令和七年七月場所

今年の大相撲も折り返し点を過ぎました。年々暑くなる日本の夏ですが、力士たちは名古屋の地で懸命に相撲をとっています。

職業柄、7月の名古屋場所はテレビ観戦する時間が多く取れそうに思えるのですが、特に今年はこの期間にあれやこれやが重なってなかなか時間を取ることができませんでした。

リビングのレコーダーの中にはいつも通り大量の取り組みが残ったままです。おそらく、このまま見られることなく消去される運命にあります。「早く時間に余裕のある生活をしたい」大相撲の季節になるたびそう思います。

あまり見られなかった中でも、印象に残ったことを書き記します。

Z世代の若者なら

横綱豊昇龍が五日目から休場しました。初日は高安に勝ったものの、二日目から三日連続で金星を供給した後の休みでした。

初場所の優勝で横綱昇進を決め、大阪場所で休場、夏場所で12勝をあげたものの優勝を逃し、迎えた名古屋では調子を出すことができませんでした。

豊昇龍は関取になって以来、今までほとんど負け越したことがありません。前半は負けを重ねても、場所が進むにつれて調子を取り戻して、最後にはきっちりと勝ち越しを決める力士でした。そう言った意味では安定感はありました。

しかし、横綱になった今は「後半取り戻す」というわけにはいきません。勝って当たり前、優勝争いに絡んで当たり前というのが横綱だからであります。

これは非常に神経をすり減らすことであります。

ありえないぐらいのスピードで横綱に昇進した大の里についてもそれは言えます。今まで大の里に対してポジティブなコメントしかしてこなかったメディアや相撲協会が、十日目が終わったあたりから変わってきました。

この日、大の里は今場所3つ目の金星を玉鷲に与えていました。結果的に場所を終わって11勝4敗、大関以下なら立派な成績だと思いますが、横綱だと話が変わってきます。

十三日目の琴勝峰を含めて4つの金星を与えたことで、大の里は横綱審議委員会からも「残念至極」と批判されました。彼は幕下付け出し十枚目からわずか十三場所で大相撲最高位まで上り詰めました。ありえない速さの出世です。

それでも、横綱の責任に関してはどのような経緯を経ようが関係ないのです。豊昇龍は26歳、大の里は25歳です。普通に考えればこれからあと十年は相撲を取ることのできる年齢ですが、横綱としての内容によっては若くても引退勧告される可能性があります。

私はZ世代の若者のことを考えました。出世を望まない若者たちのことです。なぜなら出世には責任が伴うからです。アメリカでは「Quiet Quitting」という働いてるものの必要最低限のことしかしないというムーブメントもあるといいます。

大相撲の世界で横綱になるということはそれらの対極に位置することだと思います。勝ち過ぎず、負け過ぎず、幕内下位あたりにとどまり続けるZ世代的な価値観を持った力士が現れないことを祈ります。まあ、そんなことが簡単にできる世界ではありませんが。

ヤングライオン的な

大学生の頃、プロレスをよく見ていました。かつてはゴールデンタイムに放送されていたプロレスも、その頃には深夜に押しやられいましたがそこは暇な大学生の強み、私は翌日の授業のことは考えずにテレビの前で声援を送っていました。

今年に入って、大相撲を見ながら三十年前のプロレスシーンの思い出がシンクロするような気持ちになります。1990年代前半の新日本プロレスには、元気のよい若手レスラーが次々と活躍していました。中西学、小島聡、大谷晋二郎、天山広吉などの各選手です。彼らはヤングライオンと呼ばれていました。

厳密にいうと「ヤングライオン」とは、新日本プロレスの入門3年以内の若手のレスラーを指す言葉です。しかし、私が最もプロレスを見た時期にこれらの選手は新日の若手であり、そして私は今はプロレスを見なくなったため、私の中で「ヤングライオン」というと反射的にこれらの選手が浮かび上がってくるのです。

ともあれ、大相撲の今場所で私がヤングライオン的な匂いを感じたのは、先場所までの若碇から改名した「藤の川」です。小柄ながら鼻っ柱が強く、大柄な相手にも物おじせずに激しくあたっていくところが何とも面白く、まるで若き日の大谷晋二郎のようです。

