姫路の手前で
ガザ地区は長方形のような形をしている。その幅は5〜8キロメートル、長さは約50キロでその中に約200万人の人が暮らしているという。世界で最も過密な場所の一つである。
2023年10月以来、そんな狭くて細長い地域の中をガザの住民たちは行ったりきたりしている。途中で命を失うものも多数いる。周りを敵と海に囲まれて逃げ場のない中、北へ行ったり南へ逃げたり。どんな気持ちで歩みを進めているのだろうか。
「パレスチナに比べると〜、ここは天国」
日付が変わった空の下、そんな歌を口ずさみながら私は国道2号線を東へと歩いてる。普段は車で溢れているこの道は信じられないぐらい空いていて、時折やってくる車が通り過ぎるとシーンとした静けさが戻ってくる。
「この馬鹿者め、自分のバカさ加減を体に叩き込め」
私は自分に対して毒を吐きながら、神戸方面へ向かってビジネスバックを手に革靴で歩いていく。同時に私が今行なっていることがそれほど危険じゃないことに感謝しながら、バカな自分を楽しんでいる気持ちもある。
久しぶりにやってしまった。若き日、最初の職場で出会った気の合う友人と痛飲し、気がついたら見慣れぬホームの姿が網膜に映っていた。反射的にバッグを持って飛び降りた。姫路の手前であった。
急いで反対側のホームへ向かう。電光掲示板にオレンジ色で「本日神戸方面の列車は終了しました」の文字が。どうしよう。体内にアルコールはまだ十分残っていて、目の前がグルグルと回っている。幸いにも頭の痛みや気持ち悪さはない。
あたりは暗いが空が晴れているのはよくわかる。自分の田舎ほどではないが、星がよく見える。今思えば姫路へ向かい、カプセルホテルなりネットカフェで仮眠ととって始発で帰ればよかった。しかし、まともな思考のできない私は「神戸へ向かって歩けるところまで行こう」そう思った。
安全な国
コンビニでポカリスエットを買って飲みながら歩く。電車でぐっすり眠れたせいか眠気はないが酔っ払っているのは十分わかる。
しばらく歩くと国道の看板に曽根駅の表示が見えた。まだ子供が生まれる前、最終列車に乗った私はこの駅で飛び降りた。もちろん泥酔していた。今回より悪かったのは、この時はカバンを持たずに電車を降りたことである。
カバンの有無を確認するためには翌朝姫路駅の忘れ物センターに問い合わせるしかないという。私は妻へ電話し神戸から車で迎えに来てもらった。そのまま姫路駅前のホテルに泊まり、朝一番でカバンを手にすると職場へと向かった。幸いにも夏休み中であったため遅れて行っても授業に穴を開けることはなかった。
あれから二十数年、私は親になり子供たちは成人を迎えた。そのような長い月日を経ても私のやっていることは当時と変わらない。妻はこの日友人たちと旅行に行っている。学生時代はともかく、深夜1時に酔っ払いを姫路まで迎えに来てくれる友人は今の私にはいない。
思い出の曽根駅を過ぎてどんどん歩いていく。即興で作ったパレスチナの歌を歌いながら。姫路から神戸まで幅5キロで続く帯、それがガザ地区のサイズ感。私はその帯に端を目指して深夜の2号線を歩く。
ガザとは異なりここに爆撃機が飛んでくることはない。深夜の国道を一人で歩いてもそれほど危険はない。喉が乾けば自販機が至る所にある。トイレに行きたくなれば、1キロも歩けばコンビニの灯が見える。私たちはいい国に暮らしている。だから私のような能天気が生まれる。
宝殿を過ぎて上り坂になる。加古川の土手に向かって標高を上げているのだろう。坂道を登り切った先、ここまでの道のりとは異質の世界が広がっている。どんよりとした真っ暗な空間が横たわっている。兵庫県で一番大きな河川、加古川である。
「今から私はここを渡るのか」
酔いが一気に覚めるような気持ちになる。真っ直ぐ前だけ見て歩道を歩く。川の流れを見ると引き込まれそうになるからだ。川はここを何万年も流れ続けている。そこに橋ができたのはこの100年のこと。異質な空間の上を私は歩く。
全てが循環している。海水が蒸発し雨を降らし、その雨が集まって河川になって再び海へと向かう。その途中で土を削って流し平野を作る。田畑を経由して作物をもたらす。そんな尊い水の流れの上を私は一人歩いている。
1日分未満
寒さで汗はかかないが2時間も歩けばアルコールが抜けてきた。ここからは眠気に襲われるかもしれない。私は先手を打ちコンビニで生まれて初めてエナジードリンクを買って飲んだ。
ようやく正気が戻ってきた。加古川まではウォーキングの間にランニングする元気もあったが、そこを過ぎると歩くだけで精一杯になった。
「俺は一体何をしているのだろう」
何もしていない。酔っ払って、乗り過ごして、家に帰っているだけだ。自分に毒を吐きながら。このブログを書き始めるずっと前からの私の課題、それは私の自尊心の低さ。自分を認めることができない。もっとスマートに生きられないのかといつも思っていた。この時もそうだ。
それにしても駅間が長く感じられている。この辺りはバイクや車で走ることもある。東加古川から土山までこんなに長かったのか、そう思いながらJRの上陸橋を越える。3時間ほど前、私は熟睡したまま電車でこの下を通った。間抜けな顔をしていたことだろう。
土山でようやく明石市内に入るがここからがまた長い。魚住は丘の上にある街。ダラダラとした上り坂が続いている。そこから大久保までがまた長い。直線の先に米粒ほどの信号が光って見える。
私はかつて読んだ塩沢亮潤氏の本を思い出した。吉野の金峯山寺で千日回峰行を達成された方だ。吉野から24キロ先の大峯山寺までの山道を往復する。深夜に出発し、帰ってくるのは夕方である。そこから翌日の支度をして、4時間半寝たのちまた出発する。
山が開いている夏の間、ひたすら毎日それを繰り返す。何年もかけて1000回それを繰り返す。マムシに噛まれたり崖から落ちれば一巻の終わりである。1300年間で二人しか達成できなかった荒業。
本の中で印象的な記述があった。「目が覚めれば、体調は二種類しかない。悪いか最悪」そんな内容だった。最悪の体調の中16時間かけて山道を歩くのだ。
「私のやっていることは児戯に過ぎない」
恵まれ過ぎた環境の中で、何も考えずにバカをやって、それを今回収しているだけのことだ。千日回峰行1日のわずか半分ほどの道のり、しかもアスファルトで舗装された平坦な道を、好きな時に好きなものを飲みながら歩いているだけのこと。
塩沢亮潤氏のことを考えると元気が出てきた。だからそのまま西明石まで歩き、始発に乗って家へ帰った。風呂で体を温めて1時間仮眠した後、いつもの電車に乗って職場へ向かい、何事もなかったように授業を行った。
徹夜を行うことは久しくなかったが、不思議なくらい体調は良かった。心と体は結びついているのだと改めて思った。