夜11時半
「今日が最終日のはず」
寝室で眠りにつこうとしていた私はベットから降りて本棚の上のラジオを手にした。電源を入れる。いつもの周波数が液晶に表示される。
スピーカーからは何も聞こえてこない。「ザーッ」の音もない。ラジオが死んでいるようだった。3月31日の夜11時半、AM828kzの電波は関西地区の磁界を震わせていなかった。
少し遅かった。NHKラジオ第2放送はその前日の深夜に95年の歴史を終えていたのだ。最後の音を聞きたかったが、私の不注意でそれも叶わなかった。
まあいい。全てのものは移り変わっていくのだ。終わりのないものはない。しかしこの寂しさはなんだ。長きにわたって当たり前のように隣にいた人が、気がついたらもう会えない場所に行ってしまった、そんな気持ちだ。
ここにいない人を写真や動画を見て思い出すように、ラジオレコーダーに録音された数百本の放送でこのラジオ局を偲ぶことができだろう。
それでも、車に乗りながら、読書や語学の合間に、ふとあの音が聴きたくなり、電源を入れてこの放送を聴くことはできない。いつも落ち着いて淡々とした語り口、令和時代の世間とはかけ離れたエンタメ性のない教養の世界、そんな安心感が、手を伸ばせばすぐに反応してくれる距離にはいない。
NHK第2放送がこの世から消えてしまった。
私を作る
聞き始めたのは大学に入学した頃だった。英語に興味があったがNOVAやAEONといった英会話スクールに通うお金がなかった。一番安く英会話を勉強できたのがNHKのラジオ放送であった。
「基礎英語」シリーズや「英会話」のテキストを買い、放送時間になるとラジオの電源を入れた。一日何度も再放送してくれるので、不規則な生活の大学生にとってありがたかった。
学んだ表現を使ってみた。それほど多くない留学生や外国人講師に話しかけた。無料でやっているモルモン教の英会話教室に顔を出したこともある。
ある程度力がついたところで「やさしいジジネス英語」を聞き始めた。よく言われることであるが、この番組、普通の大学生にとっては”やさしい”ものではなかった。それでも必死に食らいついた。
空白期間はあるが、大学で聞き始めて以来「ビジネス英語」は2021年に放送が終了するまで続けた。私の英語力をつけてくれたのは杉田敏氏だと、私は思っている。
英語番組だけではない。
大学時代、すぐにやめてしまったがドイツ語とスペイン語講座を聞いてたことがあった。就職してからはイタリア語をずっと続けている。
高校生講座の「倫理」はもう10年ぐらい聞き続けている。「政治・経済」や「現代文」もたまに耳にする。
ラジオレコーダーを買ってからは「カルチャーラジオ」シリーズを聞き始めた。2021年に終了したが「文化講演会」も大好きな番組であった。
私の普段の生活の中で、レコーダーに溜まったNHK第2放送を全て聴くのは困難であった。メモリーがいっぱいになり、泣く泣く消しては録音を続けていた。レコーダーのフォルダは「NHK第2」しかなかった。
車を運転しながらも、常に第2放送を聞いていた。同乗者がいる時は音楽をかけていたが、一人になると周波数を828kzに合わせた。
「株式市場」「気象通報」「ポルトガルニュース」「宗教の時間」意味がわかろうとわからまいと、流れてくる音に身を委ねた。時代に取り残された音がした。平成以降に生まれた若者で、これを聴く人がいるのかと思うような番組だらけであった。
それでも私はこの放送が大好きであった。この放送でなくてはならなかった。三十数年の時間をかけて、今の私の思考の相当な部分はNHK第2放送によって作られたといえる。
モードを変える
私にとって「ラジオ」と同義語であったチャンネルがなくなった。語学や高校講座はFMの深夜帯に移動すると、今年に入ってからそれらの番組の最後でしきりにアナウンスされていた。
しかし、1日18時間も放送していた番組が全てFMに移ることは物理的に不可能である。どの番組が残りどれがなくなるかは、私はまだ調べていないし、おそらく調べないであろう。私にとってこのチャンネルは、語学と高校講座と教養番組を除くと、ただ聞き流すだけのものだったからだ。
放送が終わって1週間が経とうとしている。FMに移行した番組を、私はまだ聴いていない。今週末あたり聴き始めようかと思っている。
ステレオ放送で音質がよくなった番組を聴いて、私は何を感じるのだろうか。たぶん、心の中で、異なる位相のものとして受信されると思う。違和感を感じたまましばらく過ごすことになるであろう。
寂しいことであるが、全てのものは移り変わっていく。タイパの名の下に、メディアが提供するものが慌ただしくなっていく中、音質と時間帯は変わろうと昔ながらのものが残ってくれることに感謝するべきであろう。
そうだ、数限りなくある動画や日増しに進化するAIに囲まれる中、決まった時間に放送されるラジオで語学を学び教養を身につけるという手段がまだ残っているのだ。今まで私を作ってくれた土壌が、広さと質を変えて待っていると思えば良い。
私の方も自分の心のモードを変えて、この土に植え替えられてみる。30年間過ごした畑を出ていくのだ。新しい土地でどのような実をつけるかはわからない。それでも、私には第2放送が育んでくれた深い根っこがある。
学ぼうという気持ちさえあれば、どんな環境であれその根で養分を吸い上げることができる。
828kz、今まで長い間、私を育ててくれてありがとう。