2放送の語学講座は大学のころから相性がよく、時期によって濃淡はありましたが常にお付き合いしている存在です。NHK=暗い、こんな印象を持ち、特に若者は見向きもせずに、ネット上に溢れる明るく輝く語学講座を目指すでしょうが、モヤモヤな私は地味なNHK第2あたりのテンションが丁度心地よいのです。ラジオを聞き、テキストを説き、後で何度も音読をする。高校生まで昭和に漬かっていた私は、この方法に安心感と安らぎを感じ、今日もジャパネットたかたラジオを手にするのです。

以上、学習する楽しさと安らぎについて。

語学→モヤモヤの原因

仕事の役に立ち、思考を広げ、安らぎを与えてくれる語学ですが、前回のブログで書いた通り、同時にこれが私にとってモヤモヤの大きな原因になっています。つまり、語学を始めてしまった以上続けなければならない、⇒ さもないとせっかく獲得した能力が衰える、⇒ それを防ぐには毎日の学習しなければ、使用する機会を確保しなければならない。
人は誰でも毎日順調な生活を送っているわけではありません。仕事がきつかった日の夜、急な外出、体調不良、そして最大の原因、何となくするのが億劫。それらの理由により語学ができなかった日、「~ねばならない」という重圧に対して結果が伴わないことが、自己嫌悪を産み私を苦しめます。 

ジャパネットたかたラジオに未聴の語学番組が溜まっていくたび、本棚で購入以来一度も最後まで読み終えていないペーパーバックの背表紙と目が合う度に、書店でテキストの翌月号を目にするたび、「~ねばならない」が私の心を襲い、勉強をさせられている気分で楽しくない学習モードに入ります。

「英語・イタリア語・台湾語、1つに絞れば楽だぞ」というささやきが聞こえてきます。実際にそうなんです。欲張りすぎるから苦しくなるのです。仏教でいうところの「知足」を知るべきなのです。

3つの中から選ぶのなら、キャリアも長く実用性も高い英語なのでしょが、あの終わりから第2音節にアクセントのあるイタリア語の音楽的で体から倍音が出まくっているような力強い響きを奏でることは、モヤモヤな私にとってかなりの自信につながるのではと考えます。それに、退職後定期的にイタリアを訪問して余生を楽しむというのは、私が結婚した時に妻と考えて実行しようとしている計画です。それには何よりイタリア語でしょう。
では台湾語は?

おそらく、台湾で勉強や仕事を考えている人はまず台湾華語≒北京語を学習するでしょう。台湾華語は台湾の公用語で、どんな場所でも通じますし、教材も数多くあります。しかし、台湾には7割近くの人が家庭で使う台湾語という正書法も確立していない口語が存在します。そしてこの言葉の学習者は少なく、教材も大型書店に行けばわずかに数冊見つかる程度です。
何かの縁で始めたこのマイナーな言語の学習。私が現地に行ったとき、この言葉を話したら、台湾の人はどんな反応をするのか。考えたらワクワクします。
イタリアと同様に台湾も大好きで、子育てが一段落すれば、毎年ぐらいの勢いで通いたい場所です。発音も北京語に比べて、悪く言えばやぼったいですが、よく言えば角が取れた感じで耳あたりがよく、植民地時代の日本語の影響も語彙の中に見られる、私にとって親近感のわく言葉です。

こう考えると、どの言語を捨てる勇気も私には湧いてきません。

そして今日も私は、語学によっていい思いをすると同時に語学によって苦しめられています。
どちらの思いをするにしても、確実にかなりの時間を消費しています。人生順調に行って今折り返し地点にいる私から、モヤモヤで染められた時間が失われていきます。文字通り、身を切られる思いです。

語学 → ケリをつけよう

こうやって私はダラダラと語学を続けながら、これから先もモヤモヤしているのかと思うとやるせなくなってきました。

そして、この辺りでケリをつけるべきであるということに考えが至りました。

「ケリ」とは何か。今までどうしても3種類の外国語学習を捨てられなかった私です。これは、おそらくこれからも無理です。
ダラダラと続けるのは、手に入れたものを失うのが怖いから。そして問題なのはその手に入れたものが目に見えないということ。見えないものを失うことが怖くて、何を持っているのか分からないまま闇雲に手をかき回して何かをつかもうとしている、そういう状態です。

だから、見えないものを可視化することにしました。自分が何を手にしているのか、ある程度客観的に分かる指標です。

実用英語検定1級とイタリア語検定2級の2020年中の取得を目指すことにしました。

英語に関しては検定の最上級なので、取得すればそれなりに満足できるはずです。”それなりに”と書いたのは英語は他にも数多く検定があり、実用英検1級より難易度が高いものもあるからです。そのあたりでまたモヤモヤが始まるのなら、それは英検取ってから考えます。(そんなに簡単に取れるとは限らないし)
イタリア語は2級が「4年制大学の専門課程卒業程度」という表記があったので、取得できれば「独学で外国語大学4年間の学習と同じレベルに達した」と言うことで、満足できると思ったからです。

台湾語に関しては、検定がないので今まで通りダラダラいこうと思ってます。話し言葉なので、この言語に関してはそれほどプレッシャーを感じていません。

さて、「語学をしなければならない」というモヤモヤから来年中に逃れるための決意ですが、その成就に当たって大きな障害、乗り越えなくてはならない高い壁が一つあります。

「時間どこで確保する」と言うことです。すでに通勤時間はダラダラ語学、ジャパネットたかたラジオやpod-castで使っています。
必然的に、朝出勤前、帰宅後、休日ということになります。休日は現在でも語学している時間が多いです。朝は起きるのが苦手です。

そう考えると、帰宅後が一番適切な時間です。そしてそれは、私にとってお酒をやめなければならないということを意味しています。
今まで何十回、いや何百回「軽く飲んでから勉強しよう」と思ったか。そしてそれが実現できたのは、この10年間で片手で数えられるくらいしかありません。
飲めばダルくなり、また明日モードに入り、結局何もしないままソファーで爆睡。翌日、そんな意志薄弱な自分に嫌悪感、そしてモヤモヤ。

お酒は好きで語学も好きだけど、この二つの相性がよくないんです。

その狭間で揺れる私は、お酒をやめて語学によって生ずるモヤモヤを消すことを優先することにしました。

酒をやめるとは言っても、立ち呑みは我が人生の一部、第3の居場所、モヤモヤを弱めてくれる場所。完全に断つことはできません。この辺の匙加減をどうしていくのか、またブログに書きながら心を整えようと思います。

モヤモヤ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ 幸せ?

”お酒をやめます。(減らします)そして来年検定取ります。語学のモヤモヤとサヨナラします。”

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。