「田」の字の線上で

オジーの名曲

暗闇など全くない昼間の田んぼで、私の中にオジーオズボーンの名曲「Shot in the dark」が流れる。不運な事故で亡くなったギタリストでオジーの親友ランディ・ローズ、彼に代わってジェイク・E・リーを起用して作成されたアルバム「罪と罰」の代表曲である。

なぜ場違いなこの曲が私の中に流れたのかというと、この「Shot in the dark」の邦題が、メタル界ではメタルらしくないと物議を醸す「暗闇にドッキリ」であり、その「ドッキリ」の部分を田んぼの畔で強く感じていたからである。

私が「ドッキリ」を感じたのは、田んぼの脇の小さな用水路に白い腹を上にして流れていくマムシの姿を目にしたからである。そのマムシは数秒前まで生きていた。殺したのは私である。

六月中旬のある日、私はいつものように田んぼの畦の草刈りを行っていた。四月から3度目の草刈りである。春には柔らかかった草も、日差しが強くなるにつれてだんだんと茎が強いものに変わり刈りにくくなる。

それにこの時期になると、さまざまな生き物が草の間で活動を始める。その代表格はカエルである。私は草を刈りながらわざと大きなモーションで足を動かす。カエルに私の存在を知らせるためだ。「ワイヤーに真っ二つにされる前に逃げてくれ」そう祈りながら刈り払い機を操作する。

私が足を踏み入れた先に濃い茶色の大きな生物が見えた。大きなカエルか。機械を近づけても動かない。カエルではない。それはとぐろを巻いたマムシだった。マムシに遭遇したのは人生で5回もない。田んぼでは初めてだった。

カエルだと思ったものがマムシであると分かった時から、私の記憶は数秒間消えている。多分夢中で刈り払い機を動かしたのだろう。マムシは数秒後に隣の用水路に浮かんでいた。私の頭の中に「Shot in the dark」が流れてきた。この時の私の血圧は、人生で最高値を記録していたと思う。

小さな自然

「田舎には自然がある」など、田園風景は自然と結びつけて考えられがちであるが、水田は完全に不自然な人工物である。

「田」という字を実際の田園に置き換えて考えていただきたい。線に囲まれた何もない部分には稲が植えられる。この部分には栄養豊富で小さな石まで取り除かれた特殊な土が敷き詰められている。

その土の上に、晴天が続こうと用水路から絶え間なく水が供給され、稲という単一の植物が栽培される。当然、そのような好条件の場所には他の植物も根を下ろしたいわけであるが、それらは除草作業によって排除される。

そのような特殊で不自然な「田」の中にあって、文字を構成する線の部分は稲ゾーンほど管理されない。この部分は畦(あぜ)と呼ばれている。

稲の部分は稲以外の植物が根を下ろすことは許されないが、畦の部分にはさまざまな草花が入り混じり、昆虫や小動物の隠れ家となる。

しかし、そんな畦の植物たちも放置しすぎると肝心な稲ゾーンに草の種を撒き散らすことになるため、定期的に草刈りを行う。

ある日、いつものように刈り払い機で草を刈っていると、草むらに白い物体を見つけた。よく見てみると、2つの小さな卵であった。鶏の卵の半分、ウズラのそれを2回り大きくしたようなものであった。

田んぼの中には産めないからこんなわずから草むらを探して産むのか、と感心しながら私は畦のその一角の草を刈らずに残しておいた。

一体どんな鳥が産んだ卵なのか興味があった。時間をかけて観察したいが、翌日には神戸に帰らなくてはならない。せめて帰る直前にあの卵の様子を見ておきたい。昨日は私の存在に逃げていた親鳥が抱卵をしているかもしれない。

私はゆっくりと田んぼに近づいた。あの一角だけ草が残っている。一見親鳥はいないようであるが草の中に隠れているのかもしれない。

ゆっくりとその場所へ近づいてみる。白い物体が見える。同時にそれが黄色で汚されている。二つの卵は食い散らかされていた。

孵化しないまま命の終わりである。ガーンという喪失感に襲われる。イタチやテン、またはトンビやカラスの仕業か。

田園は不自然な状態といっても、それは所詮人間がそう思うことである。動物たちにとって、そこが自然であろうとなかろうと、その与えられた環境で最大限に生きていかなくてはならない。

どんな場所でも常にバトルロイヤル。それが動物たちにとっての基準。食い散らかされた卵は、残してあげた自然で卵の孵化を考えた傲慢な私への、小動物からの一撃であった。

子供の頃見たアニメ

『シロツメクサの花が咲いたらさあ行こう〜』

現在の日本では繁殖しすぎた外来生物として嫌われているあの動物、アライグマと少年との心温まる交流を描いたアニメを子供の頃見ていた。

シロツメクサというのは、クローバーのことである。群生して柔らかい緑のベットを作るクローバーから、季節になるとニョキっと茎が伸び、その先に丸くて白い花を咲かせる。

男子である私は全く興味がなかったが、小学生の頃はクラスの女子たちがこの花を使って輪っかのような飾りを編んでいた。花瓶にいけるわけでもないのに、あんな花束を女子たちは家に持って帰ってどうするのだろうと不思議だった。

元々は日本原産の草ではないが、現在では日本中に広く見られ、私も田舎でこの花をみると子供の頃を思い出す。

そんなシロツメクサの花が私の田んぼの畦にも咲いている。不思議なもので田んぼを囲む四方の畦のうち、北側の一辺に特に密集して咲いている。初夏の昼間、高く上がった日の光に照らされるシロツメクサの白い花、綺麗だなと思う。

私は、刈り払い機をそんなシロツメクサの群れに近づける。あの子供の頃聞いた「ラスカルのテーマ曲」を口ずさみながら。

白い花が刈り払い機のワイヤーで砕かれて四散する。クローバーのすり潰された匂いが鼻腔に入ってくる。「せっかく花を咲かせたのにかわいそうだな」と思いながらも、柔らかいこの草を一気に刈り取って気分が良い自分もいる。

シロツメクサだけではない。田の畔ににはさまざまな草が花を咲かせる。そのほとんどの名前を私は知らない。小さな黄色い花、薄紫と白の混ざった花。私は次々とワイヤーで刈り飛ばしていく。

多分、幼稚園の園児たちが通りかかったら「やめてー」と叫ばれそうなことを私はしている。私が生きていくためのお米を効率よく作るために。

実をつけることなく刈り取られてしまった花々。しかし、不思議なことに、翌年の同じ時期になると同じ場所にちゃんと同じ花を咲かしている。

こんなことも、米づくりを手伝い始めるまでは気が付かなかったことだ。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。