そのほかにも幕内で活躍を続ける「朝紅龍」や「琴栄峰」、新入幕の「草野」や新十両の「三田」など、若くて元気で魅力的な力士が次々と現れていて、なんだか30年前に新日本プロレスが大いに盛り上がった時代を彷彿されます。

大相撲界のヤングライオンのこれからの成長を見るのが楽しみです。同時に、あの頃の新日の選手たちは今どうしているのか気になります。

巨人・大鵬・玉子焼き

戦争が終わり、高度経済成長を突き進む昭和40年代前半に流行した言葉であります。第2次ベビーブーマーである私の生まれる少し前です。そのころ国民の間、特に子どもに人気のあった3つのものを表しています。

当時の国民的なスポーツや娯楽と言えば野球と大相撲でありました。野球の中では、王・長島のスターを有する巨人が、人気、実力とも抜き出ていました。大相撲は、美男子で実力のある大鵬が優勝を重ね、ライバルである柏戸と合わせて柏鵬時代と呼ばれていました。

比較的高価だった卵は、高度経済成長の物価上昇の中でも価格が安定し、毎日でも食べられる食品になったことがこの言葉の由来になっていると言います。

さて、私の生まれる前に流行したこのような古い言葉ですが、大相撲の場所が開催されている間、何度も私の脳裏に浮かんできました。それは夜のスポーツニュースを見るときです。

普段はテレビを見ない私ですが、大相撲期間中はスポーツニュースに気持ちが向きます。だいたい9時40分から10時にかけて複数の局にチャンネルを変えていくのですが、私の期待はたいてい外れます。

相撲の扱いがあまりに小さいのです。たいていは、横綱や大関の一番を報道して終わります。私としては不満です。これだけ大相撲が盛り上がって、チケットがなかなか取れないような状況なのにと思います。

今、スポーツニュースが一番に扱っている話題は大リーグ、それも大谷選手の動向です。これがまず1番に来て、その他の選手の動きの後に日本のプロ野球です。その後大相撲と行きたいところですが、サッカーやテニスが入ることも多いです。

そして長らく待った後に、30秒ほどの相撲の話題です。大相撲全体が、デコピン一匹の話題よりも小さいときがあるのです。

なかなか始まらない大相撲に「巨人・大鵬・玉子焼きだろうが」とかなり的外れなことを思いながら待つ私です。

その他いろいろ

・十両西7枚目の宝富士、4勝11敗で場所を終えました。来場所は関取の地位をかけた場所になりそうです。大好きな力士の活躍をもっと長く見たいです。

・協会の服を着た元貴景勝の湊川親方や、徳勝龍の千田川親方が時々テレビに映ります。「ああ、もう力士ではないんだ」という想いと、遠くない未来にあの場所に自分の好きな現役力士が立つと思うと複雑な気持ちになります。

・特等床山である床鶴さんが、今場所限りで50年の床山生活に別れを告げました。10日目の特集で知りました。行司や呼び出しと異なり、ほとんどテレビに映ることが無いため、床山さんは一般的に知られていません。縁の下で半世紀にわたり大相撲を支え続けた方の人生観とはいかなるものか知りたいです。

・優勝した琴勝峰、全くノーマークでした。琴桜に顔が似ているので兄弟かと思っていましたが別人で、弟はもと琴手計の琴栄峰です。来場所から注目して見ようと思うのですが、気になる力士が多すぎて集中できません。

・優勝は逃しましたが安青錦の活躍、何だか夢を見ているような気がします。ロシアがウクライナに侵攻しなかったら、この時点でこの地位にいなかったと思うと複雑な気持ちになります。

・一山本のインタビュー、楽しみです。九日目の勝ち越しインタビューの後、舞の海さんにいい意味で「力士らしくない」と言われ、翌10日目にも「今日も聞いてみたいですね」との発言。アナウンサーはそれに対し「ハキハキと答えると思います」。思わず笑いました。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。