稲作作業の合間に
私の実家では、ゴールデンウィークの到来とともに米作りが始まります。米作りとはいっても、実際に田んぼに水をはり苗を植えるのは5月の終わりで、この時期は半年の間放っておいた田んぼの整備を行います。
この前記事にした用水路の清掃はそれを代表するもので、一つの水系につながる全ての田んぼの所有者が参加して行います。清掃が終われば水を通すことができます。
水門が開かれる日までに、個々の田んぼの整備を行わなくてはなりません。肥料を入れて、田を耕し、あぜ草を刈る、そのような作業です。
私の父親は相変わらず足腰が痛み10分以上連続して作業をするのが辛いため、今年も私が時期を見て手伝いに帰省します。
この日はまくぞーくんを使って肥料を撒き、刈り払い機であぜ草を刈りました。田んぼの周りに生えるのは一年草です。冬の間は枯れ草で茶色くなったあぜも、この時期になると春の草花が生えてきます。
私はまだ柔らかい草花を刈り払い機で刈り散らしていきます。盛夏の強い茎の草に比べたらこの時期の草は楽勝です。私は予定より早く実家に帰りました。
「なんか他にすることあるか?」
そういう私に父親は「これをやってみるか」と車庫から機械を出してきました。
回転する刃
父親が出してきたのは小型の耕運機でした。そのようなマシンは見たことがなかったのですが、畑作りをやめた近所の知り合いからタダでもらったとのことです。
私はそのマシンで家に隣接する小さな畑を耕すことになりました。この畑では大根や白菜やじゃがいもといったベーシックな野菜を、場所を変えながら少しずつ作っています。
一通り操作方法を習います。耕運機には4サイクルOHVのエンジンがついています。このエンジンのクランクシャフトで生まれた回転運動は、レバーの操作によって二つの軸につなげることができます。
一つ目は通常の自動車のように前進・後退する車軸に、もう一つは土を耕すための回転する刃に対してです。

車軸は前後に動き、刃も前転後転します。また刃を回さずに移動することもできます。私は6通りの組み合わせの中の一つにレバーを入れ、クラッチをつなぎ、アクセルを吹かします。
足元からゴロゴロという音と振動が伝わってきます。耕運機はゆっくりを進みながら、草の根が張り固くなった土の表面にザクザクと刃を入れていきます。
「地面が柔らかくてふかふかした畑に変わっていく」
ただの草に覆われた地面が食べ物を生み出す場所に変わっていく姿に少し感動を覚えます。同じ場所を2度通してやれば土はさらに細かく柔らかなものになります。
私は面白くなって何度も何度も同じ場所を耕しましたが、私の性格は「面白い」だけではこの作業を終わらせてくれません。
刈り払い機を使う時と同じ感情が湧き上がってきます。
「今日、何匹虫を殺したのだろうか」
私の食べ物のために
回転する刃の上には安全のためにカバーが取り付けられており、実際に刃が土を耕す場面を見ることはできません。
しかし、ガソリンの爆発によって生まれた強力な上下運動はクランクシャフトによって回転運動に変えられ、その力は確実にこのカバーの下の10数枚の刃に伝えられます。
この小さな耕運機の下には無数の生き物がいます。草の葉や茎や根、土の表面や中、それぞれの場所をすみかや餌場とする虫がうごめいていることでしょう。
私は無情にもそれらの生物に対して鉄拳ならぬ鉄の刃を高速で振り下ろしていきます。
土の上に少し凹んだ筋がいくつも見えます。モグラの通った跡です。かつてこの場所でじっとしていた父親が、突然動く地面に向かってジャンプし、そこを掘り返してモグラを捕まえたことを思い出しました。
「そうか、この下には哺乳類もいるのか。逃げられるかな」
畑作にとって根を掘り返すモグラは憎むべき動物ですが、いざ自分が殺めるかもしれないと考えると「逃げてくれ」と同情します。

モグラの通り道に沿って耕運機を動かします。凹んだ筋は消えてモグラが掘りやすそうな柔らかな土が現れます。
かつてはこの作業を鍬を使って行っていました。田んぼの草刈りは鎌です。考えただけで気が遠くなります。
人間は内燃機関を発明し、それが農業にも応用されて爆発的に効率が上がりました。それに伴ってかつては奪わなくてもよかった虫や小動物の命を奪っています。
刈り払い機の回転するワイヤーや耕運機の刃先に無数の命が消えていきます。文明の力を使わなかったら失われずに済んだ命です。そこに作物を作り、私たちの命を保つために私たちは殺生を行います。
「すまぬ。私の食べる米や野菜のために往生してくれ」
そう思いながら私は刈り払い機や小型耕運機を動かします。しかし、こう言えば自己弁護になるのですが私がやっていることなど、大規模農業のそれに比べれば牧歌的であります。
商品作物を大規模に作るためには、それこそ生態系が変わるくらい地表を変えて、薬剤を撒き、遺伝子を組み換えて穀物や野菜を育てます。
都市居住者が増えるに従って、どこでどのようにして、何を犠牲にしながら食糧が生産されるのか見えなくなってきます。
穀物や野菜はただの商品であるだけではない。そこには、それらを栽培するために奪われた無数の見えない命が詰まっている、そういった現実を一人でも多くの人に感じてもらいたいと思います。
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