ビジネスシューズ
私は仕事用の革靴を3足しか持っていません。
黒のストレートチップ、濃い茶色のプレーントゥ、明るい茶色のウイングチップで、いずれもリーガル社製です。それぞれの靴の色に対応したベルトも持っており、靴に合わせて着用します。
ここまで仕事用の靴を減らしたのは衣類を持ちすぎることにうんざりしたからです。「カッコよくいたい」という気持ちはいつもありました。しかし、私はいろいろな服を上手に着こなせる人間ではありません。
もちろん、いいデザインのジャケットなんかを目にすると「こんな服を着こなしてみたいな」と思います。しかし、ジャケットは単体でカッコよく見えるのではなく、トータルの着こなしの中で存在感を放ちます。
どのように着こなしたら良いのか、学んで場数を踏んでいけばそれなりにサマになるのでしょうか、私はそのようなことに興味は持ちつつもお金と時間を使うことをあきらめました。
いろいろと服を買い続けてもカッコよく着こなせない自分に気づいたからです。それに服の管理には時間もメンタル面の労力もかかります。そんなことより語学や読書に時間やエネルギーを使う方がよいと思いました。
私は洋服屋で黒の同じ形のパンツを4本仕立ててもらいました。そのパンツを基準に白かピンク色のシャツを着て、その上には夏以外のシーズンは二種類のシンプルな色合いのジャケットを交互に着て、靴とベルトは先に述べた三種類をぐるぐると回していきます。
シャツは何も考えずに手にとります。ジャケットはA→B→Aの順番、靴もA→B→Cを繰り返し、靴下は全て同じ色です。なんて簡単で楽なんでしょうか。このパターンを覚えてからは、もうこれ以上服や靴を増やそうとは思わなくなりました。
あとで振り返ってみるとすごく単純なことなのですが、このことに気づくまでに私は20年以上社会人として働いていました。
お別れの時
私の足元を固めてくれる三種類の革靴、どれも思い入れがあります。
部屋や机の上の片付けは苦手な私ですが、ジャケットやパンツにはブラッシングをまめにしますし、シャツのアイロンは自分であてます。それに靴の手入れをすることも楽しみの一つになっています。
休日の昼前、私はよく語学番組をpod-castで聞きながら靴の手入れをします。ブラシでホコリを払い、クリーナーで汚れを落とし、クリームを塗って馴染ませます。革がエネルギーをもらって輝いているように見えます。
そんなこともあって私の3足のビジネスシューズは長持ちしています。靴は連続して履いたらすぐにダメになりますが、手入れをしながらローテーションを組んで履けば高級履でなくてもそれなりに持つものです。
しかし、どんなに大切に履いていたとしても、革と木材で作られた靴は経年劣化が避けなれません。3足のビジネスシューズのうち、最古参の黒のストレートチップに疲れが見えてきました。
かかとの減りなら交換することができますが、ヴァンプの部分の革が割れて剥がれてきたのです。歩くたびに伸び縮みする革では一番負担がかかる部分なので仕方がないのですが、もう少し上手く手入れできなかったかという思いもあります。
このストレートチップは17年前に買いました。私の次男とほぼ同じだけの時を一緒に過ごしてきたことになります。思い入れはありますが、形あるものは全て変わっていくのも世の常であります。私は新たな靴を買うことにしました。
靴屋さん
3月中旬のある日、私は妻と二人、神戸市中心部へ買い物に出かけ、途中三宮と元町の間にある靴屋に立ち寄りました。今回はリーガルではなく、さまざまなメーカーを扱った店です。
服と一緒で、靴の業界も画一化が進んでいると思います。全国各地にチェーン店ができて、店主によって品揃えが変わる昔ながらの靴屋さんは減りました。
そもそも革製のビジネスシューズ自体の需要も減っています。流行中のストレッチスーツに、カチッとした革靴は似合いません。街の靴屋だけではなく、デパートの靴売り場も苦戦しているように思います。
私が入った店はジョンロブやチャーチなど高級靴も扱う店です。若き日の私が憧れつつも買えなかったイギリスブランドです。
今は歳もとりそれなりに給料も上がりましたが、私はこれらの靴を買おうとは思いませんでした。ジャケットやパンツとのバランスもありますし、日本の靴メーカーを応援してあげたいという気持ちもありました。
私が購入したのは「菅生製靴」という埼玉の会社が作った靴でした。店員さんのおすすめで値段も手頃だったため試着してすぐに決めました。
1ヶ月間履いていますが日に日に馴染んでいき、特にソールのフィット感が気に入っています。革靴を履いてくるぶしの部分が擦れなかったのは初めてのことでした。
私の家の下駄箱には現在、新旧二足の黒のストレートチップが並んでいます。しかしそれもあとわずかのことです。新しいものを買った以上、役目を終えた方とはお別れをしなければなりません。
私の中に17年間のさまざまな出来事が浮かんできます。三足の革靴のうち黒のストレートチップはフォーマルな場面で必ず履かれた靴だからです。
結婚式や葬式、入学式や卒業式、この17年間、私の周りで起こったフォーマルな出来事ではこの靴が私の足元を固めてくれました。その感謝の気持ちと共に私は次の17年間を考えます。
次の黒のストレートチップを買う時、たぶん私は年金受給年齢を超えています。その間にどんな人生が待っているのでしょうか。たかが靴のことですが、私は自分の人生と重ねて考えずにはいられないのです。
