来るもの 去るもの
「ご注文の品が出来上がりました」
普段馴染みにしている洋服屋さんからラインのメッセージが入りました。都合のよい日を予約して、商品を取りに行きます。注文していたのは2本の黒色のズボンです。
2本とも同じ生地、同じサイズで、異なる所といえば後ろポケットのボタンホール周りの刺繍の色だけです。ズボンの形は少し裾を絞り気味のノータックのシングル仕上げ。中心の折り目はシロセットによるものです。
私がこの洋服店からズボンを買うのは6本目になります。全て黒色で同じ形をしています。違いと言えば、ボタンの色またはボタンホールの刺繍の色のみです。
私が黒いズボンを穿き始めた理由は、服に気を遣うことが嫌になったからでした。ワードローブを管理して、毎朝着る服のことを考えるのは結構脳のエネルギーを使います。それに生きがいを感じている人も多くいるのは事実ですが、私はもっと別なことにその力を使いたいと思うようになりました。
スーツもよく着ていた私ですが、それをやめてジャケパンスタイルに変えました。ズボンの色は汚れの目立たない黒にすることにしました。
何本か黒ズボンを履いたのち、どうせ履くなら自分に合ったものをということで洋服屋さんで仕立ててもらいうことにしました。ファストファッション全盛の中で頑張る個人経営の洋服屋さんを応援したいという気持ちもありました。
フィッターの方に採寸してもらい、股下の深さや裾の幅など自分の好みを伝えます。採寸後、ポケットの形やフラップの有無、ボタンの素材や色を決めていきます。値段は少し張りますが、自分の好みや体型に合ったものを着ることができ満足しています。
この黒のズボンをベースに、私は3つの色の靴とベルトを順番にローテションさせます。シャツの色は白かピンク、ジャケットは薄手と厚手のものを2着ずつ季節によって着回します。これで十月から翌五月まで過ごせます。
厚い季節になると、ベルトから下はそのままに上に着るシャツを半袖に変えます。夏用のシャツは白か白地に青の柄になります。
このように書いてみると、私の黒のズボンがいかに酷使されているのかわかります。まるで高校生の制服のようです。実際に最初の2本の黒ズボンを仕立ててもらってから三年が過ぎて、どちらもかなりくたびれてきました。
そんなことで5本目と6本目の黒ズボンを注文し、それを引き取りに行った今、初代の2本には引退してもらうことにしました。本当によく穿いたズボンで、ここ数年間に接した同僚や生徒たちはこのズボンを穿いた私の姿しか見ていません。
ファッションに対してあれこれ気を使いたくないけれど、それなりにちゃんとした格好をしたい、そう思う私の服装の起点となるズボンです。
次のフェーズ
さて、今回5本目と6本目のズボンを手に入れたわけですが、私にはこれ以上黒いズボンを買う予定はありません。3号から6号の4本をあと2年と8か月の間大切に穿いていきます。
私は2028年の3月に高校教師を辞めようと考えています。定年まではまだまだ時間があります。その時点で子どもが二人とも自立しているかどうかは不明です。ローンも残っています。
考えだしたら不安だらけです。毎月決まった日に、銀行口座に給料が振り込まれる生活を25年以上続けてきたのです。ストレスはあったけど衣食住には困らなかった生活でした。そんな生活をやめて、今まで背負っていた看板を捨てて不安定な道を歩こうとしているのです。
時々、夜中に不安で目を覚まし、そのまま朝まで眠れないこともあります。しかし、私は決めました。自分の心に素直に生きていくことを。不安はワクワクの裏返しであると考えることにしました。
この黒ズボンたちを2028年3月まで穿いたら、私に身につけるものも新しいフェーズに入っていこうと考えています。服装がすべてではありませんが、着るものは人の心や行動に影響を与えます。
「おっ、あいつオヤジやけどなんか雰囲気あるなあ」そんな視線を感じる服を身につけたいと思うのです。ただ、現在そうであるように、朝の時間に着るもので脳のエネルギーを浪費したくありません。だから2028年4月になっても、決まったローテーションで回し、かつ雰囲気のある恰好を目指したいのです。
ズボンを取りに行った時、フィッターの方とそんな話をしました。
「私の方でもいろいろ提案できるように考えておきます」
この方とは7~8年の付き合いになります。
自分の未来について、このように一緒に考えて、自分に合うスタイルを提供してくれて、それで毎日いい気分で過ごせるのなら、洋服屋で仕立ててもらうのも安いものだと思います。
私のファッションが、次のフェーズに移ることを楽しみに、あと2年半黒ズボンを大切に穿きます。

関連記事:時が過ぎてゆく